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法制審家族法制部会第10回議事録2~棚村委員・窪田委員・原田委員・水野委員

共同親権論の研究が続く

文献が教えてくれる真実の歴史

読書会もしたい

学者の中では、共同親権論は10年前に答えが出てたわけだ

これに沿って、面会交流支援機関やADR、調停委員の研修などを経て合意形成支援の充実が実現していく中で、 #共同親権  というワードを忘れてしまったように見えるのが残念である

あるいは、あえて語らなかったといえるのかもしれない

合意形成支援には、DV対策にも通じることが考えられる

かといって、合意形成支援なるアプローチは、地味だしピンとこない、元々の土台としての子の最善の利益としての共同養育理念について理解を共有するところが必要であり、手段としての合意形成支援が、目的にはなりえないわけだ

目的としては、共同親権による子育てを実現ということが掲げられなければならない

がんばれメディア

夫婦別姓制度の鍵も共同親権

さて議事録~

○棚村委員 

早稲田大学の棚村です。この財産分与については、お子さんの養育にも非常に関わるので、貧困対策も含めまして、夫婦間の経済的なバランスをいかにとっていくということが非常に重要なことだと思います。特に、法務省の財産分与を中心とした実態調査の結果でも、取決めをしていないというのが6割を超えていたり、あるいは、お金のやり取りをやっていないというのも6割近くになったりと数字のが出てきます。協議離婚の実態調査でも、少し違った数字も出てはいるのですけれども、おおむねやはり取決めをしていない、それから、財産のやり取りがないというのはかなりの数に上っていており、後で出てくる、「相手方と関わりたくない」というのもあれば、「元々全く財産を持っていない」というのもあって、いろいろであるということが明らかになっています。
 そこで、私は、今まで御議論いただいていたところで、とくに、財産分与の法的性質というところなのですが、清算ということが主であろうということは異論がないわけですけれども、扶養あるいは補償という要素のところもかなり重要ではないかと思っています。もっとも、夫婦の財産関係の衡平な清算ということで十分双方に経済的な条件のアンバランスが解消できるということであれば、扶養的あるいは補償的な要素というのはそれほど考えなくてもいいかもしれません。しかしながら、現在の状況ですと、戒能委員もおっしゃったように、男女の賃金の格差というのもあるし、それから、雇用の場での正規・非正規という面でも男女の不平等などがありますから、そういう意味で、それを私的な分野でどこまで誰がどうサポートできるか、守ってあげられるかということについては、婚姻が解消して、他人にはなったものの、夫婦の間で一定の場合に責任を果たしてもらう必要があると考えています。扶養的あるいは補償的給付、その名前の付け方や呼び方はさまざまで、海外でも、アリモニー(Alimony)、リハビリテーティブ・アリモニー(Rehabilitative Alimony)などで、婚姻によって所得能力とか経済活動が停滞してしまった部分について、一定期間は取り戻すための再出発のための援助というのが必要なのだという考え方、婚姻の余後効などいろいろあるかと思います。水野先生も、フランスの補償給付を紹介する中で、離婚の際に夫婦の経済的な条件の不均衡みたいなものを是正するための、再調整するための給付みたいな形での位置付けで、補償に近い考え方をとられたりしていました。扶養や補償の要素では、いろいろな立場があって、理論上の根拠付けはとても難しいと思うのですけれども、清算と並んで、扶養なり補償なり、あるいは経済関係の再調整のためのファクターというのは何らかの形で持っておいた方がいいなと考えています。
 これに対して、慰謝料も、不法行為の損害賠償としてのもので、財産分与とは性格を異にすると言われています。しかし、判例では、慰謝料的要素も性質は違うのだけれども、便宜的にこれを含められるという形で一括処理することは認めています。これは紛争の一回的な解決性とか、調停委員をしていると、相手方としては、解決金という名目であれば払うけれども、慰謝料だというのであれば嫌だというケースが結構あります。そうなると、名前の付け方よりも、全体として調整するお金が確実に渡るということも重要ですので、そういう意味で、慰謝料については、財産分与としての法的性格は別だけれども、場合によって解決のための一つの調整の道具や手段として、名前は解決金でも何でもいいのですけれども、そういうような形で慰謝料的なものも含めて解決できるというのが、紛争解決を全体としてする場合の便宜として含めることを認めるというのはあり得るのだと思っています。
