毎日が一期一会
予期せぬ突然の別れ
春一番が吹きわたり、桜が満開に咲き誇る日本の良き風景が私は大好きです。そんな綺麗に咲く桜でも、必ず散っていかなければなりません。そんな事を思うといつも一人の友人を思い出します。
その友人は浄土真宗のみ教えを学ぶ中央仏教学院の同級生で2年間勉学に励み、一緒に遊び、青春時代を突っ走った仲間です。卒業してそれぞれの道に進んで1年半が立った時でした。
別の友人から、「〇〇さんが心臓発作で亡くなった」と電話がありました。連絡が付かずに心配して山口から駆けつけたお母さんが発見なされたそうです。
私は目の前が真っ白になり、お通夜に行くまで信じることが出来ませんでした。
山口県の大自然に囲まれたところにお寺がありました。たくさんの門徒さんや、お寺の方がいて、亡くなったのは本当だったんだと涙が出ました。
と、皆でお勤めした後に、彼のおばあちゃんが泣きながら話してくださった姿が今でも忘れられません。
この言葉は大阪のお寺の掲示板に出ていた言葉です。
世間ではごく自然に使われているこの言葉は実は浄土真宗では相応しくありません。
浄土真宗は、亡くなったと同時に阿弥陀さまのはたらきによって、お浄土に生まれさせていただくみ教えです。ですから、死後の幸福を祈ることはしません。
そして、お浄土で仏さまとなられた亡き人は休む暇なく私たちに真実に目覚めてくれよと寝る時間もなく、はたらきづめにはたらいて下さっているのですから、安らかにお眠りくださいという言葉も使いません。
30歳で亡くなった友人の死をただ早く死んで可哀想というだけで終わっているのなら、先ほどの言葉は相応しいのかもしれませんが、友人が死を持って私たちに伝えようとすることは何だったのでしょうか。
今日は残りの人生の最初の一日
それは、「いつどうなるか分からないこの命、今この一瞬一瞬を精一杯生き抜いているか!忙しさを言い訳に自分中心に生きてないか。大きな大きな見えないほどのたくさんの恩恵に支えられ、たくさんの繋がりの中で生かされていることを忘れてはないか、そんな忘れてばかりのお前をいつでも、どこでも、どんなことがあっても、決して裏切ることがなく救ってくださる阿弥陀さまに、手を合わす人生を送ってくれ」と友人は願ってくれていることでしょう。
その願いを聞けば、友人はお浄土からいつでもどこでも、私たちのことを案じて下さる仏さまでありました。
今日もまた「今日は残りの人生の最初の一日」と心新たに一日が始まります。
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