結婚がヤバい
昨日の国賠応援は盛況で、自ずと、同志たる先生方ともたくさん会えた!
なんと、控訴審判決は、共同親権DAY
氏名が人格権なら、子どもの氏が勝手に通名利用される問題なんかをちゃんと規制してほしい
結婚がヤバいが届いていた
結婚という称号
結婚の象徴としての共同親権
信愛ではなく信頼
ウチの子は、3人とも0歳児から保育園に通い、今も学童とか、本当に何人ものたくさんの方にお世話になってきた
幼稚園なんかで、きちんと面談ができるのは担任の先生だけど、ホームクラスの担当の先生や、遅番の先生など、挨拶程度しかできなかった先生にもたくさんお世話になってきたし、いろいろな交代制で名も知らずお世話になった先生方もいるだろう
会ったことがなくても信頼している
もちろん、社会問題として、託児機関における痛ましい事故(あまりにも過失が過ぎるともはや事件のレベルなことも報道がある)もあって、絶対とはいえないけども、子どもを託すだけの最低限の知見、組織としての連携諸々守られるべきルールは遵守するだろう、という『信頼』あってこそ、安心して子どもを託し、だいたいは問題がない
この前学童からの電話でヒヤっとしながら対応すると、遊んでてトゲが刺さったみたいで処置したので、様子見てください~というようなものだった
そんな小さなことでも連絡をいただけるという安心感
子育てを分担し、社会において共同養育する上では、連絡連携が大切になってくる
でも、基本的な信頼があれば、そうやって分担は可能である
共同養育に必要な信頼って?
世界中の国々が、共同親権制を整備して、夫婦が離婚しようとも、父母として養育責任を果たしていくべきものとして、共同養育を実施している
離婚した父母の共同養育
一定の信頼関係が必要という言い方が飛び交う昨今だけど、離婚する以上夫婦は他人の関係になっていく
扶養義務もない
だからこそ、期待しすぎないマナーのある距離感が大切になる
夫婦だったころの信愛は不要
離婚するに至る以上、愛し合った過去はあれど、関係性は変容してしまっている
全幅の信頼と情愛を注いでも苦にならなかった関係性が相互に形成していたから婚姻するはずが、改めて他人になると、そこそこ関わりがあっても、マナーある距離があるもので、仲良くなっても頼り過ぎない、とか、感謝を尽くすとか、そういう距離を守らないと、他人間でもエラーを引き起こすことはある
離婚するのだから、信愛関係を期待できない他人にはなるけども、全くの他人よりは、わが子のことを大切にしてくれるだろうという「信頼」は一般に期待できるのではないか
それにもかかわらず、巧みに、信頼関係という言葉を都合よく持ち出して、離婚した間柄であるにもかかわらず相手をコントロールするようなことも起こったりする
恋愛みたいな駆け引きの延長だろうか
○○してくれないなんて愛してないのね、すん、、、みたいな関係性は終わっているはずだ!
4年前の記事
親子断絶の問題はその前から取り組んできていて、その頃の気分ってこれだったわねって振り返った
でも今はなんとなく違ってきた
今日もまた、裁判官が”教えて欲しい”というスタンスで連絡しあったりする
実際どこまで奮闘できるかはともかく、だ
共同親権弁護士に教わりたい裁判官が続く
最初は、面会交流支援機関の利用料っていくらくらいなの~?みたいなときもあった
高等裁判所の裁判官って面会交流のことを何も知らないのである
最近は、共同監護の具体的な方法について知りたい、とまでおっしゃられる裁判官まで現われてきた!!
同志となる弁護士自体が稀で、多摩地域のはずれでマイペースにやってた我々しかいなかったようにも思うのに、今や、頼もしく全国の先生方と繋がっていたりする
それだけではなくて、裁判官とも心が通うようになってきたのが、2023年の実感として振り返る
共同親権運動の会報に寄稿したのも思い出した
もう8年前のものだったとは。。。
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