 最後に、考慮要素という点ですけれども、武田委員の方は、法定するのは必要ないのではないか、特に、寄与の割合とかについてはいいけれども、それ以外の扶養的な補償的なものも含めて、法定することについては消極的というご意見のようでした。しかし、協議離婚についての法務省でされたウェブ調査の結果を見ても、財産分与でどういうことを考慮したかというときに、やはり「夫婦間の衡平」というのを半数近いカップルの方たちが一番重視したのだということを言っています。それから2番目に、非常に興味深かったのは、「子どもの養育」というのを43%の人たちが重視したとあります。つまり、一般の人たちの意識にも子どもの養育と財産分与というのはかなりリンクしている面があるのだなと感じました。その後については、「財産形成への貢献度」、それから、「お互い資産をどれくらい持っているか」、「健康状態」、「就労能力」、「年齢」などと、こういうふうに続いています。この調査結果をみると、一般の方たちが財産分けをするときに考慮している要素というのが浮かび上がってくると思うのです。財産分与を決める際に総合的に、どんなふうに考慮するかという問題はもちろんあるのですけれども、一定程度実務でも一定の考慮事項が形成されているわけですから、それを条文にきちんと書いて、裁判官の裁量とはいっても、ある程度どういうものを重視したかということの目安とか基準みたいなものは、明示しておいた方がいいのではないかということを考えています。
 そういう意味では、理念・目的もそうですけれども、財産分与というのがどういうことを目指していて、どんなことで具体的に算定をしたり、財産分けをしていくべきかということの一応の判断基準や考慮事項を、「その他の一切の事情」というようなことでざっくりと規定されているということでは余りよろしくなくて、考慮事項はある程度明示した方がいいのではないかと思います。そうでないと、離婚の際の財産分与をしようにも、ない人はしようがないとしても、ある人が、これは何のためにどういうふうに分ければいいのかということで、具体的な分与の基準が分からないとか、認識していないとか、あるいは、争われたときにどういう基準で分けてもらえるのかということの予測可能性という面からも必要であるように思います。合意ができない理由の中に、「関わりたくない」とか「煩わしい」とか、いろいろなものがあるのですけれども、財産分与ということの趣旨とか意味、そういうことについて十分な理解をしていなくて、とにかく早く別れたいとか、こういう人と関わりたくないというような気持ちは絶対あると思うので、そのときに一歩立ち止まって、養育費のときもそうですけれども、安全とか安心の問題がないのであれば、きちんと財産分与について取り決めて、責任を果たしていくという意味でも、考慮事項の明示とか、あるいはルール化、基準を示していくということは重要かなと思います。
 少し長くなりましたけれども、扶養というような要素、補償という要素というのは、どういうふうに、またどういう基準で算定するかとか、二次的、補充的とはいっても、どういう場合だったらそれを認めるべきかということについて、実際の実務を見ていても、基準が示されていないので苦労されていますし、調停委員としてケースに関与するときに、要するに、不動産とか預貯金とか、そういう財産がないのだけれども、お仕事はされていて、所得能力はあるけれど、経済的な状況は大分違ってしまっているときに、2年とか3年、あるいは5年とか、お子さんの状況とかも勘案しながら、そういう扶養なり補償的な財産分与というものを、高齢の方とかもありますし、そういうときに使えるために設けておくべきでないかと思います。先程、戒能委員もおっしゃっていたように、意味付けについては納得されない方もおられますが、夫婦で、何で別れて他人を扶養する、あるいは経済的援助をする責任があるのかということの説明は、いろいろな国でそれなりに理論付けされていますから、おっしゃるように、グローバルなスタンダードで、今の婚姻とか家族の多様化を踏まえた上で、きちんとした説明が必要なのだろうなと感じています。

 それから、慰謝料については、実務ではもうほとんど別立てをしていますので、これについては不法行為の損害賠償、しかも離婚ということでの不利益を指しているのか、個別的な暴言とか暴力とか不貞とか、それを指しているのかが少し曖昧なところがありますので、調整的なお金として含めて考えるということで、法的性質は分けた方がいいのかなと思っています。
 それから、考慮事項の明示については、先ほど申しましたように、やはり一定程度判断の基準を示してルール化をしていくということは非常に重要なことだと思います。長くなりました。

