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金曜日にさようなら


モゴモゴ言う癖、いつか直してね

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ぼくが想いを寄せるあの人は、三つ年上の先輩で同じチームのアートディレクター。昇進の最年少記録を更新したうちの会社のエース。この業界で名前を知らない人はいない、新進気鋭のスターデザイナーだ。

先輩が手がける作品は尖っている。刺激的なコピー、それに負けないインパクトあるビジュアルは世間の話題になることも多い。数々の賞を総ナメにした新聞広告。年鑑にも載っている誰もが知ってるテレビCM。周囲の期待は高まり続け、クライアントからの指名も増える。その期待を更に超えて行くから天才ってホントにいるんだな、と思う。

入社三年目に先輩のチームに呼ばれた日は、間違いなく人生最良の日だった。若手トップデザイナーの下で仕事ができると思うと体が熱くなった。チームの誰よりもアイデアを出し、休日返上でスケッチを描きまくる。先輩に薦められた本は全部読んだ。認められたい一心で寝る時間を削って全ての時間をデザインに費やした。

だから、先輩に褒められた時は寝不足の頭が醒めるほど嬉しくて、ほんの少し先輩に近づけた気がして心がはずんだんだ。

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先輩のディレクションは的確で無駄がない。
「この部分なんですけど…」と言葉を詰まらせても「何度も描き直したんだろうけどA案は媒体を選ぶね。今回はB案でいこうよ」とぼくの意図を完全に汲んでコメントをしてくれる。

1年間、先輩の下で死にものぐるいでがんばった結果、右腕と認められる存在になっていた。その頃だと思う。デザイン以外でも先輩に認めて欲しいと思うようになったのは…
その気持ちが大きくなる程、先輩の前では口下手が酷くなる。

「デザインセンスは言うことないけど、伝えるスキルも上げないとね。モゴモゴ話す癖を直さないと大事な案件でプレゼンさせてもらえないでしょ?」


先輩だからですよ、と心の中で呟いた。

ー 先輩の前だからモゴモゴしてるんです
どうして?
ー だって先輩のことが…

休日の夜にそんな妄想をしてるなんて口が裂けても言えない。子どものときから口下手だった。内職している母と同じコタツに入ってモクモクと絵を描いてた幼少時代。国語も算数も理科や体育も、三段階評価ですか?というくらい2と3ばかりだったけど、図工だけはいつも5だった。手を上げて発表することがない図工が大好きだった。

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4月最初の月曜日
ぼくたちが手がけたA社の交通広告が世間の話題をさらった。働く女性へ向けたメッセージが多くの共感を呼んだ。ほんの少しの反感と共に。

その小さな火種は一部の執拗なネガキャンが周囲を巻き込んで、いつの間にかSNSを大炎上させた。最初は自分たちの姿勢を貫こうとしたクライアントも世間の風には勝てず、謝罪文を載せ、その後予定されていたWEB広告は中止になった。


数日後、大きな会議室にチーム全員が呼ばれた。コンプライアンス検討会議という名前の吊るし上げの場だ。

「だから、あの案はやめておけと言ったんだ」クライアント先で『これは話題になりますよ』と自信たっぷりに言った制作局長が、同じ口で先輩に不満を漏らす。営業本部長も「もう大事な案件はお願いしづらくなるねぇ」なんて言う。

今まで何度も先輩に助けてもらったでしょ?
コンペに勝てたのは先輩のおかげってベタ褒めしてたじゃないですか!


この案件の制作責任者のクリエイティブディレクター(CD)は、さっきから難しい顔をして一言も喋らない。その代わりに先輩がお偉いさんたちの質問に一つ一つ丁寧に返答している。

なんでずっと黙ってるんですか?
CDの肩書きは何の為にあるんですか?
こういう時に部下を守るためにあるんじゃないですか!?


憤りが止まらない。その怒りを口に出して言えない自分に更に怒りがこみ上げる。情けなくて悔しくて、涙が出そうなのを必死にこらえた。隣で先輩が凛とした態度でいるのに、ぼくが泣くのはおかしい。

30分ほどの、議事録を残さない会議が終わった。しばらくは先輩に大型案件は担当させないという、理解できない結論だけが苦々しく残った。

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少し調子に乗ってたのかな…

二軒目のBARでぼくがオーダーしたカシスソーダを飲みながら先輩が呟いた。会議のあと、自動販売機の前に一人でいる先輩に声をかけたんだ、今日飲みませんか?って。きみから誘ってくれるなんて珍しいね、と言う先輩は嬉しそうな顔をした。
…ように見えた。

