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#共同親権ツアー ふりかえり

令和元年10月11日 日比谷公園より始まった #共同親権ツアー  を振り返り記す。

歴史的大型台風が接近している予報がある中、西へ向かうツアーが果たして無事に達成できるのか、そもそも全く予想できない状況ではあった。

とりあえず、最初の集会にて、担当する、国内での訴訟活動の報告をした。

この日、毎年参加している母校の祝賀会もあるので、担当した報告を終えると、院内集会をあとにした。まだ、天候に異変はなく、長野県松本市もおだやかそのもの。8時ちょうど、ではないが「あずさ」に乗って滞りなく、向かう。

祝賀の想いは、嵐の最中に記した。

あずさで松本に向かう間に、12日の新幹線が名古屋からも運休していることなどを知り、大阪に2泊する予定の変更を迫られた。キャンセル料が発生しないプランだったのが幸いした。松本での延泊も成功する。大阪での1泊も手配しなおすことができた。予報以上に大型台風の惨禍は痛ましいものではあったが、ホテルにこもって過ごす私の時間は穏やかだった。台風一過の翌日は順調に大阪に行けるものと信じて眠っていた。

早朝、早起きしすぎると、台風通過時の中央線も被災しており、松本発の電車がないということを知る。

名古屋、その手前の中津川からは電車があるらしい。

松本を抜け出す手段が必要だった。

普通は、大阪行きをあきらめるのかもしれない。翌日、諏訪の集会をこなすだけでも十分なはずだろう。ここが、初めて過ごす縁もゆかりもない街ならそうしたはずだ。

しかし、松本は、4年間住み、出産をし、ママ友も、同業の先輩・後輩、また、3年前に講演させていただいたときの支援団体等の知人等がいる。きっと誰かが何とかしてくれるような気持ちが自然に湧いてきた。

方々にSOSを放ち、最初にリアクションがあったのは、大鹿村のあの方であった。リアクションがあるだけで孤立した思いから救われる。

そして、松本在住の先輩弁護士が電話をくれる。

祝賀会二次会で少し話をしていて、諏訪集会にも興味を持ってくれていた先輩だ。

合格を信じて一緒にゼミを組んでいた仲間でもあるし。毎年ほんの数人ずつしか合格しない弱小ローの中で、合格バトンをつないでいった同志でもある。

無茶を承知でお願いすると答えてくれた。感謝があふれる。

中津川に着いたものの、特急は運休だった。快速ではあるが、前進していく意味は大きい。

10月13日大阪集会 自分が担当する2時40分からの部分は間に合った!

大盛況で、会いたい人に会えるを実現する貴重な機会となる。よく見かけるお顔も多くいらっしゃった。気持ちが一つになろうとしているのがよくわかる。

懇親会では、串田議員ともお話させていただいた。

一時はどうなるかと思ったのに、遅刻したものの大阪に来た意味を体感し、早く眠ることにした。体の負担がほとんどない不思議な旅である。

#諏訪集会  の朝 早く目覚めると、やはり、中央線がまだ微妙な復旧状況。塩尻まで特急でいってピックアップしてもらう作戦となる。

特急しなのは運転を再開しているものの、全席自由席ゆえ、乗車券のみでよかった。計画通り塩尻に着く。西口か東口か、なぜか右往左往したが、無事、大鹿村の方と合流し、いざ諏訪へ!

上諏訪駅最寄りのすわっチャオという公共施設がやたら新しく、使い勝手がいい。Wi-Fiもばっちり。駅近も理想的。

移住歓迎ブームらしいので、心が動く。が、ひとまず、街頭情宣?をされている様子を確認しつつ、講演前のひと休憩。体に優しい自然食のカフェがまたおいしい。

そうこうしながらの諏訪集会は、また、地方ならではの濃厚な時間となった。なにせ、大鹿村の方(←仕掛け人本人だもの、の放つメッセージが心強い。

駅前で信州料理をいただく懇親会を経て、いざ帰路。

しかし、だ。

中央線が土砂崩れのため、復旧していないという。

そこは、やはり、人のご縁。仲良しのりむすびさんを通じた交流もある仲間の車で長野駅まで送ってもらう。

1時間半の道のりも、共同親権を語ればあっという間だ。


長野で収穫された野菜をお土産に、長野新幹線経由で帰宅する。少し日付が変わった。

10月11日にスタートし、10月15日に帰宅するツアー。痛ましい台風の爪痕が残る中、岡山のお土産まで手に入れて、たくさんの人に会い、よく眠り、また、そんなに大幅なコストがかかったわけでもなく、無事に帰ってきたということ。

奇跡のようだったと振り返り、また、改めて歩みだす。そんな記録。


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弁護士古賀礼子
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