○大村部会長 ありがとうございます。大きく2点御指摘を頂いたかと思います。
 一つは、財産分与の法的性質についてですけれども、清算の要素が主であるとしても、扶養、補償、あるいは慰謝料といったものについても考えていく必要があるのではないかと御指摘いただいたかと思います。扶養、補償については、お話の中で期間はどうかとか、あるいは財産がない場合はどうかという御指摘がありましたが、これらの点もなお検討する必要があるのではないかという御指摘として伺いました。
 それから、もう一つは、考慮要素を条文に明示した方がよいのではないか、冒頭に財産分与についての取決めなしというケースが多いという御指摘がありましたけれども、そうした事態に対応するためにも、考慮要素を定めて分かりやすい方向を目指すべきではないかという御指摘を頂いたと理解をいたしました。

○窪田委員 

 窪田でございます。
 これは総論部分ですので、一個一個細かく議論するというタイプのものではないと思うのですが、従来は財産分与というものについては三つの要素があるのだとされており、清算と扶養と慰謝料だとは言うのですけれども、では、それらが厳密に区別されて議論されていたのかというと、一まとめにしてということだったのだろうと思います。それについてより明確化するという方向自体は、十分にあり得るものなのだろうと思っています。 ただ、私は少し今伺っていて、かなり性格の違う問題が入っているのかなという感じがいたしました。これは基本的には、三つの要素といっても従来は夫婦間の問題として考えてきましたので、2番目の扶養というのは、飽くまで他方配偶者についての扶養をめぐる問題だと考えられてきたのだと思います。それについて婚姻の余後効としての扶養と考えるのか、もはや婚姻の効果としてはないけれども、しかし婚姻する際に、これは特に専業主婦を想定した場合には、それまでの仕事を辞めてキャリアが中断してしまっている、それを再度始めるためにはやはり一定の期間、言わばスタートアップの手当てが必要だという意味での補償ということだったのではないかと思うのですが、そうしたもの、特に補償といったような場合には、今言ったように、離婚後は扶養の関係で本来扶養義務を負っていないでしょうということを前提としての説明ということになると思います。他方で、出てきていた子どもの扶養をめぐる問題というのを仮に考慮に入れるとすると、これは離婚後であったとしても当然、子どもに対する扶養の義務はあるわけですから、その扶養義務を負っているということを財産分与という仕組みの中で反映させるのかどうなのかという問題なのだろうと思います。これは本来、子どもに対する義務ではあるのだけれども、子どもを引き取った側に対する財産分与という形でそれを実現するかどうかというのは、ここでいう清算、扶養の問題とはかなり性格の違う問題ではないかと思います。そこの部分については、もちろんそういうのを考慮要素とするというのはあり得ると思うのですが、ここでの三つの要素をどう扱うのかという問題とはかなり性格の違う問題であると思いましたし、その点を意識して議論していく必要があるのだろうと感じました。

○大村部会長 ありがとうございます。議論の性格の違いということについて御指摘を頂きました。従来、財産分与は夫婦間の財産関係を調整するものとして考えられてきており、その中で3要素があるといわれてきたわけですけれども、子どもの扶養ということを考慮するということになると、従来の議論とは違った議論になるのではないかということを十分に意識した上で議論をする必要があるのではないかといった御指摘を頂いたと理解をいたしました。これは言葉遣いの問題もあるのだろうと思います。先ほど棚村委員から御指摘もありましたけれども、離婚したときに財産が移転するという現象を一括して財産分与と呼ぶのであれば、その中にいろいろなものが入っていることがあり得るわけですが、法的に見て財産分与にあたるものと、事実として行われているものを区別して考えると、問題の性質が多少明らかになるのかと思って伺っておりました。

