【娯楽の塵】アップルジュースの類
1978年
植村直己 世界初犬ぞり単独北極点到達
このゴミを捨てた人が娯楽に興じて(おそらく)いた時、ひとりの大冒険家が犬ぞりでの単独北極点到達を成し遂げた。カナダ最北の地から約800kmを犬ぞりで進んだ。
単独。孤独とはまた別のひとり。想像するならば、彼にとって、単独は手段としてのひとり。単独は孤独ではない。群れるものがいるから、連れ添うものがいるから、仲間が、応援が、協力が、共感がある。
孤独はずいぶんと様子が違う。人は、共感や共鳴から見放されたような時間が続くと、そう感じるだけで容易く孤独になる。他人からの見え方は関係ない。人はみんな風邪をひくように孤独を患う。
芸術においての孤独は長く長く患うようであって、一度その見据えたもの、捉えた美が自身の信念と掛け替えの無い核に合致したなら、患いながらも強く生きて行けるのかもしれない。
「ひとりがいい」と言えてる間は大概それは孤高でも孤独でもなく、単独なだけだろう。かと言って、単独も孤独と無縁というわけでもなく、単独を長く長く選べばいつしか共感とは離れて行き、やがて孤独を患うことになるかもしれない。
そして孤独は風邪のようなものだから、一生いつもいつも付いて回るわけじゃない。いつかすっかり無くなることもある。どうしようもなく「ひとり」を感じることを恐れる必要は無い。その理解の先に膨大で真白で純粋な心を開いて行く冒険が待っているのだと思う。