子どもが会いたくないと言い出したら?→同居親にとってピンチです!!
応援したい共同親権プロジェクトのこととか
明日に迫ったセミナーの告知と
伝えたいことはあれど,本日は表題をテーマにする
子どもが会いたくないと言い出したら?
離婚後子育て現場で見られがちな景色である
裁判所は,子どもの意思にも配慮するから,子どもが別居親との面会交流を拒み始めたら,元々消極的だった同居親の意向に沿った展開が期待されるのかもしれない,という誤解をするのか,勝ち誇ったように?「子どもが会いたくないと言っているんで」という連絡をよこすことがある。
→で?と返したい
子どもが会いたくないと言い出してしまうのって,とてつもなく大ピンチである
誰にとって???
→同居親にとってピンチです!!
↑この要約として,表題となった
子どもが会いたくないといった瞬間,裁判所で取り決めた調停調書や,確定した審判調書の債務名義が無効になるわけではない
面会交流を認める債務名義は,具体的でなければ間接強制が発動しないものの,抽象的であっても,面会交流をすることが認められているものであれば,その不履行については,損害賠償請求を招きうる
履行勧告,再度の調停,審判・・・第2ラウンドの幕開けである
パパに会いたいを臆せず表明するわが息子には,この点において悩まされることはなかった
その気持ち,親として応援してあげたいというわかいやすくシンプルな気持ちになるし,実際,私の中に妨げたい感情が芽生えたことがあったときには,それを克服するために苦しんだこともあったけども,それはサポートを得て乗り越えられるものであった
親の責任として,面会交流に協力するという法律上の義務を負う上で,わが子自身が面会交流に前向きであることは,どれだけ助かることだろう!!
そうではないケースのご苦労も蔓延していると思うと,気の毒である
行きたくないと言ったら不登校を放置するのか?
面会交流は子どもの利益になるものとして一般的に用意されているもので,義務教育の学校に登校するのと似ている
裁判所でも同じ説明で語られることが実際にあった
子どもにとってよいものだと大人が考え,法律でも決められ,裁判所を通じて義務づけられているものだから,子どもの意思だけで決定していいほど,子ども様に隷従するものでもない
それはかえって子どもの福祉に反しかねない
親子が離れて暮らすことは,それだけ親子関係を構築・維持する上で脆弱であり,リスクを抱えているということを受け止めたい
片親との関係を喪失していくのは,ひとり親家庭の困窮状態のひどさからするとリスクであることは自明である
いかに,両親双方との関係を維持していくかが,率直にいって,生きやすさとも関連していく
親がなくとも育つことはあるにしても,親から享受できるものは無限大の財産がある
とても養育費だけの矮小な資産にとどまらない
親の愛情,生き様,考え方,寛容性,誇り・・・親と接してこそ学び得る価値がある
あるいは,親のスキルを超えて身に着けるものがあることもあるが・・・それも結局親が用意する縁の賜物だったりする
私は,泳げないまま苦労したが,息子は幼稚園からスイミングに通い,いつも楽しそうだった
バタフライの泳法まで身に着けて,小学校6年生まで続けたが,その間,学校から時間通りに通うことがめんどくさいと思うこともあったのか,遅刻したりさぼったりしていたようなこともあったようだけど,でも,まあよく通った
惰性でやめることを許さなかったので,ケジメのあるところで区切りをつけて,唯一のスポーツだったスイミングで培った体力で何とか野球部デビューを果たしているように思う
ほとんど自分で通うようになったものの,当初は送迎していたころ,せっかく親としては,水に慣れたり,泳げるようになって欲しいと願いを込めて,入会したスイミングに泣いて抵抗する小さなお子さんがいらした
とにかく嫌なのだ
わかったから,退会はするけど,今月の料金分は返ってこないから,せめて今日だけは泳いできてよ
大人の都合だろう・・・
子どもは時に残酷なほど無慈悲である
大人のゆうとおりになるものではない
わざとらしく,大人のいうことには全部反対してみたりすることもある
それだって,とても愛おしくって,笑っちゃえるくらいに子育ての余裕があればいいのだけど・・・
