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単独親権制がもたらすもの

共同監護は、離婚後の父母の協力という文脈に限らないものと常々考えている。

育児に関心を持つ父親は確実に増えており、よもや離婚の危機に直面し、わが子との交流を制限される目に遭おうものなら、耐えがたき苦痛となることを素直に表現するケースが目立つが、そうはいっても、まだ、育児をする父親自体が少数であることは否めない。父親の育休取得率は5%台だ。

離婚後の単独親権制が、育児とは母親が担うものという思い込みを温存させていると思うし、育児は母親が抱え込むと考えるから、単独親権制が残存しているともいえるし。

この親権論を、父か母かというどっちかなのか両方なのかという狭い視点で思考しても答えはでるまい。

離婚後単独親権制なのである。すなわち、婚姻中は共同親権で、婚姻を解消したら単独親権となり、すなわち婚姻外父母は単独親権のままといった具合に、婚姻と親権をリンクさせていることに注視したい。

夫婦のことと親子のことは全くの別次元なのに絡めているからエラーが起きる。

気づかれにくいが、単独親権制であるがために、離婚に躊躇するという働きをする。

非親権者となったことをいいことに、養育責任から逃れ、養育費は未払い、子の成長に関心を持たないことだって許してしまうのだから、離婚し単独親権になるのは単純にリスクである。

それでも、離婚を選ばざるを得ないという判断こそ、よほど思い詰めた果ての結論なのだと語られる。ただ、残酷にも、そんな決断をしたこと自体の自己責任こそ問われ、どんな苦労にも真に同情的な環境が乏しいことが、ますます追い詰めていく。その背景は、それだけ、我慢してでも結婚を続けることで、離婚を回避しようとする文化もあるだろう。

離婚して幸せになるなんて、頑張って結婚を続ける立場からしたら、到底許されないのである。

どんなに苦痛でも生涯添い遂げるって約束を守った方が幸せが待っているはずだ、と信じたいのである。

それが幻想だなんて、受け入れたくはない。

そんな文化の中での離婚なので、単に盛り上がった恋が終わるときの別れとは格別に異質な別離となり、深い傷を負う。

失われた自尊心を回復するには時間がかかるし、両親双方が傷ついている場合もあるから、その元で育つ子にとっては困窮状態だろう。

これを離婚後共同親権化によって、ストレートに解消するなんていう単純な話のようには理解されにくい。しかし、それが救いの道になる。

婚姻と親権の関連を解消する。

夫婦であることと、親同士の関係を切り離し、別次元のものとして扱っていく。

離婚しても、お互いに親として養育責任を分担し続けるとなれば、夫婦として、男女としての関係の終わりに気づけば遠慮なく離婚を選択できる。

夫婦としての拘束が解かれれば、新しい恋愛もしやすく活気づくかもしれない。ある男女からは、それ以上子が産まれる見込みがなくても、パートナーチェンジが起これば、それぞれの男女が新たなパートナーとの間に子が増えることだって期待できる。

この上ない少子化対策だ。

離婚を躊躇しないから、我慢もしない。嫌なことは嫌という。それで失うものがないから恐れずに済む。

だから、お互いに嫌なことがあっても別れることがないよう努力していく姿勢も促されていく。いつだって、別れようと思えばできるから、避けるための努力をする。

結果、離婚後共同親権化によって、離婚が抑止されることもある。

仮に、離婚する場合、容易く離婚している分、傷が浅い。回復も早い。寛容にもなる。

夫婦は終わっても、親同士として協力関係を続けることで心地よく落着しうる。

離婚があり得ることと受け止めることで、社会も優しくなる。

父母の連携がぎこちないからこそ、ナナメの関係も交えて、サポートしていく。

離婚は誰もが起こりうるライフアクシデント

自己責任なんかではなく、苦労抱え込むものではない

人生百年の長い時間を生涯添い遂げられるような奇跡の出会いに恵まれたなら、満ち溢れる愛をもって傷ついた他人に優しくできよう。

離婚後単独親権が誰を不幸にしているか。
人の不幸がないと癒されないまでに、生活のための結婚を手放すことができず、早く未亡人になることすら憧れてしまうような、そんな、みんなの問題なのである。

りむすびを応援したときのピンクTシャツくまさんの写真に寄せて。

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