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子どものために,という呪い
出張含め,地方の裁判所ハシゴウィークを終えた
こんな記事も(スマホからは読めた)
そして今週末はこちら
すでに,会場は満席で,でも,動画配信やアーカイブもあるという!!
私も登壇させていただくものの,豪華ゲスト陣と並んでいいのやら,恐縮してしまう
子ども目線が鍵
みかんちゃんも降臨した☆
「みかんちゃん」と学ぼうvol.001
— 金代直人 (@KANASHIRONAOTO) October 9, 2020
「子どもの権利条約」
子どもの「 声・事・心」 を
「聞く・見る・感じる」
TAKE FREE (データはこちら)https://t.co/tcmsXlFj0N#児童虐待#こどもの貧困#親子断絶#子どもの権利条約#オレンジレボリューション#オレンジ革命 pic.twitter.com/fbb9KccPJe
だが
学びも大切ではあるし,共同親権制は子どもの権利条約に由来して,世界で標準化しているのも事実ではあるものの,懸念を覚えるのである
単独親権制でも”子どものために”
単独親権制から共同親権制へ法改正をしないことが,子どもの権利条約違反という非難にも結び付けられ,単独親権制そのものが諸悪の根源のように語られることもある
しかし,日本は,歴史を遡れば,世界に比べて子どもに優しく,子どもを大事にしている国という評価を得ていた時代もあったし,今だって,日本人の多くは子どもを大切にしようとしているし,子どもの貧困については問題だと考えるし虐待死が報道されれば,泣くほど憤りを覚えることだって珍しくなく,決して世界に比べて子どもに冷たい国民性というわけではない
先進的な憲法27条3項
憲法27条3項は,児童の労働における酷使を禁止している
児童は、これを酷使してはならない。
歴史的に、年少者が劣悪な労働環境に置かれてきたことを念頭に置いて規定されたらしく,これを受けて,労働基準法第56条に15歳未満の児童の使用を原則として禁止する規定が置かれ,私人間にも直接適用があるとして,児童を守っている
児童に労働を強いる国は世界には多く存在するし,子どもが労働することなく,勉学に専念できるというのは恵まれたことだし,それを実現できるよう,日本は発展してきたともいえる
子どもを大切にする視点がある中で,単独親権制が温存されてしまっていることをどう説明するかというと,実は,単独親権制のまま子どものためにを行われていたのである
パパもママも,の理念だってある
その結果,何が起きていたかというと,だから離婚しない,という現象である
離婚をしたら,ひとり親になる,(母子家庭が多いことを前提に)お父さんを奪ってはいけない・・・という具合に離婚すると単独親権になるがゆえに,子どものために離婚すべきではないという運用がまかり通ってしまっていた
離婚するには有責主義のもと,離婚事由の存在・主張・立証が必要であるし,協議離婚が成立するならばまだしも,両親が子どもを想えば,単独親権者を決めることはできるまい,そうなれば貧困リスク(経済的か愛着かどちらか一つは失ってしまう)にさらされるという仕組みによって,離婚を忌避するのである
子育てという壮大なプロジェクトは費用も実働も莫大なコストがかかるわけで,よほど(DVなど)でなければ,離婚することは,法律婚の特権を放棄する損な行為であるから,子どもを想う親であれば,離婚しないよう努力を尽くすだろうと期待される
我慢したり,夫婦関係改善のために工夫したり
そもそも性別役割分業を固定化しておくことも有効な仕組みであった
男は仕事女は育児という役割分担をしておくことで,父だけでは稼ぎはあるが愛着不足,母だけでは愛着あっても困窮するという具合に,ひとり親ではまともに育てられない構造を放置しておくことが,それを忌避しようとする働きとなって好都合というのである
これはとても差別的で,稀に,離婚してしまった欠損家族が非行や貧困等で困窮するのは自己責任として,救わない・・・同情はするので,補うように,再婚養子縁組によって擬似家族を形成して生き延びれるよう,再婚時の養子縁組は簡易にしてあるし,監護補助者として,実家が機能すれば,まあいいじゃないかと目をつぶってきた
子どものために,極力離婚しないこと
そうやって,婚姻制度を守るのが国の方針であり,その仕組みの中で国民のくらしを守ってきた
