スト6つらつら雑記
百万ドルの獲得者も決まり、スト6最初のシーズンが終わろうとしている昨今ですが、ここらでストV末期〜スト6発売のころから振り返りながら、この一年のまとめみたいな話をします。たぶん。
まず、昨年初頭を思い返すと…スト6のクローズドベータなどは開催されつつも、ストVが最後の盛り上がりを迎えていた時期ですね。ストVはスト6が発売される本当ギリギリまで熱を持って遊ばれていたので、すごいゲームに育ったものだなと今でも思います。さて、SFLを中心にストVの競技シーンは楽しく眺めていましたが、自分で遊ぶ気はあまりありませんでした。というのは、ストVは最低要求フィジカル値が高く、満足に対戦を楽しめるレベルには到達できないと思っていたんですね(ここでいうフィジカルとは、動体視力と指捌きの掛け算からくる「見てから〇〇する能力」くらいにご理解ください)。ストVにおける最低要求フィジカルというのは、例えば以下のような能力です。
自分のフィジカルではどれか一つに集中してトレモしたって安定しないのに、ましてや実戦でなんかできるはずがありません。それでも、最終シーズンではエドという補助輪付きキャラのおかげで、無差別級の入口であるダイヤまでは到達できました。
が、そこが限界でした。そして、「スト6でも同程度のフィジカルを求められるのであれば、やっぱりろくに遊べないなー」などと思っていました。
しかし果たして登場したスト6は、みなさんご承知のとおり、このあたりのハードルが軒並み下がっていました。その場受け身と後ろ受け身のフレームは統一され、投げシケの硬直は伸び、中足確認は誰にも不可能なレベルで猶予が減少、前ステの全体モーションも長くなりました。制作側も、このあたりが無駄に高い障壁になっていると感じていたのだと思います。ストVに折れた層を取り込もうという意図を感じました。
もっとも、フレーム的に余裕を持たせたとはいえ、ラッシュやインパクトなど間合い戦での選択肢も増やされたため、フィジカルに優れたプレイヤーでも全てをケアするのは(少なくとも現時点では)不可能といってよいでしょう。勝負における比重という点では、フィジカルより意識配分の側面を強くする調整となっているように感じました。とはいえ格闘ゲームですから、フィジカルがモノ言う場面はいくらでもありますが、可視化されにくくなったとは思います。
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しかしまあ、そういったゲームデザインの変化が今日の隆盛に繋がったかと言えば、どう考えたってそうではないわけです。自分のようなストV脱落者が救済された可能性はありますが、その層がパイとしてそんなに大きいはずがない。やはりストリーマーを通じて、裾野(初心者帯)が大きく広がったことが最大の要因であったと考えます。ではなぜ、数ある格闘ゲームの中でスト6だけが、ストリーマーとそのファン層に受け入れられたのか。
そう考えたときに、自動実況が果たした役割の大きさって、無視できないと思うんですよ。やっぱり娯楽の根源に近いところに「ごっこ遊び」というのがあって、その欲求を満たしてくれるという点においてはめちゃくちゃクリティカルな機能だと思います。自分がキャラクターを動かすのに合わせて実況がついたら、誰だって気分はプロゲーマーですよ。もうウマヘタ関係なく楽しいに決まってるじゃないですか。オフラインの大会や対戦会に馴染みがない人なら猶更です。この機能の効能を、生粋ゲーマーほど過小評価している印象があります。自戒。
加えてもちろん、配信映えするということも挙げられます。視聴者が楽しい…というより、配信者が配信しやすい。自分以外に喋る人がいると、すごく間を持たせやすいんですよね。その上で実況に乗っかったりツッコんだりすることもできる。配信してみたいから買う、という需要が確実に存在し、その配信を見た視聴者や他のストリーマーが興味を持って買う…という好循環が発生していたように思います。そういう点では、配信がダレにくい爆速マッチングも効果的に作用しました。
とはいえ格闘ゲームって、いっときの娯楽としてはさておき、万人が腰を据えて長く取り組めるものではないと思うんです。ただ、その一方で我々もよく身に沁みているように、たまに強めに脳を灼かれちゃう人が出るんですよね。その強めに灼かれちゃった人の中に、たまたま影響力の大きいストリーマーが何人か入ってたのかなという印象があります。これは余談。
また、ゲームシステムが配信映えにまったく寄与していないかというとそうではなく、やっぱりドライブインパクトは発明だったなと思います。パニカンさせたときの「なんかすごいことが起こった感」の演出もさることながら、一番えらいのは「端は危ない」ということを万人に理解させ、プレイングにおける大きな指針を作ったという点です。見てても何が起こっているのかわからないと言われ続けてきた格闘ゲームですが、スト6ではキャラクターが画面端に近づくと、攻め側はインパクトを打つのか打たないのか、守り側は打たれたインパクトを返せるのかという「軸」を持ちながら見ることができます。もちろんスト6はインパクトだけのゲームではありませんが、初見の人間に対しても一言で見どころを説明できるのは、配信者/視聴者的に大きなプラス要素として働いたと考えます。
