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出張飯の流儀

────エッセイ

旅行のときは、地元のひとが足繫あししげく通うような、裏路地を一本入ったところにある小さな小料理屋なんて最高だ。

家族旅行だと自分の好みでお店を決められないが、出張のときは自由だ。仕事を終え、帰りの新幹線までの数時間。駅周辺をうろうろするのは至福のひととき。「ほう、こんなところにおでん屋があるのかぁ」と孤独のグルメを真似てみたりしながら暖簾をくぐる。地元の人でいっぱいの店に、ひとりポツンと座って呑むのが好きだ。

常連さんたちと大将の会話をBGMにしながら、メニューを眺める時間は幸せそのもの。初めて見るメニューは、酒の肴にちょうどいい。あれもいい、これもいいと、まだ見ぬ料理を想像してるとビール一杯がいつの間にか消えている。「せっかくの出張だから」と魔法の呪文を唱えながらビールをお代わり。ビールが来たら厳選した料理を注文する。「〇〇も美味しいですよ」なんてイレギュラーな答えは大歓迎。店員さんのオススメを断らないのは、出張飯唯一のルールだといってもいい。

先日、珍しく泊まりの出張が入った。仕事が長引き、終わったのは23時を回るころ。めぼしいお店も見つからず、コンビニでカップラーメンで晩御飯を済ませた。翌朝、二食続けてコンビニ飯は厳しいので少し早めにホテルを出る。地元に愛されてる喫茶店のモーニングでも食べようかと思っていたが、オレンジ色の吉野家の看板が目に入った。「牛丼かぁ、悪くないな。というより朝イチ牛丼なんて滅多に食べられないから最高かも」、一瞬で頭の中が牛丼色に染まり、体が店内に吸い込まれた。

お客はぼく以外に二人。ひとりは年配の女性。もう一人はタクシー運転手らしき恰好をしている。メニューも見ずに、牛丼の頭の大盛りを頼んだ。吉野家では、頭の大盛りと決めている。並盛ごはんに大盛り用のお肉。そのバランスが絶妙で、一度頼んでしまうと普通の並盛には戻れないのだ。

ほどなくして、丼が目の前に置かれた。もうもうと立ち上がる湯気が食欲を刺激する。短く手を合わし、箸を丼に滑り込ませた。「うまい……!」、思わず声が漏れたかと思うほどに美味しかった。前日の夜にちゃんと食べてなかったせいもあったのだろう。その牛丼は、記憶にないくらい美味かった。半分くらい食べ終えた頃だろうか、ふと店内には地元の人しかいないのではないかと思った。その地域の暮らしに溶け込んだような錯覚。その日の牛丼は、ぼくにとってその地域ならではの食事だった。予想外の満足度に包まれ店を出る。こんな充実感を味わえるのも出張飯のいいところだと思う。


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