だから,その婚姻制度に参入できない,別姓婚主義者や同性愛カップルは違和感を覚えるが,国は興味を持たない
これが,個人の尊厳の保障とかけ離れている匂いはすぐに感づくことだろう
子どもを不幸にさせないために離婚しないという我慢を強いてきた
それは,女性の自立の促進と相関しているのかもしれないが,離婚しないという我慢をしなくなった傾向があるし,離婚は,女性の自由の象徴になる
世界は当然,女性を自由にすることを歓迎したし,それが女性の権利保障である
離婚を勧めるのだから,子どものためにと相反することになるから,女性運動が敵視されることにもなる
女性の自由と子どもの福祉を両立させるために開発されたのが共同親権だ
両親が離婚しても,子どもを不幸にさせない
その分,女性の離婚したいという希望を認め,自由に開放する
共同親権こそ,女性の権利である
しかし,子どものためにという冠が重なるがゆえに,誤解を招いてきたかもしれない
子どものために離婚しないという文脈で共同親権を用いることが混入されてきたのではないかと疑うのである
それは,婚姻中の共同親権を延長させるものであり,なるほど忌避される
離婚を許すが子どもを不幸にさせないために,親としての責任を婚姻と切り離して実現する仕組みを用意するのが共同親権だ
単独親権制が,婚姻と親権のあり方を紐づけることで,子どもの福祉を守っていた
もしかしたら,寿命が延びたことや,出産回数が減ってきたことと関係するかもしれない
私の曾祖母は10人出産していた(成人して,老齢期まで存命していたのは7人だけど)
曽祖父との関係がどうだったかは知らないが,出産可能年齢中,しょっちゅう産んでいるのである,第一子と末っ子の年齢差は20歳位だから,20年間,ずっと乳幼児を育て,妊娠しているか授乳しているかという連続だし,寝る場所があり食事が満たされれば,生きることの不満まではなかっただろう
結局は,長寿で80歳以上まで生きていらしたようだけど,人生100年時代と今言われることに比べれば,平均寿命はもっと短く,平均だから,夫婦そろって長寿というわけではないから,たくさんの子どもを慌ただしく産んで育てることで精いっぱいな時期を過ぎたあとの夫婦の時間もそんなにあるわけではないうちに,どちらかは亡くなってしまうとなると夫婦でいる時間はそもそも短かった
選択肢が幅広い令和
昭和でも,キャリアか子育てか,二者択一ながらも選択肢があった
平成では,共働き家庭の方が増えて(20年で逆転している),フルキャリか,時短か,子育てとの両立の仕方自体幅広い選択肢が用意されるから悩むことが増えることになる
専業主婦だった私の母は,「ないものねだり」ということを自分に言い聞かせるように,主婦ライフを満喫していた(見事に!)
今は,両方欲張ることも許されるが,キャリアも子育てもとなると実際苦労もあるわけで,パートナーとの協力体制が必須になってくる
理想を叶えている人がいれば,羨ましくもなる
父親だって育児するものよという社会の風潮がある割には,個別の会社ではまだ長時間労働文化が残っていることもあり,パパの育休取得者第1号すらまだ登場していないことの方が多い
悩みはモヤモヤとなって,不満を充満させるし,長引いた寿命と夫婦寿命を想像することが,かえって絶望を招く
親が決めた人と結婚する皆婚時代とも違い,結婚は恋愛に基づいてするものとなったからこそ,恋愛感情が冷めてしまえば,婚姻を続ける意味もわからなくなる
単独親権制の何が問題かというと,女性の自由が推奨される時代に,子どものためにといって離婚の自由を奪うことが苦痛を生むということだ
もはや呪いともいえる
そうすると,子どものためにという文脈の多用は,ともすると,呪いを強化して,女性からの反発を招きかねない
共同親権にして女性を自由にしよう
女性のための共同親権が必要であるし,その道を確立しなければ,単に,子どものためにといって女性に我慢を強いるものと誤解されかねない(子どものために離婚を我慢することは男性にもありうるが,養育費制度の確立によって,自由を得る余地がある)
結局,子どものためにという耳に優しく聞こえるフレーズが呪いになりかねないと気づくと,たどりつくのは親の権利である
署名が始まっているようである
親の幸せが子どもを幸せにする
共同親権は親子の幸せであり,女性を自由にすることを当然に含む
もちろん男性も自由になる
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