かといって初心者帯でしか使われない死に技というわけではなく、上級者帯でも選択肢の一つとしてしっかり機能するのが素晴らしいところです。初報で「こういうシステムが載ります!」と聞いたとき、格ゲーマー的には「そんなん強すぎてゲーム壊れるか弱すぎて存在抹消されるかどっちかやろ」と思いましたが、強すぎず・弱すぎずのところに見事に着地させたもんだなあと感心しています。26フレームの発生速度、2発までの打撃に耐えるアーマー、発動した瞬間にグッと前に出るやられ判定、2フレームしかない短い攻撃持続。絶妙のチューニングでした。
モダン操作の導入も、格ゲービギナーの参入ハードルを下げるという点では効果的に作用したと思いますが、もう少し何とかならなかったのかい? という感覚は、正直あります。「モダン」というネーミング自体は、これも発明でしたね。
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さて、ここまで書いたことについてあえて穿った解釈をすると、「スト6はストリーマーにおもねる方針に転換したから成功したんだ!」とも読めてしまいますが、当然ながらそんな単純な話ではないと思っています。
確かにスト6の発売直後、「REJECT FIGHT NIGHT」そして「Crazy Raccoon Cup」と立て続けに人気ストリーマーがスト6で競演する大型イベントが開催され、そこで生まれた大きなうねりが今もなお界隈を揺り動かしているという印象がありますが、言うまでもなくこういったイベントが実現した背景には、こくじ…こく兄氏やどぐら氏といった格ゲー育ちのストリーマーが、格ゲー以外の界隈とも積極的に交流を図っていたからこそ実現したものと考えます。
そして、これらのイベントを成功裏に終えることができ、その後もスト6を使用したイベントが定期的に開催されている背景には、参加者を短期間で的確に鍛える豪華コーチ陣…つまり、今まで競技者としてシリーズに取り組んできたプロたちの存在がありました。この布陣があってこそ、スクリムから本戦に至るまでの流れを、良質なエンタテイメントとして仕上げることができたのだと思います。スト6がいくら優れたゲームであっても、それは単独のタイトルが成し得ることではなく、これまでの積み重ねがあったからこそ、こういう形でスト6が世に出たのだと思います。
一方で、例えば先日開催された「RAGE STREET FIGHTER」の盛り上がりを、苦々しい面持ちで眺めている人もいます。参加者の中にはレジェンドクラスの猛者も含まれるとはいえ、CPT大会の決勝級の試合と比較すれば、内容には物足りない部分も多くあるわけです。にもかかわらず、格ゲーイベントとしてかつてない規模の熱狂が展開されている。こんなに程度の低い見世物で。もっと報われるべき人間が、他にいるんじゃないのか。という。
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ここからは完全に主観的な意見になりますが。それってもう仕方ないというか、自分としては良い方向の変化であると捉えています。
ここ数年ずっと考えていることがあって。ゲームする意義とか効用を考えたときに、上手さを指標にしたくないなという思いがあるんです。ゲームって、上手いやつがえらいんですか? もう一歩踏み込んで聞くと、ゲームって、上手くならなきゃいけないんですか?
ゲーセンは言ってみれば相手の50円を奪い合う戦場でしたから、古来からの格闘ゲーマーであるほど上昇志向を持たない者はいないというか、そうでなかったら見知らぬ相手に対戦吹っ掛けようとは思わないというか。でも、より広い層に格闘ゲームを遊んでもらいたかったら、この「上手さを指標とする価値観」から抜け出さなきゃいけないんじゃないか。
RAGEの盛り上がりにモヤモヤを抱いている人がいるのであれば、まさにそういう価値観と向き合うきっかけになるのではないかと捉えています。向き合った結果、やっぱりゲームの本懐は上手くなることだよと結論付ける人がいても構いません。コガトもゲーセン常在ゲーマーでしたから気持ちはわかるつもりです。ただ、個人的には、ゲームって競技である前に遊戯だし、ゲームを通じて有意義な時間を過ごすことが第一義で、競技として、成長を目的として取り組むことが全てではないと思っています。
長年オタクをやってきた実感として、ゲームにも功罪あるとはいえ、差し引きで圧倒的に功のほうが大きい、社会に役立つものだという確信があります。最近ではそれをもっと社会に認知させたい…ゲームに恩返しがしたいと思って、草の根e活動みたいなことも始めました。年齢、性別、ともすれば言語や国籍も超えて、多様な人間とコミュニケートできるのがゲームの一番の利点とコガトは考えていますから、そこを最大限に活用したい。競技性を主眼とする「eスポーツ」は、再現性がないというか、なかなかモデルケースになりにくいんですよね。並立しないというか、複数あった場合に規模や質によってイベントそのものに優劣がついてしまい、劣に類されてしまったイベントは継続していくことができない。大風呂敷になりますが、いろいろ試行錯誤を重ねつつ、やる気さえあれば誰でも始められて、始める人が多ければ多いほどみんな幸せになるe活動のフォーマット、モデルケースみたいなものを作りたいと思いながらやっています。
最後は大幅に脱線しましたが、思ったことはだいたい書ききったかな。それはそれとして今後来る豪鬼や大規模調整、新しいSFLも楽しみです。皆様方引き続きよろしくお願いします。