子ども代理人弁護士 はじめる!
忙しい
それほどな意識もなかったけど、先月は、相談ハシゴや、期日ハシゴがあって、その辺のことが響いているのか
ひとつ新しく始まり、ひとつ区切りを迎え、そして、またひとつづつ
そうやって、8月が終わった・・・
今日から9月!
9月は、議事録読もうよウェビナーもあるし、共同親権研究会西東京チームもあるかな?子育て憲法セミナーもまたやりたいー
そんな忙しさの中も、夢描く思いつきというのも止まらない
子ども代理人
各支援機関においても、「子どものために」はありがちだけど、どこか、支援者の立場の思惑?が見られるような、なかなかありそうでなかったような気がする
(「子どものために」は、それによって、親たちをコントロールするのに便利な呪文である)
思いつきなようで、すでに実践例があるのは知っている
ただ、人知れず、なところもあるし、あまり浸透しているとはいえない
共同親権なら当然、そうでなくとも、父母からの依頼を受けて、弁護士が、子どもの代理人に就任すると、それによって、面会交流支援の機能を担うことができたりする
弁護士だから、父母双方と連絡調整も可能である(非弁規制に触れない)
子ども代理人だから、依頼者は子ども!
子どもの利益を最大化するためにいるので、親からの依頼を受けて利益相反的に衝突するものでもない
子どもからしたら、寛容な親に親和するからこそ、親同士は寛容性を競いあうことに期待することができる
自ずと寛容な両親の下、健やかに育っていくことが実現しそうである
子どもの手続代理人制度がある
家事調停事件において、子どもも一当事者として期日に参加して意見をしていく、そのために弁護士が代理人となって手続に関与することが可能になる
子どもの権利条約にいう意見表明権の具体化といえる
すでに制度として導入されながらも、なかなか活用例が伸び悩んでいる
ネックになっているのは費用だったが、その点は解消されるようになった
一応、子どもの権利委員会などの研修を受けた弁護士が候補者となったりして、適正な人材の養成も進んでいるはず、だ
しかし、なかなか進まないのは、家庭裁判所調査官という裁判所内にいる専門職が同様の機能を果たしていることもあるかもしれない
調査官の関与には、調停費用以上の費用はかからないし、心理学等法律以外の専門素養もある
ただ、活動時間帯が平日日中に限定されるという点は使い勝手が悪いかもしれないが、たとえ遠方でも、出張にいったり、遠隔の裁判所に委託のようなカタチで連携して調査するようなこともある
批判の声があることも知っているけど、意外に調査官調査結果が果たす成果などに信頼ができる点もあると考えている
やはり、児童心理的な面に知見をもって配慮を尽くせる調査官に敵わない面もあるかもしれない
あえて、子ども代理人弁護士としては、あくまで、子どもの代理人として、子どもの権利の実現、子どもの利益の最大化、子どもの個人としての人格の尊重に専念するという特徴を前面に出すことでかえって意義を見いだせるかもしれない
通常の意見聴取等については、子どもと直接会って、会話をして、ということもしていいかもしれないが、あくまで、過信せず、発言の代弁という事実としての意味はあっても、その発言に至る経緯を振り返り、将来的な展開における意義については慎重に判断すべく、その点は、やはり、調査官調査の関与と有機的に連携することが望まれるように思う
子どもに責任を負わせない
子どもの権利の尊重は、子どもの意思に委ねるということとは全く別である
ここを意図的になのか混同する立場もあるように見えるけど、危険である
パパもママもは子ども目線
だから、共同親権
パパのことも、ママのことも好きな子がいる
しかし、パパとママは不仲になって、とても一緒には暮らせない
3人で仲良く一緒に住むということを本気で夢見る子どもがいるが、悲しいかな、不可能な願いを持ってしまうことがある
それでも、3者一緒ではないものの、パパともママともそれぞれ交流を持てるのであれば、両親からの愛情と責任を享受して育つということが叶うだろう
そうはいっても、より痛ましいのは、両親双方のことが好きゆえに、板挟みとなって苦しんでしまうことがある、ということだ
父といれば、父に喜んでもらえる言動を、母といれば、母に喜んでもらえる言動をしていく、というのも、親から愛されたい子どもの本能として自然なことに思う
客観的に見れば、矛盾しているようなことも起こってしまう
しかし、決して、子どもの嘘を責めてはならない
矛盾している言動なのだから、突き詰めてみれば、どこかに嘘がある
嘘をつくことに親としては非難的な感情を抱くのも、これも自然だ
つい、嘘を招いた他方親のことを責めたくもなってしまうだろう
そこは、冷静に受け止めて、板挟みにさせて苦しませている、ということに気づき、その苦悩を解消できるように努めたい
子どもは、親に愛されたいだけなのだ
そう思うと、事実を正確に評価して語る、という誠実さよりも、親に好かれたい、そのために誇張や、事実と誤った表現に至ることもあるだろう
でも、それは、愛されたい本能に基づいた、ある意味最大限素直で正直な気持ちによる、ともいうことができる
すなわち、嘘までつくことがあっても、それだけ、正直ということになる!
