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私の欲は無限です

あれもこれも欲しい娘

私には4歳の娘がいます。テレビアニメの間に流れるおもちゃのCMを目にしては、次から次へと欲しいものが増えていく年頃です。

最近のお気に入りは『わんだふる ぷりきゅあ』というアニメ。少女2人と愛くるしい犬や猫たちが不思議な力で変身して、暴れ狂う動物たちをなだめていくというアニマルハートフルなストーリー。きらびやかな衣装やメイクで子どもたちをときめかせます。

娘は、主人公たちがもつ道具のおもちゃを、あの手この手でねだってきます。

娘「パパ、誕生日は<変身ワンダフルパクト>が欲しいの」
私「どうせすぐ飽きるでしょう、買わないよ」
娘「違う違う、ずっと使うから!」
私「いつもそう言ってすぐに飽きてるじゃん」
娘「違うってば!」

と、親子での言い争いが続く毎日。

ただ今回ばかりは関心したのが、ずっと同じものを言い続けること。3ヶ月同じものを欲しいと言い続けるので、これは本当に欲しいんだなと根負けして、誕生日にプレゼントしました。

娘はその日から毎日、そのプレゼントで遊んではご機嫌な様子。これは大事にしてくれそうでプレゼントしたかいがあったと、こちらも嬉しく感じていました。

が…。

2週間もすると、そのプレゼントした<変身ワンダフルパクト>もどこにやら。そうかと思えば…

娘「パパ、来年の誕生日には<フレンドリータクト>を買って!」
 私「えぇ、このまえ違うの買ったやん。もう来年の誕生日の話してるの。誕生日まであと350日ぐらいはあるけど」 
娘「あっ、そっか。じゃ、今度のピアノ発表会を頑張ったら買ってね」 

と、あれもこれも欲しい、おねだり攻撃と戦う日々です。 

まだ4歳の娘。人間の本能に従えば、欲望には終わりがないということを思い知らされます。無邪気な彼女の姿を見ていると、私も幼き頃は同じようにあれもこれも欲しい怪獣だったことを思い出します。

大人になった今では、これまでの人生のなかで無駄遣いをした経験や、限りある資金の中で欲望を制御していますが、それも経験を重ねた結果にすぎません。もしそうしたブレーキがなければ、私もきっと、ただただ本能に振り回され「あれもこれも欲しい」と思い続けてしまうのだろうなと思うのです。

健康を手放したくない母

ところ変わって、私の母。70代半ば。最近お寺に届くのは、お昼のCMでよく見聞きするサプリメントの数々。

「年齢を重ねるにつれて、立ち座りがつらくなり、膝の痛みを感じませんか? 筋肉が減ってきているのかもしれません。85歳を過ぎても元気なこの方。愛用しているのが、◯◯モア!」 

「最近、物忘れが増えてきたと感じることはありませんか? 加齢とともに脳を働かす成分が減少していきます。減少するなら増やせば良い。90歳を過ぎても一人でイキイキ暮らすこの方が毎日飲んでいるのが、◯◯◯エイド!」

健康を手放さないよう、現状を保つことに必死です。

母ももっと若い頃は、こうしたCMを見ながら「そんな必死に飲んでも、大して変わるわけじゃないのにね」と、ぼそっとつぶやいていました。しかし、自分の衰えを感じ将来への不安がつのると、もはや笑ってはいられず、少しでも今の状態が続くのならと、あれこれ試さずにはいられないのでしょう。

私はそんな母の姿を見て、「健康食品に頼るよりも、歩いたり泳いだり、体を動かす方が良いのに…」と思っています。だけど、自分も同じ年頃になれば不安が大きくなり、きっと同じように少しでも現状を保ちたいと、あれこれと健康食品を買いあさってしまうのでしょうね。

無ければ欲しいと悩み、有れば無くなることを恐れる

娘のおもちゃおねだり攻撃で「無ければ欲しい」と欲望には際限ないことを思い知らされ、健康を掴んで手放すまいとする母の姿を通して「有れば無くなることを恐れる」ことに気づかされます。

葛藤を抱きしめながら人生を歩む

「ありがとう」という言葉の反対語をご存知ですか?

答えは………「当たり前」。

「ありがとう」は「有難う」と書きます。これは「あるのが難しい」「滅多にない」という意味。一方で「当たり前」は、「普通で、いつもそこにあるもの」。

つまり、「有難う」「感謝」とは、滅多にないはずなのに、今ここにある驚きや喜びの表現なのです。

足りないものを探し求め、あれこれと手に入れようとするのではなく、もう既に私のもとにあるものごとに感謝する。そんな感謝の想いをいつも忘れずにいたいものです。

おっしゃる通り!

うーん、だけども…分かっちゃいるけど、欲望を止められないのも、また私の姿。そんな自分に、ときにうんざりしながらも、欲望を抱えながら生き続けていくのでしょう。

親鸞聖人は、煩悩を無くせとはおっしゃらなかった。最後の一息を引き取るまで、煩悩は尽きない。消えることも、断ち切ることもできない、というのです。そんな自身の姿を恥じらないながら葛藤しつづけながら、仏さまを尊ばれた人生でした。

だけど、葛藤し続ける人生って、なかなか辛そうです…。

思い通りにならないからこそ苦難の多い人生なればこそ、仏さまがいらっしゃるお寺があるのかもしれません。 一人で葛藤するのがしんどくなったら、辛くなったら、お寺にお越しください。仏さまと一緒にお迎えします。ようこそ、ようこそ。

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#お寺の掲示板
#こうげそ

上毛組 (こうげそ) お寺の掲示板とは…

福岡県豊前市・上毛町・吉富町にある18のお寺でつくる浄土真宗本願寺派 (西本願寺) のグループ「上毛組」が、20年以上に渡って毎年制作している伝道ポスターです。仏教の教えや、仏さまのお心が伝わることを目指しています。

このコラムを書いたお坊さんは…

霍野 廣由 (覚円寺 副住職) さん
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