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待ってくれている人がいる

おかえりと迎えてくれる安心感

4年に1度おこなわれるバスケットボールのワールドカップ。

今回は日本・フィリピン・インドネシアの3カ国共催でおこなわれ、日本は沖縄で熱戦が繰り広げられています。

日本が開催国ということもありテレビでも放映されましたが、日本人選手たちの活躍を見ると青春時代のことを思い出します。

私は中学と高校合わせて6年間バスケットボールをやっていました。

毎日の練習はハードでいつも暗くなってからの帰宅でした。

クタクタになった体で自転車を漕ぎ家路につくと、街はちょうど夕食時。住宅街にさしかかると各家庭から料理の香りがしてきます。

その香りを嗅ぐとますますお腹がぐーっと鳴り、急かされるようにペダルを漕ぐ足に力が入りました。

自宅について居間のドアを開け家族の「おかえりー!」という声を聞くと体の力がほどよく抜けていき、ほっとして心地のよい安心感を得たものです。

当時は誰かが待っていてくれるのが当たり前だと思っていましたが、振り返ってみるととてもありがたいことだったと思います。

私たちは本来「ひとり」

ですが、最近はそんな誰かが待ってくれている安心感もいつまで続くか分からないなと考えることがあります。

なぜなら、たよりにしている大事な人とも別れていかなくてはならないからです。

仏説無量寿経に「独生 独死 独去 独来 (どくしょう・どくし・どっこ・どくらい) 」という言葉があります。

「人間は、生まれてくるのも独り (ひとり) 、死ぬのも独り」という意味です。

この言葉を見ると寂しくなんともいえない切なさを感じますが、実に真理であるといえます。

私たちは生まれる時、母のお腹から独りで生まれてきます。双子だったとしてもいのちはそれぞれひとつずつですから、やはり独りで生まれてきたといえるでしょう。

また死にゆく時も独りです。

私のいのちを生きるのは私だけですから、だれもそのいのちを終わりの時に共有することはできません。

ですから、生まれる時も死ぬときも独りなのです。

では生まれるときも死ぬときも独りであれば、私たちの日常はどうでしょうか?

やはり日常にあっても私たちは独りと言えます。

家族や友人との楽しくにぎやかな一日であったとしても、どこかで一抹の寂しさを感じるということがないでしょうか?

さびしく悲しい出来事に出会った時は周りに人がいたとしても強い孤独を感じるでしょう。

それはまるで世界から自分だけが切り離されたようにも感じます。

私と一緒にいてくださる仏さま

次のような詩があります。

『さびしいとき』
私がさびしいときに よその人は知らないの。
私がさびしいときに お友だちは笑うの。
私がさびしいときに お母さんはやさしいの。
私がさびしいときに 仏さまはさびしいの。

出典:童謡詩人 金子みすずの詩より

これは金子みすずさんの詩ですが、私たちが日常でふと感じる「寂しさの理由」をよくあらわしています。

後半2行に注目して詩の大事な部分を味わってみましょう。

「私がさびしい時に お母さんはやさしいの」とあります。

この部分はお母さんの優しさに癒やされていくそんな場面です。

ですが、同時に「人間的限界」を感じる部分でもあります。

どうして人間的限界を感じるかというと、私の気持ちが「さびしい」時に、お母さんの気持ちが「やさしい」からです。

私と母の気持ちが違っているのです。

私たちは母の優しさに癒やされることも多いですが、気持ちが違うということはお母さんは私のさびしい気持ちを100%理解することはできていないとも言えます。

この気持ちの違いが日常で感じる寂しさの正体ではないかと思うのです。

ところが、仏さまは私が「さびしい」時に「さびしい」とあります。

私の気持ちとまったく一緒のお心だというのです。

なぜ仏さまは私と同じ気持ちになってくださっているかというとそれは仏さまが遠く離れた存在ではないからです。

それどころか、私のいのちに飛び込んで働いてくださるお方です。

仏さまは私がつらいときも嬉しいときも、寝ているときも私と一緒です。

ですから私の気持ちと異ならないのです。

私たちが孤独の縁に立たされたような時でも、仏さまはいつもと同じように私の帰りを待ってくださっています。

それはいつどんな時でも変わりません。

どうか、さびしくつらくなった時は変わらない方が私とともにいてくださることを感じてみてください。

きっとやさしくおかえりと迎えてくれますよ。

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#こうげそ

上毛組 (こうげそ) お寺の掲示板とは…

福岡県豊前市・上毛町・吉富町にある18のお寺でつくる浄土真宗本願寺派 (西本願寺) のグループ「上毛組」が、20年以上に渡って毎年制作している伝道ポスターです。仏教の教えや、仏さまのお心が伝わることを目指しています。

このコラムを書いたお坊さんは…

大江 英崇 (賢明寺 副住職) さん
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