○原田委員 

弁護士の原田です。
 今、御意見を伺ったものと大きくは変わらないのですが、やはり私も補償的な要素というのは必要だろうと思います。実務で扱っていても、やはり先ほど賃金格差という話がありましたけれども、一般的に女性の賃金が低いのはどうしてかということを考えたときに、やはり性別役割分担に基づいて、家庭責任を負う人が長時間働けないから賃金が低いというようなところにつながっているということを考えると、そういう役割分担に基づいて家庭生活を営んできて、一方当事者がキャリアを形成できなかったということについては、やはり補償の考え方が必要なのではないかと思いますし、そうなったときに扶養なのか清算なのかということがやはり問題になってきて、どちらかというと清算的要素なのかなと私は考えるのですけれども、そうすると、後で出てきます2分の1ルールとの関係で、清算的要素で2分の1と考えたときに、その部分を入れるのか、入れないのかによって、また大きく違うので、対象財産の清算と、それと別に補償的な要素というのが考えられないと、衡平を図れないのではないかと思います。
 子に対する扶養の考慮は、確かに性質が違う問題なので、どう考えればいいかというのがあるのですけれども、子どもを引き取ったことによって稼働能力の回復が非常に遅れるという問題があって、それは単に養育費だけでは解決できない問題なのではないかと思っていて、そこをどう取り込んで考えればいいかという方法論については、私もよく分からないところがあるのですが、そういうふうに考えました。
 それから、慰謝料的な要素の問題は、棚村委員がおっしゃったように、解決のときに、慰謝料は嫌だけれども解決金ならいいという人がいて、もらう方は慰謝料的だと思ってもらっているというところがあるのですが、もしこの慰謝料的要素というのを財産分与から外してしまうと、そういう考慮ができなくなるのかなというのが若干不安なところがありまして、性質から外すということについて、外した場合にどうなるのかということが少し不安なところがありますが、実際上は慰謝料としてなかなか払われていないということはあって、慰謝料をどうしても要求するのだったら訴訟してくださいと、特にもう離婚については合意しているのですから、離婚は合意した上で地裁で裁判してください、財産分与は家裁でやってください、みたいな解決もあるので、一回的な解決のためには、こういう性格がないとしない方がいいのではないかと考えています。
 そういう考え方で、8ページのところのそれぞれについては、大体の回答になるかと思います。

○大村部会長 ありがとうございました。2点御指摘いただいたかと思います。補償ということをどこに位置付けるのかということと、そして、その中にどのようなものを盛り込むのかということが一つの問題提起だったかと思います。それから、もう一つは、先ほどから出ております慰謝料というものをどうするかということで、その要素を排除しない方がよいのではないかという御意見を頂いたと理解をいたしました。

○窪田委員 

すみません、もう個別の論点については発言しないつもりだったのですが、慰謝料に関して、解決金だったら払えるけれどもというのがお二人から出ましたので、私自身は今のお話を前提とすると、むしろやはり慰謝料は切り離した方がいいのではないかという気がいたします。どうしてかというと、現在の判例も、財産分与の中で慰謝料を扱ってもいいとは言うわけですけれども、一方で財産分与外で損害賠償請求してもいいよとしています。ただし両方ともできるのではなくて、どちらか1回ですよと言っているわけですよね。慰謝料は嫌だけれども解決金だったらいいと言って払った場合、慰謝料の請求が再度できるのかどうなのかというのがものすごく不透明になるわけです。したがって、名前の点で気になるのだったらこっちでやってもいいよねというのは、実は後々別の紛争を起こす可能性があるのではないかと思いますし、現在の判例を前提としても、財産分与の中で支払われたときには損害賠償請求できない、損害賠償請求を既にされていれば財産分与では駄目だと、後者の方は多分、訴訟の判決に関しての効力の問題として扱えると思うのですが、財産分与の中で慰謝料を扱った場合に、後に損害賠償請求できるかどうかというのに関して、きちんとした手掛かりは実はない状態ではないかと思いますので、それを避けるという意味でも、私自身は基本的には慰謝料は切り離した方がいいのではないかと考えております。

○大村部会長 ありがとうございます。慰謝料について御意見いただいているところですけれども、後に紛争を持ち越さないという観点からは、切り離した方がいいのではないかという御意見を窪田委員から頂きました。

