注目の判決期日☆共同親権訴訟もうすぐ!最終準備書面ハイライトご紹介1
あと10日ね
よき判決を期待して、今週は、ハイライトを紹介していこうと思う
第1 単独親権制の違憲性について
1 親の養育権は基本的人権であること
(略)
以上のことから、親の養育権は、自然権であり、憲法13条が幸福追求権として保障する基本的人権であることは明らかである。
なお、人権又は人格的利益としての養育権は、現行法の「親権」制度の中に位置づけられる権利ではなく、「親権」という具体的な法制度以前の自然権であるから、「親権」の法的位置付けや内容によって養育権の人権性の結論を左右されるものではないことは注意を要する。人権(自然権)は具体的制度によって作出されるものではなく、制度以前のあるいは制度の基礎として本来的に存在するものである。
2 現状の法は親の養育権を侵害するものであること
(略)
では、現行の「単独親権制」はいかなるものか。
上記のとおり、現行法は婚姻中の父母は原則共同親権である一方で、非婚の父母は一律に単独親権である。これが一つの制度であり、「単独親権制」という。非婚の父母を一律単独親権としていること自体をまず親の養育権という人権との関係で問題としなければならないことは当然である。その上で、注意していただきたいのは、単独親権状態の父母のみを単独親権制と言っているのではなく、婚姻中共同親権状態にあるか非婚で単独親権にあるかどうかを問わず、すべての父母が現行の「単独親権制」の制度の中に置かれているという点である。
以上、あらためて、現行法の単独親権制とは、すなわち、父母間に子の養育に関する意見の対立があってもこれを調整する仕組みを一切用意せず、事実上の父母間の力関係に解決を委ねるか(これを解決というのかどうかはともかく)、当初からの単独親権(認知等の場合)及び単独親権への移行(離婚の場合)によって養育に関する決定権そのものを一人の親に集中させることによって解決する制度、である。
(略)
以上のように現行法及び運用は、父母双方の意思によらず、民法818条1項の「父母」親権の枠組み自体から外れてしまうことを許容しているものである。父母が父母であるという基本的な枠組みからも外れ、実際にも、親権者になる機会すらも失ってしまうのである。ここには、潜在的な意味においても父母の養育権の尊重はない。この点も鈴木博人教授も明確に繰り返し指摘しており(甲48、鈴木証人調書)、あまりに明白な不合理性故に、「これはちょっとやっぱり、いくら何でも自分の子ですから、自分の子が知らない間に養子になってしまうというのは、これはおかしいというふうに考えております。」とまで指摘している(鈴木証人調書5頁)。この問題は養育権侵害の重大性、明白性が顕著である。なお、同代諾養子縁組の制度は、養育権無視がその根本にあると思われるが、鈴木教授は我が国の普通養子縁組制度の「無目的」さや(同調書6頁)、ステップファミリーの親子関係について「法制度の側は何も配慮していない」「それが日本の例えば798条は、何も配慮していないので、親たる地位もそうですが子の福祉にとっても大問題」と言及している(同調書13頁及び14頁)。原告訴訟代理人が思うに、我が国は親子の権利という土台を完全に無視してきたが故に、養子縁組の制度も無目的で各都合や便宜によって構築され、社会においても、非婚の場合の別居の実父母の存在を軽視し、安易に再婚相手を「新しいお父さん」「新しいお母さん」とすることが当然であるかのような危うい認識が広まってしまっているといえる。
(略)
・・・実際の裁判所の審判内容が親子の日常的な養育関係とはほど遠いものであることが、もはや公知の事実あることから明らかであることに加え、理論的にも、我が国では、面会交流の前提や判断の基礎に親子の権利を据えること自体から、あえて目を背けてきたと思われる。平成12年5月1日最高裁小法廷決定(平成12年(許)第5号)は婚姻中においても民法766条類推適用による面会交流についての相当な処分を家庭裁判所が下すことができることが判断されたリーディングケースであるが、同解説の中で、面会交流の法的性質を「面会交流を求める請求権というよりも、子の監護のために適正な措置を求める権利である。」と結論付けられている。これは、要するに、面会交流に関する親の権利性を否定し、議論を逸らすかのように申立権はある、と言っているのである。この点、原告訴訟代理人は、実体法上の判断の拠り所をもたない、単なる訴権(申立権)だけの制度が成り立ちうるのか、そのような制度が果たして三権分立の中での「司法」作用と言えるのか甚だ疑問であり、ここにも親の権利から目を背ける傾向による歪が生じていると考えている。この点も、鈴木博人教授は、専門的知見に基づき的確に分析をしている。意見書(甲48)においても、面会交流中の親がいかなる権利に基づいて子を一緒に過ごしているのか不明確であることを指摘し、また、尋問においては、面会交流に関して「裁判所では当たり前ですが面会交流をさせてくれという調停の申立てとか、あるいはその審判ということを判断してくださっているわけです。そういった意味では当事者にとっては、そういうことを申し立てることはできますから、訴権というようなものはあるわけですよ。ところが、じゃあその訴権を基礎づける実体的な権利義務、実体法上のその権利義務っていうのは何なんですかと言われれば、いや、ちょっとその権利ですとも言えませんし、何かよく分からないですねという、そういう状態になっているということが理論的にまず1点、おかしいと。それから、実際に面会交流中に親権者でも監護権も持たない者が、何の権限で子供の面倒を見ているのか、これは例えば1時間だけ預かりましたっているのだったらば、犬の散歩じゃないんですから、例えば夏休み、比較的長時間、2週間とか面会交流で宿泊付きで交流しますよというようなことを考えたときに、このときに親権も監護権も持っていないかたが行っている子の養育ってものの法律上の権限っていうのは、いったい何なのかということをおかしいというふうに、そういうことです。」と指摘している(鈴木証人調書6頁及び7頁)。
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