二度、削除された記事
表現の自由を考えさせられることがあった。
詳しい経緯がわからなかったけども、取材を受けて、一度公開された記事が、あるシリーズの一部だったため、シリーズ全体の公開が控えられてしまった。
修正などあって、一か月後位には、再公開されたので、まだ、社会の健全性を期待した。
しかし、また、繰り返されたのである。担当の記者が、所属組織を離れ、間もなく組織の判断で記事の公開を取りやめていく顛末を目撃してしまった。
これが、出版物しかない時代であれば、本当に恐ろしい。表現行為を広く知らしめるには、出版ツールの活用が必要であったが、今は、個人が発信し、誰もがアクセスしやすい。だから、封じることも困難であり、それゆえ、適切な表現規制(悪意のある表現の取り扱いは慎重にならなければならない)を論じることも大切だろう。
しかし、「二度、削除された記事」というのはそれ自体、検証の対象になりうる。検閲の類ではなく、経済的利益の問題かもしれない。記事の公開を管理する会社が消失したら、それは、記事自体公開されなくなることもあるだろう。それは、表現の自由の、少なくとも、内容規制にはならない。是非の課題は残るだろうが、資源の適切な管理という課題は常にある。
過去に取材された記事はいくつかあって、こんなに繰り返し振り返ることもない。
二度、削除されたおかげで、刻まれるものがある。
なぜ、二度、削除されたかを検証する対象として、保存し続けなければならない。
「反省のために」
リンクを残すこととする。
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![弁護士古賀礼子](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/5898245/profile_8acc21ae0fdcd2c40a57988d1ad14232.jpg?width=600&crop=1:1,smart)