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祝賀

嵐の中の松本にいる。

風は強くない。ただ、移動手段を失ったので、滞在を延長している。

当初は、本日学校公開日の予定だったので、そういう親業も極力怠りたくないあまり、朝4時台の高速バスで東京に戻り、授業を参観し、それから、大阪に向かうようなそんなプランだった。

大阪に2泊する予定だった。


だが、早い段階で大型台風接近の警戒令から、学校公開日自体休校になることがわかった。東京に戻る必要がないということは、むしろ恵の嵐のように思われた。高速バス(3000円)をキャンセルし(手数料100円)、ホテルを予約した。松本から大阪へ移動しさえすれば何とかなりそうな期待だった。

帰りが諏訪経由ということもあって、東京発中央線経由大阪着往復切符で移動できる奇跡のめぐりあわせに感動すら覚える。

だが、嵐の警戒報はますます深刻になり、松本からの交通手段が絶たれることとなった。当日キャンセルになる直前、前日(キャンセル料フリー)のうちに、大阪のホテルをキャンセルし、松本のホテルは、一泊追加する対応ができることになった。

そして、大阪駅最寄りのホテルを取り直し、バックしたポイントと合わせて負担のないプランが実現した。

予測どおりの甚大な被害をもたらす大型台風がやってきているが、ひとり穏やかに過ごす不思議を満喫している。

東京に残る子どもたちも、狭い部屋にいなければならないストレスはあっても、無事なようだ。

明日の大阪行きも無難に行けそうだが、それもこれも、盛会の院内集会を途中抜けしてでも、松本に駆け付けたかいがあったというもの。12日が動けない中、13日の朝、東京(自宅)からの大阪行きは厳しいものがあったろう。

厳密には、「駆け付け」には間に合わなかった。電車の遅れがあって、肝心の祝賀会の終焉時にしかたどり着けなかった。でも、今年もまた3人もの後輩が司法試験の合格を果たしてくれたことを、お祝いせずにはいられなかった。

二次会でたっぷりとお祝いをする。

驚いたことに、と思う自分を戒める必要があるかもしれない。

3人の内2人が女性であった。わが母校における女子受験生の合格率は相当なものだ。2017年3月、母校は閉校している。募集停止により、最後の在校生が卒業するとともに閉校したのだ。

たった12年しか存在しえなかったが、長野で活躍する法曹を長野で育てるという理念のもと、市民運動も盛り上げて開校を実現したが、合格率という数字の前に、継続することが難しくなっていった。だが、その歴史を侮ってはなるまい。

2008年、最初の卒業生が挑んだ挑戦は、1人でもいいから合格者を輩出することを祈っていた。全国の既習コースを標準とするロースクールの創設から遅れること1年、しかも、未修コースしか設立していなかったので、初受験生の輩出自体に2年遅れた。さらに、設立後まもなく、内部で何かがあったのか、2期生の募集を一時停止する事態も見舞われた。1期生については、多様かつ個性豊かな経歴の原石を採用し、理想的な法曹養成の理念に沿った入学試験によって採用し、実際優秀だった。2期生は、募集停止が明けた頃、他のロースクールの受験が一通り終わった、いわば、他の入試で合格を果たしていなかったという層を拾うようなタイミングでの入試になったため、1期生のような理想的な人材を採用できていない危機を覚えていた。2007年、個人的には、旧司の挑戦に疲れ、実力伸び悩みレベルでローに転向したが、他方、新規参入者にとっては、もはや旧司は「終わった制度」に位置づけ、ロースクール進学しかほぼ選択肢がないという状況で、やや疲れたベテランと、ロースクールで初めて法律を学ぼうという純粋未修者が混在するような3期生、そして、2期生入試時の募集停止のダメージをそぎ落とし、改めて、拡充していこうかと入学者枠を増大した4期生が入学した、という時期が2008年の初受験であった。

1期生への期待は高い。確かな実力を確信できる受験生もいた。

しかし

私は、生後半年の乳児を育てる夏季休暇中、実家にいて、そのニュースを見た。合格する先輩から指導を受けたいという期待を私も持っていた。それなのに、0という数字が、まさかではあるが、全国にも珍しく、絶望的な負のイメージで報道されていた。

ゼロ

0というのは、1との大きな差がある。歴然とした差。

うっすら気づいていたかもしれないが、ここで初めて危機意識が学校全体に響いたと思われる。理念にこだわっている場合じゃない、と。

0だった学校は一つではなかったはずだが、初受験で0のショックは大きい。入学者募集も縮小化し、指導カリキュラムの改変を試みることとなった。既習コースの設置も用意することとなった。

一方でそのショック療法が、その後の歴史を導く。

1期生に比べて、「優秀」とは期待されていなかった2期生が本気を出した。

またゼロかもしれないという恐怖に迫られて挑む勝負は真剣そのもの。

期待しすぎなかったおかげか、2009年、初受験の2期生3人と浪人していた1期生1人が合格をした。そのときの歓喜が湧き響く状況を、翌年に受験を控える私は、1歳になった息子を連れながら、そばで感じ、祝福をわかちあった。

