弱音を吐いても良いんだよ
心が折れています…との悲痛な叫び
私は毎日、お月忌 (おがっき) といって、亡くなった方の毎月のご命日に、お家のお仏壇でご家族の方と一緒にお参りをしています。
先日も今年の年末にご主人の三回忌を迎えるお宅のお参りに行きました。実は息子さんにも先立たれており、奥さん一人でご主人と息子さんのご命日にお月忌をされています。ご主人が元気な時はいつも一緒にお寺にもお参りをされ、息子さんのご命日は必ず二人並んでお参りをされていました。お二人が仲良くお話しをされていたことが昨日のように目に浮かんできます。
お参りが終わると必ず、夏は冷たいアイスコーヒー、冬は温かいコーヒーをご用意下さり、おしゃべりをします。先日のお月忌でも温かいコーヒーを美味しくいただきながら、最近の様子などお話しをしました。
帰り際に玄関で、聞こえるか聞こえんかぐらいの小さな声で「心が折れています…」と聞こえてきました。
次のお参りがすぐにあったので、私は決まり文句のように「そんなこと言わんといてくださいよ。お大事になさってください」と言ってお宅をあとにしました。
…でも玄関を出て車に乗った時、「しまった」と思ったのです。口に出してしまったことは引っ込められません。
と、その言葉に込められたどうすることもできない淋しい心の想いを、誰にもいえない心の叫びを聞いたにも関わらず、私は突き放すような言葉で返してしまったのです。
ペンギンという名の鳥が教えてくれたこと
「奇跡体験!アンビリバボー」というテレビ番組をご覧になったことはあるでしょうか。ビートたけしさんが案内役となり、世界中で起きた常識では考えられない出来事、アンビリバボーな物語を紹介する番組です。
そのなかで紹介されたのが「ペンギンが教えてくれたこと ある一家を救った世界一愛情深い鳥の話」です。
実話をもとにNetflixで映画化にもなったお話です。
私がもしペンギンの立場だったら、最初は寄り添い話を聞いていたとしても、毎日毎日、愚痴や不満を言われ、聞いているこちらが嫌になり、きっと「もうそんなこと言わずに頑張れ」と言うはず。それは寄り添い共に生きるってことにはなりません。
おうちの仏間のたのもしいお方
仏教には「同治 (どうじ) 」と「対治 (たいじ) 」という考え方があります。
相手の想いに首を横に振り、「今の辛さを乗り越えろ。頑張れ。頑張れ」と励まし、今の辛さから立ち直らせようとするのが「対治」。
相手の想いにそうか、そうかと首を縦に振り、寄り添い、「辛かったな。しんどかったなぁ」と心の重荷を下ろさせようとするのが「同治」。
「おうちのたのもしい方」ってご存知ですか?
昔は必ずと言っていいほど、どの家にもお仏壇がありました。それは、命を繋いでくださったご先祖が財産よりも土地よりも一番大切なことに気付いてくれよ、とお仏壇を残してくれたからでした。
今は亡きご先祖は、子や孫達に、仏さまをどんなものよりも心の支えとして、生活の中心として、人生の軸として生きてくれよと願ってくれています。
そんなお仏間の仏さまはどんな仏さまかというと「同治」の仏さまです。
何があっても大丈夫。一人じゃないよ。あなたのすべてを引き受ける。同じ痛みをわかって下さり、そうかそうかと不平不満の愚痴のありったけを聞いてくださる阿弥陀さまが「あんたが幸せにならんと阿弥陀も幸せにはならんのよ」といつでもどこでもご一緒くださっています。
次のお参りに行ったとき、また美味しいコーヒーを頂きながら奥さんと一緒に阿弥陀さまの事を今度はゆっくりおしゃべりしたいと思います。
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