状況が許してくれないことだってある
子育ては大変,だ
実際,本当に会いたくないという気持ちで面会交流をする時間って辛いだろう
悪態の連続,もう帰りたい,ママがいい・・・
姿が見えた瞬間,はち切れんばかりの笑顔で駆け寄って,飛びつき,会いたかったよーみたいな感動の再会・・・ばかりなわけがない
もっと会いたいと,まだ帰りたくない,といって泣かれるのもこれも辛い
どっちの立場の親でも,だ
パパとママが別れて暮らすことになって,別々のおうちになるということを素直に受け入れ?しなやかに,生き抜くことができる子もいる一方で,繊細に傷ついていく子もいる
どっちも愛おしいじゃないか
基本的に,面会交流を通じて,親子関係を継続しておく価値が客観的に存在する
義務教育の学校に通うことと同じかそれ以上の価値であることを社会も知った方がいい
ものすごく喜んでいるわけでもない面会交流を続ける価値って何なの?めんどくさい,っていう思考になりがちだけど,それを言ったら,学校や,お稽古の類全般を全否定することと同じだろう
舌足らずで未熟なお遊戯会でヘマやって,それでも全部が愛おしく成長を愛でながら,将来の無限大の可能性に夢を馳せる
みんながみんなプロのピアニストになるわけではないのに,一生懸命練習に取り組む・・・大した楽曲ではないなのに,さ
学校の授業・行事・クラスでの役割,,,どうせ大した意味を持たないだろう,でも人生の礎だったりする
両親との親子関係を育むことで得る2本の命綱が生きる助けになる
第三者による精子提供によって生まれた子どもの立場の方の語りが,突き刺さる
十分に恵まれた養育環境で,教育も充実していても,だ
親がわからない,ということは,自分がわからないということ
宇宙に放り出されたような,足元が揺らいでいく辛さ
面会交流は,まずは,そうした状態を脱することを目的として,支援機関が携わっていると思う
しかし,だいたいは,そのレベルを超えていくので,齟齬がある
親を知ることはできているから,いいだろう,と劣悪な環境での交流を強いられると,わが子を想うあまりかえって会うことを躊躇い,結果疎遠になることも起こりうるわけだ
もう少し,現実的に,親子関係を良好に形成する価値について言及しよう
紆余曲折を経ながらも,別居する親子が遠慮のない親子関係を形成できた例では,別居親に対して,留学や塾に通うことへの支援を直接お願いできたことがあるのを少なからず耳にする
これに応えらえる別居親であれば,子どもの夢に向かった選択肢はさらに拡大していく
この直接相談できる関係性が形成されていなかったらどうなるか?
ひとり親家庭の子どもたちが,不登校に悩む例を散見したとき,ある意味やむを得ないことも想像してしまう
中学校の後半にもなれば,将来の進路を考えることを余儀なくされる
子どもながらに,親の状況を見てしまう
円滑に話し合いができるならばまだしも,遠慮もするかもしれない
夢を描くことさえ諦めてしまうかもしれない
その辺りの絶望的な状況については,先月のランさんの講演からもリアリティある実情として想像できる
子どもが会いたくないと言ったといって面会交流をやめて,親子の分断を引き起こし,しかし,数年後には,養育費(教育費)の分担を請求することができるのか,それは,法制度以上のハードルがあると思うが,何より,進路について,一切の相談もなく,了解もしていないものの支出については分担を求められても応じることはできないといった姿勢が十分に想像できる
泣かされるのは子どもだ
教育費の分担について,裁判所での手続きを利用して解決できるだけの余裕があればまだしも,実際は目の前にそれだけの余力がなければ,進学をあきらめざるを得ないという判断をすることだって多いだろう
貧困は連鎖していく
学力格差が経済力格差を招く
ようやく社会人デビューを果たして早々借金を背負った状態にある若者だっている
しんどい
子どもが会いたくないと言い出さないことを第一に願いたい
そのために,送り出す側の同居親としてできることは多いはずだ
といっても,面会交流の時間自体がのんびり楽しくのびのびと子どもらしく過ごせる時間を重ねていれば,私の経験上,送り出すことに困ったことはない!