1人でもいいから合格して欲しい。その祈りを超えて、4人の合格者を輩出し、また活気づいた。希望と不安が両立する中、1期生にとっては、三振制のためにラストチャンスとなる翌年の受験は恐怖だったろう。でも、4人の合格者は勇気を分け与えた存在であったのは間違いない。そうやって、2010年私にとっての新司法試験初受験でもあるが、3学年が挑むというロー全体での挑戦だった。

しかし、結果は厳しかった。1期生からは再び合格者が出ず、失権者も何人か現れた。もう、受験自体できない。浪人で結果を出した2期生は二人。3期生からは3人が初受験合格。私は不合格だった。思いの他厳しい試験であることを改めて突き付けられる。失権した先輩が泣いている。1回目の不合格だけで泣くわけにはいけないという妙な奮起で私は受験を続けることにした。

2011年、全学年中最大在学者数となる4期生が参入する。受け控えを経て受験資格が残る1期生も受験する。4学年の挑戦だから、単純にいえば、合格者数の伸びを期待できたはずだ。しかし、結果として、合格者は4人に減った。1年目の4期生2人、3期生1人、2期生が1人。1期生は、またも合格者が出なかった。先取りして結果をいうと、1期生は、2009年に浪人を経て合格した1人を除き、その他の合格者を輩出することができないで終わる。理念に沿って個性あふれる多様な人材を選抜したはずなのに。指導カリキュラムの誤りが如実になっていく。だが、2期生が3回目の挑戦という失権間際で結果を出したという快挙は、やはり、後輩、特に私にとっても大きな勇気を放っていた。前年に失権していた1期生も、法曹以外の活躍の場に落ち着いているという情報が集まりだしていたことも、挑戦することの無駄がないように受け止められた。私は、3回目の受験を決めていた。当時、離婚をして、幼児を育てるひとり親家庭。綱渡りそのものな日々ではあったけども、なぜか楽観的だった。神頼みを尽くし、2012年3回目の受験をする。ヤマが当たった確信はあった。

結果、受験2回目の4期生3人とともに、3期生最後(歴代合格者5人目)の合格者に私は、滑り込むことができた。5学年が挑戦したにもかかわらず1期生、そして、また初受験の5期生が合格者ゼロという厳しい結果は、ますます、ロースクール存続の危機を深刻にさせていた。一方で、累計合格者数(4+5+4+4)17人となり、合格に必要な体制についての情報が蓄積されつつあった。ゼミを組んで、受験指導に参加してきたものたちという合格者像が見えてくる。最低限身に着けるべき知識はもちろん、その知識を活用するためのスキル、思考力なのか表現力なのか、各人によって課題が異なるが一定のパターンがあることも見えてきた。鼻血が出ても、失権間際でも動じない精神力なるものも侮れないこともわかってきた。全国のロースクールの傾向からいえば、とにかく一番実力があるのは、初受験となる卒業直後の受験生であり、その後浪人を重ねるごとに、厳しい闘いになることがわかっていた。早期に合格する実力を備えることも必要だが、諦めずに挑むことで結果を出すことを応援することにも意味があるはずだ。弱小ローだからこそ、浪人生も応援するという支援体制が充実していった。浪人すると、住まいがロースクールの近くに居続けることができず、自習室の利用やゼミの参加が難しいこともある。スカイプでの受験指導システムも導入されていったようだ。

そうやって、新たに創設された既習コースを含む受験者の挑戦が始まる。2013年の合格発表は、司法修習中の和光で受け取った。一緒に勉強していた後輩の挑戦だったこともあるけど、気になっていた結果は、5年目最後の挑戦だった2期生の2人、2回目の挑戦の5期生の2人、初受験の6期生の1人という結果だった。5人。すでに、卒業後5年経過によって失権していた1期生を除く5学年が挑戦した受験ではあったがたったの5人。いよいよ厳しさに直面する。3期生・4期生に合格者が出ない。ただ、受け控えを重ねつつも仕事と両立させながら受験勉強を続けてきた5年目の2期生が久々に結果を出しことは画期的であった。

合格するまで受験を続けることができたら理想だ。しかし、実際は、食べていかなければならないので、仕事をしなければならないこともある。経済的理由で泣く泣く断念しなければならないことも現実にはある。それでも、限られた時間の中で効率的な勉強を続け結果を出した例は、どれだけ後輩たちに勇気を示しただろう。

他方、既習コース初の受験生が結果を出せなかった。知識はある。一緒に入学した同級生よりも1年早く挑戦する。自信もあったろう。しかし、ゼロだった。知識・表現力・技術。ある点では十分実力を満たすのに、なぜ結果を出せないか。どのように課題を克服すべきか。新たなる壁に直面する中、厳しくも、募集停止が決まる。

