赤石でございます。度々発言させていただきありがとうございます。しんぐるまざあず・ふぉーらむの赤石です。第2のところから幾つか、主に監護者指定と監護の分掌のところ、それから養子縁組のところをお伝えしたいと思います。
監護者指定は、一律には指定しないということで要綱案が出ております。これに対しては幾つかの異論があっても、要綱案は指定しないということで出ているということを認識しております。私の意見は違うのですけれども、しかし、指定しないというところでどのようにした方がいいかということも述べておいた方がいいと思いますので、お伝えしたいと思います。第2の3のところでございます。大分補足資料のところでいろいろなことが書き込まれていて、私もなかなか理解があれだったのですけれども、幾つかのまだ討議されていないところがあるのかなと思います。
まず、裁判所経由で双方の親権、共同の親権が決定したケースで、監護者の指定を行うかどうかについての議論、あるいは場合としては、協議離婚で共同の親権を決めたと、それでそのように届け出たと、そして、やってみてやはり監護者の指定というのが必要だということで、調停なりを申し立てたというようなケースは結構考えられると思っております。こういったときに、裁判所経由で共同の親権を決めていないケースには、双方で決めているのですけれども、やはり無理やりの決定というようなこともあるので、DVケースというのが入ってくる可能性がどうしてもあると、こどもに不利益があることを最小限にとどめなければならないというようなことがあるだろうと、こういった場合には、やはり親権の定めのところにある第2の2(1)キの条項は、監護者指定のところでも適用されるという理解でいいですかという質問、あるいは適用された方がいいですよねという議論でございます。
同じように、共同親権になった後に、それは裁判所で決めたのだけれども、監護者指定を必要として申し立てる、あるいは、まだ離婚が成立していなくて、DV被害者であるけれども家を追い出されてしまった、あるいはこどもを被害者の方が連れ去られてしまったというようなケースでも、監護者指定の申立てをしたり、引渡し請求をしたりするときにも、この第2の2のキですかね、これが考慮要素として適用されるという理解で良いのかというようなところでございます。
もちろん親権を決めるときに、キがあったとしても、DVケースというのが紛れ込む危険もありますので、そのときにも監護者の指定が必要であると思って後から申し立てるときにも、この同じ考慮要素が適用されるべきではないかというような意見です。伝わりましたか、すみません、何かごちゃごちゃ。
次が監護の分掌についてなのですけれども、いろいろもめるときに、監護の分掌にして、例えば高校進学に関する件とか、あるいはお子さんの教育に関する事項とか、こういったことは分掌をするというようなことを、監護者指定全般をするのではなくて、その中の一部だけ分掌するような例が幾つか補足資料で挙げられていると認識しております。前回も言ったのですが、監護の分掌を第766条に書き込むということになりますと、やはりそこが何か非常に、今後進められてくるのかなと思っておりますが、それについてはやはり、例えばどこまでが教育に関する事項なのか、特定事項として考え得るのか、あるいは高校進学といっても、では中学1年、中学2年のときの塾に行くのは一体どちらになるのかとか、こういったことがあるので非常に技術的にやりにくいと思いますので、私は監護の分掌が第766条に書き込まれることについては相変わらず慎重です、ということでございます。また、裁判所の方の御意見の中でも、やはり事項で区切ると非常に難しいですねという議論が前々回、前々々回ぐらいにおありだったかと思います。
期間の分掌については、ある程度あり得ますねというような御意見もあったかに思います。ここについても懸念を一応表明しておきたいと思います。これについては、アメリカの離婚家庭におけるこどもの心理学的な追跡調査をしたウォーラースタインの名著がございます。私が最初に21年にそれの抜粋の資料を提出させていただいておりますけれども、それでも僕らは生きていくという本で翻訳されております。今は絶版になっておりますけれども、先日聞いたら、法務省の方も余りお読みになっていらっしゃらないということだったので、少し残念に思っております。この書は、面会交流あるいは共同親権を進めた心理学者が、25年後にこどもたちの更なる追跡調査をしたときに、やはり弊害が出ているということをまとめたものでございます。一定期間の親子交流を裁判所で決められたこどもたちは、成人した後、例外なく別居親を憎んでいた。そして、友達のいない、育つ環境がないところで、夏休みとか一定期間、長期間過ごさなければならないことについて、本当に泣いて過ごしていたというようなことがありました。ですので、期間の分掌というところでやるのがいいのか、それの弊害も見据えて、やはり親子交流の規定というところでやっていくべきなのではないかと私は考えております。