○水野委員

 ありがとうございます。水野でございます。平成8年の民法改正要綱の作成過程に携わっていた者の生き残りですので、そのときにどのような議論がされたかを、私のおぼろな記憶ですが、少し御紹介したいと思います。
 まず前提として、先ほどからの離婚後の扶養の根拠はないという議論ですけれども、西欧法は基本的に離婚後扶養があることが前提です。離婚後もずっと扶養義務が続いていて、そして、破綻主義離婚法導入の際に、それを一時金で代替して圧縮してしまおうというのが例えばフランス法の、プレスタシオン・コンペンサトワール補償給付と訳されますけれども、この離婚給付の発想の前提になっております。そして、その背景にある考え方については、キリスト教の婚姻非解消主義の伝統など、いろいろなことが言われるわけですけれども、離婚後扶養の一つの発想の根拠は、出口のところで大きなサンクションを経済的な力のある方に掛けておかないと、婚姻中の平等が図られないということであろうと思います。
 それから、清算の方ですが、日本の財産分与は清算が主になっていますが、フランス法では、補償給付のほかに、夫婦財産制の清算として夫婦で蓄積した財産の2分の1は取られることになっています。ですから、2分の1取られた上で、残りのところから補償給付をとられますから、日本法はパラレルに考えると離婚給付はないことになります。そして、その補償給付の額は非常に重くて、現存財産の縛りもなく、夫婦の経済状態を将来にわたって均等にする給付ですから、私が調べた当時は、古い情報ですが、大体、離婚した男性の8割は全財産を渡して裸になっても足りなくて、補償給付という借金を背負って別れるという数字になっていたかと思います。今現在の数字については、調べておりません。
 日本法はそれと全く違うところから出発しております。つまり、離婚後の妻は実家の負担になるという発想から始まっております。財産分与の立法当時は、GHQの圧力が強かったようですけれども、GHQは、夫婦財産制の清算規定が必要だと考えたようで、そして当時の起草者たちは、日本の伝統にない清算という概念を言われると非常に困るので、ほかにも扶養的なものも慰謝料的なものもありますよねと、そういう説明の仕方をして、結局現行のような規定になりました。それなら清算以上の額になるはずなのですが、実際の実務は、当初は手切れ金という感覚で運用されていました。やがて実務の中で清算的なものだという理解で、徐々に中身を発展させていき、現存財産の2分の1というところにたどり着いたということになります。
 現存財産の半分という基準は、日本の状況にとっては、確かに一歩進めたものだったわけですが、平成8年のときには、やはりその基準では足りないという意見が多かったと思います。もう昔のような自営業の家が主流という社会ではなくなっていましたし、サラリーマン家庭において、月収100万円の夫とパートで10万円の妻という夫婦が現存財産を2分の1で分けただけで、別れた後の生活が公平に行われるはずはないのであって、それは婚姻中の平等にも影響するということで、より充実した離婚給付に発展していく道は、やはり残すべきではないかという議論があったと記憶しています。
 ただ、もちろん日本の場合、これらを計算するのが非常に難しいという問題があります。フランスですと夫婦財産制の清算は全部公証人がやってくれることになっておりますし、補償給付の算定についても、ほとんど実務でメルクマールが決まってくるわけですけれども、日本では、全部が個人間に委ねられてしまいます。そういう現状の中でどこまでやれるかと考えますと、現存財産の2分の1というのは一つの非常に明確な計算の仕方ではありますので、それを日本の一里塚としては大事にした方がいいかとは思います。ただ、そこから先、それではやはり100万円と10万円のカップルが別れるときに余りにも不公平ではないかと、婚姻中の平等も保ちにくくなるだろうと思いますので、私も補償的な要素というのは入れていいのだろうと思います。できれば夫婦財産制の清算とまた別に、そういう衡平を図るための給付という要素があるということは書いた方がいいかと思います。
 そして、更に少し異なることを申しますと、プレスタシオン・コンペンサトワールには、例外的な規定が設けられています。補償給付の背景は、家事育児というシャドウワークの負担と、労働市場における男女差という問題が背景にあるわけですが、これらの背景が当てはまらない例外的場合、つまり全く協力をしなかった男性、表現は悪いですが、ヒモのような場合には、適用される除外があります。実際には夫は何もせず、妻が家事育児をしながら一生懸命稼いで生活していたときに発動されるものとして、配偶者の請求権は衡平上、例外的に認められないことを許容する条文があります。日本法の場合にもいろいろな場合があるでしょうから、そういう最後の衡平の条文というのを入れ込んでおくということも、可能でしたら考えてもよいかと思います。
 ありがとうございました。長くなりました。

○大村部会長 ありがとうございました。平成8年の案の背景等について御説明を頂きました。最終的に衡平を図るための制度を組み込めれば、その方がよいのではないかという御意見であったかと思いますけれども、その前提としてフランス法の御紹介がありましたが、フランスでは夫婦財産制の清算と補償給付は別のものですので、そうした相違点もふまえつつ、日本法の財産分与の中でこれをどうするかを考えていく必要もあるという御指摘も含んでいるものと理解をいたしました。

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弁護士古賀礼子
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