そもそもが、事実を正確に評価して語ることが、大人にだって難しい
完璧にできることばかりでもないのである
まして、幼い子どもだったら・・・理想や夢があふれる余り、空想を語ってしまうのも無理はないし、文脈によっては、可愛いで済んでしまう
とはいえ、父母が不仲に陥り別れて暮らすなんていう、人生において危機的な状況に直面したら、普段なら可愛いで済ませられる空想物語力が残酷に働くことだって起こってしまうだろう
その現象を表面的に捉えて、その子の人生に影響を及ぼしかねない重要な決定をしてしまうことは、幼い子どもに責任を負わせることになってしまう
それが、子どもの権利の尊重といえるのだろうか?
もちろん、子どもの心情には十分に配慮する必要があるし、無理強いをしてはならない
そうはいっても、観念的には、そもそも、子どもというのは、両親の下に産まれてきて、両親に愛されながら育つもののはずである
その視点を、子ども代理人弁護士は、忘れてはならない
じゃあ、親が不適切だったら、虐待親だったら、どうなのか・・・
そういう反論がかんたんに飛び交うだろう
もちろん、子どもの安全な成長も当然守っていかなければならない
しかし、子どもはそれでも親を慕うのである
虐待する親、客観的には不適切な親のことを子どもだから求めるのである
その気持ちを無視して、危ないから、といって親と引き離す、これが子どもの権利なのだろうか?
十分に配慮をしつつ、安全を確保しながらも、子が親を慕い、親に愛される機会を守っていきたい
失敗する親を責めるだけでは、決して子にとって嬉しいことではない
たとえ第三者が、「子どものために」、虐待親を責めようが、その子どもが、親を庇い秘匿することだってあるのである
他方、親を見限り、否定する子どももいるだろう
賢さがそう割り切らせることもある
その言葉に甘んじてしまうことも慎重にならねばならない
それだけ、子どもの心情や表現は複雑で、短絡的に決めつけてはならないのだと思う
子どもは、父母の対立を望まない
まして、自分の奪い合いのために、父母双方が険悪な表情で喧騒が続いていたら?自分さえいなければ、と自己否定感情にのみこまれかねないだろう
愛されながらのびのびと育っていい
まさに、子どもの権利は、これに尽きる
愛される存在であること、それが子どもの権利だ
養育環境について、子どもが困ることがないよう、父母ができる範囲で、各々養育責任を分担し、環境整備を努めて欲しい
養育にかかる費用や実働の分担については、建設的な協議が望まれる
父母双方の状況を踏まえた養育計画の策定とともに、その遂行が子の年齢や心情、生活実情と折り合いがつくか、という観点で、三者で定めていくのが望ましい
その一方で、離婚に伴う、財産分与、慰謝料、年金分割、、、要は、お金に関しては、はっきりいって、子どもには無関係なことである(扶養的要素が含まれるので、隣り合わせのように考えられてはいるが)
財産分与で揉める、ことも、子は望まない
養育環境に関する協議ではないものとして、区別はされるが、離婚に伴うテーマとして、揉めるか否かが結局、養育環境のありように影響を及ぼしかねない、となれば、子どもの目線からしたら、一言、揉めるな、である
財産分与で揉めないためには、あらかじめルールがあり、そして、過去の清算として割り切れるお金の話なのであるから、そのための婚姻中の費用分担から風通しよく、話し合えることが理想である
お金の話ができる夫婦は円満
そもそも離婚しないかもしれないが、仮に離婚する場合でも、お金の面で、透明性があれば、実は揉めない(金額の多寡を問わず)ような気がする
あまり複雑になると、どうしても、夫婦双方に代理人が就いて、主張を尽くす必要があるかもしれない
それでも、予防策を尽くし、透明な状態であれば、財産分与で揉めすぎずに解決することも不可能ではないと考えている(そもそも子育て世代の蓄財自体が難しく、分けるのは、学資保険だけ、ということもあったりする)
新時代の子育て世代の離婚モデル
今まで、離婚といえば、夫婦双方に代理人をつけて、対立する立場で、主張を尽くすことで、文字通り焼け野原になるまで争うようなこともあっただろう
養育環境にとって最も不適切な父母の高葛藤も引き起こしやすかった
子ども代理人の活躍(財産分与については揉めないための予習と早期解決が重要)が、葛藤を回避した早期解決を叶えるのではないかと夢描く
葛藤を下げる以前に、避ける
子どものために葛藤を下げる、という議論もあるが、その前に、そもそも、なぜ葛藤が高くなってしまうのか、という点に立ち返ると、課題が見えてくる
気づくことで、そもそも葛藤を高めない(うまくいくと、離婚さえしない?)ということも可能である
しかし、だ
大切なわが子を愛するがこそ、
父母を親権者と非親権者に分断することによって、葛藤が生まれる
単独親権制が問題であることがわかる
離婚に伴い、必ず、父母の一方だけを親権者に指定する
それをしなければ離婚できない仕組み
単独親権制の撤廃が、葛藤の回避を叶える
子どものために、共同親権
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