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”話合い”という誤解

訴状を読んでいるけど,共同親権弁護士なりに,離婚危機に直面している現場で見られる話し合いへの期待という誤解について論述する

子の連れ去りに対しては,世界から批判を浴びているし,子の養育にあたっては,緻密な養育計画を策定し,協力していくことが望ましいという理念を肯定するとして,そのことと話し合いの関係が,どうも誤解を招いている

緻密な養育計画を離婚時に策定することを義務づけ,そのためのサポート体制も用意されているのが,共同親権制だが,その結果,離婚することになった元夫婦が話し合うということがないことが一番の魅力なのである!!

話し合って決めることができるのは,円満な父母の特権ともいえる

だから,単独親権制で規制なく丸投げしても,共同養育が実現する場合があるのである

共同親権制では,話し合いができないほど不仲になった父母でも,共同養育を実現することに価値がある

そこには歩み寄りなど要せず,親としての責任を各々が独立して全うすればいい

共同親権の時代を迎えるにあたっては,共同親権下における話し合いの位置づけを正確に理解した方がいいし,そうしないと,高葛藤ケースに,話し合いを要する共同養育の価値をいくら示したって,アレルギー反応を示されて受け入れられないのがオチだろう

まずは共同養育,の誤解

共同養育が普及してから,共同親権制を整えていくというルートを描かれていたのやら,この問題の足踏み状態の歴史を振り返ると,専門家不在の中で,遠回りを余儀なくされていたように思う

共同養育はハードルが高い

法律婚の尊重が謳われ,特権が付与される婚姻を終了しようとする離婚を決意するほどになれば,日本の夫婦の離婚は,男女関係の破綻度でいえば,世界の基準からみたら,ずいぶんと悪化が進んでいる状態といえる

破綻主義の世界では,もっと軽く離婚していくので,父母としての協力関係に移行しやすい

日本では,その程度の関係性ではあえて離婚届を出すまではしないで,家庭内別居や仮面夫婦として,長年のセックスレスということも多いのに,なんとか協力して子育てすることがよくある

その辺のことは,すでに,図で表現してみた

世界と比較すれば,離婚と呼ぶポイントがずいぶんと遅い(乙)から,乙以降の破綻した父母が離婚前後で負う傷は重くなってしまう

離婚すること自体に疲弊した状態で,しかも,共同親権制がないから,自己責任で子育てのための協議を都度行わなければならないとなれば,どれだけの負担だろう

どんなに子どもにとって利益だということの理解があっても,負傷した状態では,結果として親子断絶を引き起こしかねない

婚姻するだけの間柄だったのだから,一時は,話し合いで済んだことは経験してきているのだろう

その話合いが,真実お互い対等に納得する連続であれば,たぶん,お互いの自己肯定感が高いまま,良好な関係が築かれていったかもしれない

実際は,話し合いと呼びながら,一方的な希望を実現させ,知らない内に他方への不満を蓄積させているといったことだって起こりうるから難しい

好きの搾取だってある

夫婦円満だからこそ,甘えていたことが,実は負担の偏向を招いていく

早期に,搾取だと指摘してくれることが,どれだけ愛情深いだろう

夫婦としての愛,そして,自分を大切にすることを忘れないこと

養育計画を策定して,協力して共同養育をする価値に共感したときに,このとき搾取していたかもしれない無頓着だった話し合いと混同することがあってはならない

養育計画策定協議と,期待する話し合いが実は全く異質かもしれないことに気づく

ほうれんそうは古く,かくれんぼう(確認・連絡・報告)の時代になったらしいが,要は,相談が淘汰されていった

離婚後はビジネスライクな関係へ,ということもあるから,なおさら,時間がかかる相談のようなことは避けた方がよいということになる

話合いという名の搾取(時間を奪うし,意見が合致しないときの妥協を強いることもある,好意によるのかもしれないが,妥協の連続は,屈辱感を残す)が関係性の不和を招いたことを自覚の上,離婚後も共同親権,といっても,婚姻中のそれとは異質なものになることをよく理解しなければならない

専門家のサポートを得ながら,子の年齢や養育環境を踏まえて導かれる養育計画を確認し策定する

その内容に従って,各々の養育義務を遂行する

養育費送金もそうだし,面会交流の実施も親の義務だ

養育計画を遂行するにあたっての話し合いは一切不要である

せいぜい,連絡と報告はあるのかもしれないが,養育計画を変更する協議は,養育計画の前提となる事情の変更のある場合に限定され,限られた頻度で,気軽に,ではなく,やはり専門家のサポートの中で,慎重に協議することになる

変更された事情をもとに,標準的な養育計画の変更がやはり導かれるので,個人の意見や希望を交換することもない(事情の変更の有無に関する意見の主張は尽くされるかもしれないが)

具体的な計画があるからこそ自由になる

それが離婚である

子どものことを考える,程度の抽象的な指針だけでは,都度,協議を要すること自体が煩わしい,時間も拘束され,精神的にも負担となって,コストがかかるから疎まれていく

ここの誤解があるから,共同親権になると離婚ができなくなるといった指摘にもなる

これを期待して,共同親権を語ることは,共同親権制の妨げでしかない

言葉は難しい

共同親権と言っている意味が全く異なる

離婚してもパパとママ,だが,離婚はしているのである!!

共同親権制の効用

婚姻中の共同親権が,そのまま離婚後に延長されるものではない

そういう制度が求められているのではない

そうではなく,離婚後も共同親権が可能なような法制度を用意することで,それが,婚姻中の共同親権による養育にもずいぶん役に立つのである

離婚した関係の父母の協議が必要になれば,標準化した養育計画が導かれることを,共同親権制が用意すると,これが,婚姻中の父母の養育においても参照され,話し合いという名の搾取を回避することが期待しうるのである

あまりにも,ブラックボックス化しているゆえに,各々の希望が対立したまま放置され,それが夫婦の不和の引き金になることもある

子育てに関しては,お母ちゃんに決めてもらい,全部従うし,応援する,そのための費用の捻出については,全部父ちゃんが負担する,というパターンも許されてきたのが昭和・平成の日本だろう

令和になって,父親も子育てをするようになると,意見を持つようになる

母親の子育てと合致する限りは問題ないが,多様性のある子育ての選択肢は幅広く,迷いを招きかねない

習い事の選択すら意見の対立を引き起こしかねない

子どもが大成するには,ある意味,この困難な協力体制を構築し,息の合った,まさに父母の二人三脚がうまく機能したとき,ビッグなチャレンジをも成功させうるかもしれないというほど,子育ては実は難しい

にこにこと身の丈にあった生活の中で,生活力を身に着ける程度であれば,比較的誰もが達成しうるかもしれないが,子を想えばこそ,欲があるのも親心だろう

たくさんの経験をさせて,健やかに成長して欲しい

その気持ちは合致しているかもしれないのに,目の前の暮らしの中で,大切なものが見えなくなってしまうこともある

子どもを思いすぎて,夫婦の間に溝が深まることもある

どんなに高額な教育費をかけようが,習い事に精を出そうが,両親が仲良くいることに勝る教育はないかもしれない

離婚するほど,男女としての愛情がない場合だからといって,ケンカをしないことはできる

マナーのある他人の関係に変わることも,離婚の意義に思う

夫婦のときのような話合い(といって搾取の場合を含む)は,共同親権制になっても取り戻せないのだ,ということをよく理解の上,話し合いを理想とするのであれば,それが搾取になっていないよう,最大の配慮と手続き(事前・事後等)の仕組みの用意を心がけた方がいいということになる

知恵と努力で,愛は守れる

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弁護士古賀礼子
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