これは大学側が決めたことで、創設にあたって尽力してきた弁護士会にとっては寝耳に水の衝撃だったようだ。地元の法曹を地元で養成する。その理念を共に創設したはずが、いつしか、大学側と弁護士会側で見ている景色がずれてきたのだろうか。

募集停止が決まり、最後の入学者を迎えた後に挑む2014年の合格発表は、私は弁護士1年目、第2子妊娠中の大きなおなかで、会務活動の関係で裁判所にいたときに吉報を受けた。浪人時代を共に学んで過ごした後輩からの合格報告だった。3回目の挑戦。すでに失権制度の改変があり、三振制が撤廃されていた。5回まで連続して受験できるが、それにしても、3回目の挑戦自体、私も経験したが、精神的には参るものがある。よくやった!
受け控えをしていた同期の受験資格が残る最後の年ではあったが、同期の合格は続かなかった。しかし、後輩の合格は単純にうれしかった。全部で5人。既習コースからの合格者がようやく輩出した。やはり、実力がある程度備わっていた分結果を出しやすい。受験2回目になる6期生2名、7期既習2名が合格する。7期未修・8期既習は初受験になるがやはりゼロであった。

そして、2015年の結果は伝説級だ。まず、一番身近で応援をしていた後輩が、いわゆる「ゾンビ世代(一度失権するが、失権制度改変でラスト一回受験資格が復活する世代)」ながらも、合格した。「合格したよ」のラインメッセージはとても嬉しかった。その時点で、合格者数が7人ということを確認していて、すでに心が踊っていた。全学年から合格者が輩出した。1年目の8期生1人、2年目の7期未修2人、8期既習1人、3年目の6期未修1人、4年目の5期1人、5年目の4期1人が合格した。その上!さらに、詳細は割愛するが、さらにもう1人、縁ある合格者がいて、合計8人の祝賀会は、駆け付けないわけがなかった(毎年駆け付けてはいる)。嬉しいことに、後輩にお祝い品贈呈の機会もいただいた。

募集停止で閉校を待つ段階ではあったけども、指導カリキュラムを改めて結果を出し始めている手応えが感じられた。

ところが、2016年は、4年目の挑戦になる6期生1人だけの合格になった。でも、たった1人でも合格者がいたことはとても喜ばしいこと、珍しく地方で活躍する同期が祝賀会に参加する情報もあって、家族5人産後2か月位ながらも3児連れて、祝福にかけつけた。

みんなが喜びに包まれ、穏やかだった。閉校が差し迫る時だった。

夢を見て、少しは夢を叶えたかもしれない。そういう時だったかもしれない。その年、縁あって、繰り返し、松本を訪れることができた。たった1人の合格者を除き、残った4学年が再挑戦に向けて努力を続けているところに、乳児を連れて自習室にお邪魔した。名前も聞かなかったかもしれないけど、相手をしてくれた受験生に応援を伝えた。

2017年、3人が合格した。3年目の8期生未修、2年目の10期生既習、1年目の10期生未修が、1人ずつ、閉校後の試験で結果を出した。前年たった1人の合格者から3倍まで伸ばしたということの意義は大きい。こういう結果を出すこと自体、全国的に珍しいだろう。合格者の1人は前年応援を伝えたその受験生だった。直々に喜びを伝えてくれることが嬉しい。もう一緒にゼミをしたり、指導もしていないけど、お邪魔して絡んだだけの後輩が結果を出してくれるのが本当に嬉しい。

2018年、驚いたことに合格者が5人になる。これは快挙である。5年目7期未修1人、8期既習1人、3年目の10期3人が合格した。閉校後2年にして合格者数が伸びるというのが素晴らしい。この地味な成果が実は、ちゃんと評価され、嬉しいニュースを呼ぶ。

地元の法曹を地元で養成する仕組みが拓いていったのだ。それも、学部生時代から育てた最後の卒業生が確実に結果を出して来た成果だ。

去年は2児連れて祝福し、そして名古屋のセミナーに向かったことを思い出す。きちんとお祝いできなかったが、嬉しかった。

今年は、同種の集会から駆け付けることになった。

5年目5回目の挑戦の8期未修1人、4年目4回目の挑戦の9期未修1人、10期既習1人ということだ。

受験資格が尽きるまで挑戦を続けて生きた他の受験生も讃えたい。

最後の卒業生10期未修の挑戦回数はあと2回ある。

修習中、まだ、募集停止の発表がある前、予備校での受験フェア?なるイベントに、ひやかしのように母校を訪れた。恩師と再会し、あまり受験生が訪れている様子はなかったけども、たまたま、その時1名の学生が興味を持ってくれたらしく、その後、たしかに入学したらしい。

私と絡めば、この弱小ローの中でも仲間たちとして合格を果たしている。

きっと祝福する。

その日を楽しみにしている。

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弁護士古賀礼子
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