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インターネット、へ、た、くそー!

この2週間くらいコロナでダウンしていた。
闘病体験記は本家ブログにそのうち書くというか、嫁さんが現在進行系でゲホゲホしているので、それが落ち着いてからじゃないと書きたくないなーという気持ちなので、まあこっちは雑記。何よりも治ってほしいと願うばかりです。
ちなみに私もまだ軽く咳き込むし、倦怠感がすごい。活動許容量が半分くらいになったのは、単に動いていなかったことに対する反動だと信じたい。

コロナ療養中は基本的に寝ていた。というか寝るしかできなかった。
寝る。起きる。動けないから横になる。そのうち寝る。食事は喉が痛くて摂取できない。もはや衰弱状態である。3キロ痩せた。
当然インターネットなんざやる余裕はない。特に序盤中盤は液晶の光がしんどいレベルにつらかったので、基本的に横になって、Youtubeのゆっくり解説とかをラジオ代わりに聞いていた。野球と遊戯王ばかり聞いていたので、特に野球については滅茶苦茶偏った知識を得てしまった。人様に間違ったことを喋る前にきちんとソースを確かめておく必要がある。新庄の現役時代の守備がすごかった。

基本的にインターネットはろくなものではない。療養中にSNSからそこそこ離れて改めて思うが、いや本当にろくなものではない。ヤフコメもそうだがツイッターなんてものは瘴気の塊みたいなもんで、自分も含め、だれもかれもなぜだか文字のコミュニケーションになると、いや本当にろくなものではなくなる。不思議。
療養中に離れて、今それなりに元気になったので、前みたいにSNSに戻ってきたが、いやこんな瘴気にまみれていたのかこのプラットフォームは、と愕然とすることが増えた気がする。

インターネットやめろ、である。

これね

「NEEDYGIRL OVERDOSE」なる配信者育成ゲームの2つ目の主題歌「INTERNET YAMERO」の一節(というかタイトル直球)だ。これがまあ最高の毒電波で、色々しょーもなくなった時は狂ったように聞きたくなる。というわけで現在進行系で聞いている。
曲調もメロディーラインもグッチャグチャで、次に何が出てくるかわからないのだが、それが超てんちゃん(この子)の情緒不安定っぷりをゴリゴリに表に出していて非常にクセになる。
ガチメンヘラ配信者育成ゲームなので、ゲームには薬にリスカに✗✗✗にと、もうこれはこれはよーSwitchに移植できたなという要素がたくさんあるが、それがまた平成のインターネット(死語)の残り香をムンムン漂わせる。infoseekチャットで過ごし、南条あやをそこそこに狂信した青春時代を過ごした我が身としては、なんだかふるさとっぽくて落ち着くのである。

令和になってなのか平成の末期からかは忘れたが、インターネット、少なくともツイッターは現実の延長線のようになってしまった感はある。「保育園落ちた日本死ね」あたりから、と個人的には思っているけれど、ツイッターと現実の境界線がぼやけて、ツイッターが現実に侵食してきたなー、と強く感じるようになったのがその頃。
ヤフーニュースに上がってくるしょーもなニュースの震源地もおおよそネットである。1段落目には「有名人(ということにしよう)が自身のSNSを更新。なんとかかんとかと投稿した」と書き、2段落目にはその要素と投稿の要約を書いて……。おっと話が逸れた。

まあそんなことはどうでもよくて、基本的にインターネットとはろくなもんじゃない、というスタンスは持っておきたいし、コロナでちょっと離れてその気持ちを新たにしたわけで。ま、そこにどっぷり浸っている自分が最たるものだけど、やっぱりろくなもんじゃないので、さっさと捨ててハイラルの海でも見に行こう、ということである。

とはいえ現代社会をスマホ無しで過ごすのはなかなか大変だ。そもそもろくでもないインターネットが世の中と溶け合っているろくでもない状況なので、距離を置きたくても置けなくて、やめろといってもやめたら飯が食えんのだ、となっている。ネットを仕事にするとこういうことになってしまう。難儀だ。
それでも意識してインターネットから離れて、たまに「インターネット、さ、い、こー!」と叫ぶくらいでちょうどよいんだけれど、頭の天辺から足の爪先までインターネットの毒電波にどっぷどっぷで過ごしてはや15年以上経ってしまったので、その甘い快楽の禁断症状たるや、である。

