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連れ去りがダメなわけ~共同養育との関係

お気に入りなので,またイメージ図を使わせていただく

親権制度イラスト

親権制を問わず,父母が養育に関わる環境の価値については,原則として肯定されているものと思われる

民法を読んでも,たしかに単独親権制ではあるけども,親子を否定するものではないし,共同養育観は土台になっている

親権・監護権を分属した解決が行われていた時代もあった

この共同養育が一見,単独親権制であっても共同親権制であっても実現可能なように見えて,同じように見えるそれが実は異質なものと気づく

単独親権制における共同養育は,あくまで親権者を父母の一方に指定し,その者に依存するがゆえにエラーを招きやすい

協力を強いることになるから,何より苦しみを引き起こすのである

低姿勢に,感謝の弁を尽くす,養育費は当然に支払われていく・・・それができる裕福層が共同養育文化を開拓していくことの意義は否定しないが,しかし,一般化までのハードルは高いままとなってしまうだろう

とりわけ,その価値ある共同養育にあたって,最も忌避されるべきは連れ去りである

同居義務があり,相互に扶助義務を負い,子に関する居所指定権等については共同親権者として協力していく約束を前提に婚姻しているのに,連れ去り別居はその約束を全部裏切るのである

裏切るにはそれなりの事情があってという弁解はあるだろう

刑事弁護人活動をすることがあるから,どういう事件でも弁解はしていい

しかし,弁解があることと正当化は別次元である

単独親権制における共同養育は,協力が土台にあるのに,連れ去りをしてしまうと,そもそものスタートからつまづいているようなものである

そりゃ,命からがら子どもを連れて逃げるしかないという状況がありうることは否定できないし,それは,もはや連れ去りと呼ぶこと自体ふさわしくない

かといって,連れ去りの選択肢しかなかったのか,再考の余地があるケースも実際存在するだろう

単独親権制における共同養育の悲痛は,この連れ去りの糾弾さえも抑制させられるがゆえ,人権侵害状態を放置することになってしまいかねない

協力にあたっては,連れ去りと呼ぶべきではない,ことを強いてしまう

連れ去りと呼ばれかねない事態はまず避けるべきである

連れ去り勝ちなどなく,下手をしたら,あらゆる離婚条件が不利になりかねない危険があるのだから,慎重になった方がいい

どうせ,最終的に養育費の支払を期待し,面会交流もそこそこやっていこうと考えるのであれば,最初から,共同養育に移行しやすい手順を選んだ方がいい

そういう余裕がなかった,という弁解が常に通用するとも限らず,ますます追い詰められることになりかねないと思うと,余裕のあるうちに対処することが望ましいことになる

だが,慎重に協議離婚を持ち掛ければ,逆に連れ去られる危険があるから難しい

共同親権制がなければ,やはり,共同養育が難しいのである

共同親権制が連れ去り抑止に直結するかとは限らないし,その指摘があることもよく耳にしている

だが,連れ去りが,共同養育を困難にさせるのは,間違いないし,心理的葛藤を制御できず協力を困難にさせるから共同養育を遠ざけることになってしまうのである

共同親権制のの字が誤解を招くのかもしれないし,共同に協力のイメージが付着しているのもさらに誤解させるのかもしれない

実際は,共同親権制は,交通整理の人員を改め信号機に換えるようなものである

すでに養育費の算定表があるのをより機械的にあてはめることで,親として負担すべき養育費については,第三者によって付与されれば,父母間で対立することもなくなる

また,面会交流についても標準について,潤沢なものが用意されれば,やはり対立を回避できるだろう・・・常にとりあえず月1で,というものではなく,どういう親子交流をしてきたか,別居の経緯,別居している住まいの距離等などから,可能であれば月2宿泊も選択できるものということが社会に認知されるだけでも,交通整理されるだろう

気づけば,親権の争い(父母のどちらが親権者としてふさわしいか)についての関心が自然に乏しくなる

親権者であってもなくても親であることに変わりないことが確立すると,別に親権者でなくてもよいのである(単独親権者の指定を選択できる)

離婚するとしても,そこはある程度信頼して任せられるということもあるだろう

それが難しいときのために,共同親権の選択肢が必要になる

共同養育の価値が普及する中で,自ずと連れ去りが忌避されていくようにも期待している

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