それとの関連で、これは少し挟み込んでいるのですけれども、12月の後半に共同通信が、2017年に伊丹での面会交流時に起こった、そのときは面会交流といっていたのですが、無理心中事件のお母さんを取材した記事を出しておりました。4歳の侑莉ちゃんですかね、離婚後に自由にお父さんと会っていたのだけれども、しかし要求がすごく激しくなってきて困ったところで、一旦停止していたと。それで、別居親の方から裁判所に調停が申し立てられて、もう一回調停をして、月に1回ということで面会交流が決まった第1回のときに、お子さんが戻ってこなくて、殺されていることが発見されたという事件でございます。なぜこんなにかわいがっていたこどもを父親が殺したのかということは、お母さんにとっても非常に納得がいかない、何でだろうとずっとこの、2017年からですから6年間、考え続けてきたということです。お子さんもお父さんに会うことを楽しみにしていた。お母さんとしては、楽しみにしているこどもをお父さんに会わせたいと思って面会交流はやっていた、しかし事件が起こってしまったわけです。
一体私たちは今回の法改正で、そういう事件を防ぐことができる立て付けを作っているのかどうかということが問われていると思います。私たち全体がこういった事件を防ぐだけの仕組みを作れているのでしょうか。記事によりますと、法務省さんに、こういった事件については法制審議会で検討されているのかという、どうも質問をしたかのような記事、文章があったのですが、これは例外的な事例であるから検討の対象ではないというような文章が載っておりました。例外なのでしょうか。アメリカではこれまでに親子交流で400から500件、正確な数字は忘れましたけれども、有名な事件はカリフォルニア州のピキちゃんは、やはり親子交流で親から絞殺されております。こういった事件を防げる立て付けになっているのか。
お母さんはずっと悩み続けているわけです。今生きていれば10歳になっているお子さんがどうして命を奪われたのか、やはり自分に対する攻撃だったのだと思いますとお母さんは言っているのです。愛する一番大事なものを破壊することによって元配偶者に対する攻撃をする、こういう心情がいろいろなところで起こっている、このことを私たちは防げるのでしょうかということです。保護命令は出ていないのです。だから、先ほどの第2の2のキのところで防ぐというのはなかなか難しいのかもしれない。そのときにどういう手立てで防げるのですかということが、やはり議論がもう少しされるべきではないですか。少なくともこどもの命が懸かっていることになる。母親を攻撃するためにこどもを殺すという、間違った行いですけれども、起こっていることをどう防ぐのかということが、この監護のところと併せて検討されるべきであると思っております。私は責任として、これを言わざるを得ないと思っております。
次に、養子縁組のところです。これは簡単に申し上げます。子連れの再婚の養子縁組に関しては、家裁で調停審判をするときに、子の利益に特に必要と認めるときとありますが、特に必要と書かなくてもよろしいのではないかという意見です。
○大村部会長 ありがとうございます。赤石委員からは、大きく分けると2点ということだったかと思いますが、監護者の指定と監護の分掌についての御意見、その中で、裁判所が共同親権を決めた場合と協議で決めた場合を経路として分けて考えた方がいいのではないか、特に後者の方について問題が現れる可能性が大きいという御指摘をいただきました。そのときに、部会資料の35-1の2ページから3ページに掛けて出てくるキの基準を、これは親権者指定ということであればそれを適用するということになりますし、監護者を指定するということであると、この考え方でやるというようなことになる。そういう方向で考えるべきだという御意見だと受け止めでいいですか。
○赤石委員
というか、法律上準用されると考えていいですかということも、少し質問に含まれております。
○大村部会長 御意見としては、そうなるべきだということですね。
○赤石委員 はい。
○大村部会長 それから、それとの関係で、キのようなものがあったとしても出てくるであろう問題についての御懸念を示されたと受け止めました。そして、もう一つの問題として、養子縁組については、特に必要なという部分の、特には要らないのではないかという御意見だと受け止めました。
戒能委員、池田委員、石綿幹事、それから、原田委員も手が挙がっていますか、それではその次に原田委員という順番で伺います。ほかにも、佐野幹事ですね。