コロナ感染ともう一つ、自分の中で大きな環境変化があったことも、やみやみモードに拍車をかけている。部署異動である。

6月から異動した部署はこれまでいた部署より遥かにキラキラしているので、同僚上司の彼ら彼女らは、恐らく仕事を除いてはSNSをやらないだろうし、インターネットは「インターネット」でしかない。私のように「インターネット」と聞けば、瞬時に「あの混沌としたうーにゃー感」をそこに想起させて、頭の中に超てんちゃんのあのダンスが流れるようなことはない、と思う。いや実際どうか知らんけど、まあないだろう、と思う。
そもそも部署異動した直後にコロナで離脱したので引き継ぎも中途半端だし、戦力と数えられる前に離脱したので、今後の扱いもなんだかなんだか、という状況になりつつあるので、「インターネットから離れて現実を見に行こう!」と意気込んだところで、その現実にエクスタシーもマイスリーもあったもんじゃないのである。つまり宙ぶらりんである。

そもそもこれまでの人生が宙ぶらりんだったので今更でもあるが、一応は「環境変わって心機一転!」と、一端の社会人のような気概で現実に馴染もうと努力していた。でもそのハシゴが速攻ぽこーんされたので、感情のやり場に困って、こうして深夜に毒電波を注入しながら、平成初期の病み文章を書きたくなったって仕方ない。
残念ながら私は女子高生ネットアイドルではないので、別にサミットでからみ餅を買ったりはしないし、毎日の更新を待っている人はいないので、2日どころか2か月くらい平気でサボる。
保護室の更新をリアルタイムで追体験はできなかったが、平成のINTERNET GIRLが根っこにあるなあと、こうしてめんどくさいスイッチが入るたびに我ながら呆れるばかりである。インターネット、さ、い、こー!

何が心配かといえば、文章を書く機会が案の定減ったので、書く筋力の衰えを現時点で感じていることだ。
まあこの記事は人様にお出しするものではないので、構成も語尾も語彙も何も考えずに、頭の中のボコボコをそのままパチパチ書いているから良いのだけれど、一応お仕事で書く機会もちったああるので、その時に衰えていないかが非常に心配なのである。というかすでにまずいことになっている。まあそこは一応プロなので何とか……、何とかできるんかな。
一応この駄文軍団も世の中に放流されるのだけれどね。まあこのnoteが読まれるものとして書いているつもりはほとんどないので、一応「世間一般的に炎上しないよなあ」の加減で、本当に好き勝手書いている。ウィクロスの時はこれより遥かに気合いを入れて記事を書いているつもり。まあ評判は知らんけど。

話が逸れた。
超てんちゃんも南条あやも、本質の本質は「発信する自分が好き」なのだと勝手に思っているし、彼女たちが終わりを選んだのも、求められるものと自分の中のものが乖離しすぎたからだ、と自分の中で結論づけている。前者は主観of主観だが、後者は一応大学4年間の成果なので、それなりにきちんとしたつもりの結論であるし、ここ最近のぴえんやトー横の云々においてもあんまそこら辺は変わっていないので、案の定アイデンティティを巡る面倒臭さは、今も昔もろくなもんじゃないな、と笑ってしまう。
ま、どの時代においても、一度その沼の甘味を覚えてしまうとどうにもこうにも厄介で、「こんなに苦しいはずなのにインターネットがやめられない!」になってしまう。インターネットのろくでもなさは、平成も令和も変わらない。それが嫌いで好きなので、インターネットはやめるべきだし、さ、い、こー!なのだと書き散らしながら呆れている。

インターネットとはもうちょっと上手なお付き合いを覚えていきたいなあと、めんどくさモードの出口が見えて来るたびに、いつも同じ結論に至っている。私はインターネットが下手である。
ま、誰も傷つけてないつもりだしいいんじゃない?自分だけだよ。


あー早く体調戻らんかな。

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