それだけの時間を用意してくれた別居親には感謝したい(エアだけど)
会えたこと,楽しく過ごせたこと,これらは本当に良かったね,また会えたらいいね,と前向きに送り出しつつ,私は経験しなかったけども,もし面会交流時間中に不適切なことがあれば,ありのままの情報共有ができるようにしておく余裕も必要だ(傘の置き忘れがあったな・・・無事回収して解決したけども・・・これも,エアで解決)
それでも,万が一,不適切な状況にあると気づいた場合には,シンプルに不適切な状況の除去・解消を図ることが望ましい
そのための客観的な情報収集も大切になる
会いたくない,だけでは,その経緯が不明であり,どういう経緯にあるのかの確認が重要である
ここの説明が欠落して,しかも,同居親自身が,消極的な感情を持っている場合には,何を言われかねないか,想像できるだろう
会いたくないと言い出したとしても,同居親としては,会っていくべきだと考えているという姿勢を貫くことが有利になる
明らさまに不適切なことがあれば,当然抗議するにしても,それが難しいときには,自衛のために合理的な戦略を講じなければ,不利な状況に追い込まれかねない
会いたくないと言っている,会わせたくないといった感情のままに追い込んだ果てに,親権者変更が行われた審判例だって実際にある
裁判所での展開はともかく,子どもに生きづらさを背負わせることがあれば,それ自体不幸であるし,両親が離婚したことで,子どもがハンデを負うようなことは絶対に避けるべきだ
また,子どもの意思で家出をして,親権者変更が行われる例もある
こうなると,形勢逆転,単独親権制は無慈悲である
子どもが会いたくないと言っていることを自己に都合よく流用したつもりで,結局子ども様への隷属関係を招いてしまったら,その先の子育ての苦労はどうするのだろう
子どもが反発するのが想像でき,同居親の指導教育も応じられないことになれば,結局苦労する子育てを抱え込むことになりかねない
勉強が嫌だといっているから,勉強しないことを不問にするのか
学校に行きたくないといっているから,不登校を不問にするのか
ひきこもりの問題も深刻である
離婚したいと思うのは自由にしても,ひとり親家庭のリスクを真剣に受け止め,子どもに負担を背負わせないように配慮することが大切である
離婚して離れて暮らしも養育したいと願いそのために粘り強く行動する親というのは実は少数で,多くは,これ幸いと養育責任から逃れて,子どもの福祉を置き去りにしながら人生を前進させていく
面会交流を求め続けるよりも,無慈悲ではないか
面会交流の罰則化等の強化ではなくとも,諸外国が潤沢な面会交流を実現していくのは,そういう子ども泣かせの無慈悲な親子分断を避けた方がいいと社会的に理解が周知させているのもあって,そもそも会わせないということをしないことにある
もっと会っていっていいよ(ともすれば,押し付け合いになることさえもあるらしいが)と自然とたどりつく
子どもが会いたくないと言い出す状況なんて,およそ想像できないだろう
会いたくないというより,不適切な事態があれば,○○が嫌だった,と具体的に語るのではないだろうか?子どもなりに
励ましにも,毒にもならないけども
子どもが会いたくないと言い出したときの子育ては,お気の毒すぎて,ご苦労様と伝えたい
パパに会いたいと言えるくらいにたくましく育ち,同居親に依存することなく,別居する親子関係が自立していくと,こんなに楽なことはない
安心して見守っていけばいいだけだ
そういうことを考えながら,渾身の発信をしていたところ,新法相の所信表明
子どもに優しい国になろう
下記オマケ
懐かしい記事を発掘
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