二十歳の余韻
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成人の日が、1月15日から1月の第2月曜日になったのは、いまから25年も前の西暦2000年から。初めは違和感があった3連休もすっかり体になじみ、仕事初めのタフな一週間を過ごした社会人たちにとっても、嬉しい祝日となった。
自分の成人式の記憶は遠いかなた。地元の友だちとの再会が嬉しくて、式には出ずに会場前でずっと喋っていたのが一番の思い出。なんの為にスーツを新調したのかと、親にあきれられたっけ。居酒屋を貸し切っての同窓会も楽しかったという記憶しか残っていない。誰となにを話したなんて一切覚えてない。ただ「楽しかった」という感覚だけが、夏祭りの最後の花火が消えた後の余韻のように、いまも残っている。
成年年齢が20歳から18歳に引き下げられて、3回目となる今年の成人式。いつか成人式も18歳になるのかもしれないけど、二十歳という節目の年は、親にとっては特別な意味を持つ気がする。
最近は友人の子どもたちが二十歳になり、成人式の写真をLINEで見かけることが増えた。あんなに小さかった〇〇ちゃんが、こんなに立派になったんだねとトーク画面が盛り上がる。おまえ、成人式の飲み会で酔いつぶれたの覚えてるか?なんて昔話に花を咲かせたりする。不思議なもので、ブログやSNSを通じて長年交流してきた人にも同じことが起きる。
成人の写真がタイムラインに流れてくると、おめでとう!という気持ちはもちろんだけど、同時にその人の昔の投稿を思い出したりする。あんなことこんなこと、あったでしょうと思い出のアルバムがパラパラとめくれていく。一度も会ったことはない、声も知らないお子さまの成長を喜び、これからの人生を応援したくなる。
偶然、出会った投稿もそうだ。数年前、「無事成人式を迎えました」というコメントと共に、色あせたカバーに包まれた母子手帳をアップしてる方がいた。出生時の体重が軽く、とても小さな赤ちゃんだったそうで。不安や苦労があったぶん、喜びも大きいのだろうなと思った。
今年もきっと、一緒に20年を過ごしてきた親御さんたちの投稿が、タイムラインに上がってくるだろう。誕生日にあがるバルーンのように、無条件で「おめでとう」と言いたくなる瞬間が好きだ。1/13の月曜日は、昼間からビールを開けて祝杯といこうか。なんで昼間から呑んでるの?と妻に怪訝な顔をされそうだけど。