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温泉卵は35秒
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先日、家族全員がインフルにかかった。最初は下の子。子供部屋に一人で寝てもらい、大人部屋に残り全員で寝た。2日その状態が続いたが3日目に妻が咳をしだした。ついに来たか、と思ったのもつかの間。今度は上の子が熱があるかもしれないと言い出した。すかさずぼくが仕事で使っている部屋に上の子を押し込めた。
リビングにいると、各部屋から咳の三重奏が聞こえてくる。コンコン、コンコン、コンコーンコンコン♪ とテキストにすれば可愛らしいが、実際は3人とも辛そうだ。喉が痛くて飲み込むのが大変だから、食事はうどんが続いた。少しでも栄養が取れるようにと、卵を入れる。電子レンジでつくる温泉卵のレシピを調べ量産体制に入った。わが家のレンジだと600wで40秒が最適解なのが分かった。
妻と上の子が発症して2日目、下の子が発症して4日目。明日からお父さんと一緒にいても大丈夫かもねと話していた夜に、コホっと小さい咳がぼくの喉から鳴った。気のせいかなと思い布団にくるまったが、咳の間隔はどんどん短くなっていった。病は気からさと自分に言い聞かせ、リビングに敷いたキャンプ用品の小さなマットの上で眠りにつく。
翌朝、目が覚めた瞬間に来たな、と思った。朦朧としながら体温を測ると、数字は38.2になっていた。思えば、このときまで何とか持ちこたえていた体が、一気に悲鳴を上げ始めたような気がする。頭痛、関節痛、そして何より喉の痛み。4日間、家族の看病に追われていた余裕は一瞬で消え失せ、自分も患者の一人になってしまった。
「お父さんも来ちゃったかー」と家族のグループLINEに妻からメッセージが入る。返信する気力もなく、スタンプを一つ送信した。「今日のうどん、私が作るね」という返事がくる。そうか、もうみんな少しずつ回復してきているんだ。最後に倒れた自分が、一番具合が悪いという皮肉な状況だ。
回復した下の子がリビングに来て、ぼくが子供部屋に入れ替わる。ほどなくして妻が寝室から抜け出し、キッチンに向かった。一人でも非感染者がいると行動が制限されるが、全員感染したとなれば話は別。これ以上感染が広がることはないのだから、行動にも多少の自由度が出てくる。
子ども部屋でぐったりと寝ていると、遠くキッチンからうどんを作る音が聞こえる。電子レンジのピーピーピーという音もする。きっと温泉卵を作ってるに違いない。ほどなくして、下の子がうどんを運んできてくれた。最初に感染した下の子は、免疫はあるけど熱はない、わが家で一番無敵な状態だ。
ありがたく、うどんをいただく。熱々のうどんが胃袋に染み渡る。温泉卵を割ると、黄身がとろりと出汁に交じって何ともいえないまろやかな味になる。美味しかった。飲み込む喉は痛いのだけど、美味しさが体中に染み渡る。ごちそうさま、と妻にLINEをした。温泉卵のとろみが最高だったことも伝えた。
「600wで35秒温めるのがコツよ」と返信がきた。そうか、そうなんだ! 最適解と思っていた40秒より、5秒縮めるとこんな仕上がりになるのだと感心した。「今度誰かがインフルになったら35秒で温めるね」、とLINEすると「インフルはもう勘弁 (^^; 」と即レスされた。
たしかにそうだ。卵のとろみよりも、健康な日常の方が何倍も大切だもの。でも、不思議なもので、この辛かった一週間は時間が経てば温かい記憶になる気がする。特に家族全員が別々の部屋で会話したグループLINEは、忘れがたい思い出になるだろう。
ベッドに横になり、「お父さんとお母さんのうどん、どちらが美味しかった?」とメッセージを送った。すかさず「お母さん」という妻の冗談っぽい一言が入る。そのメッセージに、子ども達が押したいいねのアイコンが二つ重なった。「なんだかなぁ」と思いながら、ぼくもいいねボタンを押す。この画面も、キャプチャしておこうかな、と思った。