先輩の行きつけの焼鳥屋でたらふく食べて、話しを聞いてくれたお礼にと強引に支払いを済ました先輩に、それは申し訳ないから次はぼくが奢りますと誘って、駅近くの小さいBARに今いる。

「ダイバーシティなんて言うけど、世の中まだまだじゃない? うちの会社なんて特に」

「さっきの会議だって20人もいて女性は先輩一人でしたもんね」

「あっ、そうだよね。そういうとこなんだよなぁ。だから私が女性の本音を世の中に伝えてあげる! なんて思っちゃったのかも。少し調子に乗ってたのかな…」

いつもいきいきとしてる先輩の淋しそうな顔を初めて見た。その横顔がとても綺麗だったから、そのままの表情でいて欲しいと思いながら、ずっと見とれていた。

「終電まで少しあるから最後にもう一杯飲みませんか?」

先輩は黙って頷いてくれた。


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注文したロブ・ロイのグラスに写り込む先輩の姿を見ながら、甘い香りの力も借りて前から聞きたかった質問をコツンっとあててみる。

「どうしてぼくをチームに呼んでくれたんですか?」

「スキだったのよ」

ぼくが驚く間もなく先輩は続けた。

「初めて見たときから、きみのデザインがスキだったの。あぁ、この人はずっと描き続けてきた人なんだ、ってビビっと感じたんだ」


嬉しくて目がチカチカする。
改めて噛みしめていた。

デザインに捧げた時間が無駄じゃなかった安堵感を、見えない努力を見てくれる人がいる喜びを、

先輩のことが大好きな、この気持ちを


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外に出ると駅まで続く裏通りの人影は既にまばらだった。急行が止まらない私鉄の小さい駅だから明かりも少ない。BARから駅まで歩いて3分。どんなにゆっくり歩いても終電まで15分あるから乗り遅れることはない。駅の改札で忘れ物に気がついてもBARまで往復する時間はある。なんなら二往復できるかも?

そんな妄想をするほど、先輩との会話はなかった。3分間の沈黙なんて普段なら気にならないけど、このときは何か話さなきゃ、と酔った頭で必死に考えた。無言のまま駅に着いてしまったとき『コピーの練習もしておいた方がいいよ』とむかし言われた先輩の言葉を思い出す。同期のコピーライターなら3分間でいくつも気の利いた言葉を思い付くだろう。そもそも、こんな中途半端なタイミングで終電間際の駅に向かわないと思うけど…。

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「そっちの終電は何時?」

「先輩より10分あとです。ホームまで送りますよ」

高校生から少しも成長していない味気ないセリフ。自己嫌悪の殻に包まれて、隣にいる先輩との距離が遠くに感じる。『確実に座れる一番後ろの車両まで行ってもいい?』と聞かれ、並んでホームの端まで歩く。一番線の終電が行ったあと、線路を挟んだ二番線ホームで一人佇む自分の姿を想像しながら。

屋根が途切れたホームの端は、蛍光灯もなく薄暗くて、4月にしては肌寒い風が先輩の長い髪を揺らしていた。あと数分で電車が来てしまう。何か言わなきゃ、BARを出てから何十回と頭の中でリピートした言葉をまた繰り返す。何かきっかけが欲しい、なんでもいいから…

見計らったように、終電の到着を知らせるアナウンスが人の少ない駅に鳴り響く。静寂が戻ったホームに、消え入りそうなぼくの声がカラカラに渇いた喉からこぼれ落ちた。

今日は金曜日ですね…。もう少しだけ…」

想いが溢れて次の言葉が出てこない。怖くて先輩の顔が見られない。

駅の手前の踏み切りが鳴りだした。
先輩の家へ向かう終電が近づいてくる。

カンカンカン…

踏み切りの音しか聞こえない。先輩も黙ったままだ。勇気を出して右隣に立つ先輩を横目に見たけど、近づく電車のライトが逆光になって表情はわからない。

ホームに滑り込んだ電車のドアが開く。長くて短い、発車を知らせるベルが鳴り終わる。映画のスローモーションのようにドアが閉まった。

モーター音が上がって電車が徐々に加速する。右から左に流れる車両を首で追った。電車の最後尾のライトが、左手の遠く彼方に光の粒になるまで目が離せない。

電車を見送りたかったわけじゃない。

その気配を感じながら、振り返るのが恥ずかしかったんだ。きっとぼくの顔は、暗がりの中でも分かるほど真っ赤だったはずだから。

土曜日になっちゃったね
 ぼくの隣で彼女が笑った。

00:01発の終電がいなくなった一番線ホームに
ぼくたち二人だけがいた






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