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法制審家族法制部会第14回会議議事録7~落合委員・大石委員・沖野委員

○北村幹事 1点目の点ですけれども、26ページの(注1)のところに少し触れさせていただいております。通常、法律上は日常的な事項まで父母双方が関与して決定することはなかなか難しいのかなと思って、今回はそのような規律にさせていただいております。ただ、このような法律の定めてあっても、監護を共同でするということは妨げられない、この規律で排除されているというわけではないということだけは指摘させていただければと思います。
○大村部会長 ありがとうございました。

共同監護は排除していない、とのことだけど

○落合委員

 まず、先ほど棚村委員からですよね、カナダの例をお話しいただきまして、非常にいいなと思いました。カナダでやったことは、社会学的に見た家族の実態の変化とか、それから家族観の変化ということと非常によく合った制度改正だと思います。それは2点ありまして、子ども中心、子ども目線で見ているということ、それから、より広いネットワークの中に子どもの養育を置き直していることです。祖父母の重要性というようなことを私も今まで時々お話しさせていただきましたけれども、父と母だけが子どもを育てているのではないわけです、本当は親族だけでもないわけですけれども、そういうネットワークの中の子どもの養育と捉え直されていますので、それをよく反映した制度化だと思いました。
 それと対比しますと、今回私たちが扱っていることは、やはりまだかなり古いものを引きずっていると思います。親権という言葉はこれから検討するということなのですけれども、そこを検討してからでないと次の話に行けないようなところもあって、非常に難しいところがありますけれども、民法の中で親権というのがどう扱われているかというと、成年に達しない子は父母の親権に服するというような、親責任とか養育責任ということでいっているものとはもっと違う、やはり権力的な、権威的なものだと読ませるような条文になっていると思います。でも、そうではなくて、基本的に子どもは自分で育っていくのであると、助けが必要なときには身近な大人が責任を持って助けると、そういうふうに読める制度にしていきたいと思います。今回、民法のそういう、例えば親権に関するところの改正も伴うのかどうか、どのぐらいの覚悟でやっていることなのかがもう一つ分からないのですけれども、本当はこの親権という言葉も、その書かれ方も、古くなっているというのは指摘しておきたいと思います。
 親権を共同か双方かということで、そこでもめてしまうのは、子どもの決定権というのがよく見えないからではないかと思います。子どもの決定権が明確に規定されていない。私はこの双方が親権を持つというか、親権に当たるものを行使するということに賛成です。なぜ賛成かというと、子どもにとって選択権があるからです。一人の大人に決定を全部握られてしまうというのは、子どもにとったら非常に恐ろしいことだと思うのです。親の間にも意見の不一致がある、自分を応援してくれる方の親と一緒に頑張るみたいな、そういうようなことを日常、家庭の中ではしていると思うのですけれども、その機会を離婚後も与え続けたいと私は思います。もちろん原則として、そう思います。実際にそれが難しいようなケースもあるというのは重々承知した上で、しかし、子どものためを考えれば、一人の大人に全部を握られてしまうのは恐ろしいことだという、それははっきり言っておきたいと思うのです。そういうふうに考えると、ブレイクスルーになるのではないでしょうか。親2人が対立していて、にっちもさっちもいかないときに、子どもの意見を優先しましょうと言えば、それで決定できるわけですよね。判断の基準が示されます。ですから、子ども目線で見るということは物事をややこしくするのではなくて、すっきりさせるのではないかと考えます。ですから、子どもの自己決定というか、それを最大限重視するというようなことを、できればどこかに法律の中に書き込みたいと思います。
 それに関連して、少しだけ横道にそれるのですけれども、資料12の中で、子の利益を最も優先して考慮しなければならないというところについて、私が意見を言ったことがあるのですが、覚えてらっしゃいますでしょうか。これは、やはり世界でいわれていることの誤訳だと思うのです。先ほどの池田委員の言葉ですと、子どもの最善の利益を考慮してですか、そういうふうにおっしゃっていたと思うのですけれども、世界でいわれているベストの使い方は、最善の利益のことですね。子の利益を最も優先して考慮するというのは、子どもの利益と誰かの利益を対立させているように日本語として読めてしまいますよね。でも、そうではなくて、子どもにとって最善のということをベストという言葉で言いたいのですから、子の利益を最も優先してというのは、私は誤訳だと思います。だから、この表現はもう消していただきたい、子どもの最善の利益を考慮してと書き換えてもらいたいと思います。子ども目線、子ども中心ということと関連して、今のことをお願いしておきたいと思います。
 あと二つ言いたいことがあるのですけれども、一つは、親権を一方に限ってしまうこと等は、やはり家制度だということです。いろいろ考えましたが、やはり家制度的なものが残っているから、今もそういう規定なのだろうと、家族社会学者としてはやはり思うに至りました。家制度というのは、家の枠組みの中に個人を入れてしまって、そこを集団として閉じて、そこから出ていった人はもう家の成員ではないという、そういう制度のことです。離婚して出ていった人はもう成員ではないので、子どもに対しても全く権利がない。これは名字のことでもそうだと思うのですけれども、名字はそのグループを示すものとして一つの名字を持つ、だから夫婦別姓は駄目という、それと同じ論理で単独親権というのは保持されてきたのでしょう。単独親権と夫婦同姓のそれぞれをサポートしているグループは、随分違うグループのように思うのですけれども、でも論理は同じ家制度だと思います。
 でも、家制度がそのようになったのは実はそれほど昔のことではありませんで、18世紀の後半ぐらいまでは家というのはもっとネットワーク的なものだったのですよね、実家とのつながりもありますし。だから、家のような箱に個人を全部閉じ込めてしまうのが日本の長い伝統だったと思っている人がいますが、それは全く間違いで、歴史人口学的な研究からいいますと、それは18世紀の終わりから19世紀の中ぐらいまで、庶民にとったら意味のないことだったと思います。その後、箱のような制度ができて、それの名残として戸籍制度のような形で戦後も残っているわけですが、単独親権というのはやはりそれと深く関わったものなのだと、だから基本的には時代遅れであるし、もっとネットワーク型に変えなければいけないのだと、それを共通認識にできたらいいと思っています。
 世界は、家制度どころか近代家族的な箱ももっと緩めて、もっとネットワーク化した人間関係の中に人は生きている、育つと考える方向になっています。ですから、そういう意味でも、私ははっきり言って、この双方が親権を持つということの何が悪いことがあろうかと思っております。もちろん問題があるケースについてはそうしないということで、そこは丁寧に判別していく、評価していく必要があると思いますが、やはり全体的な方向性としては、養育責任をみんなでシェアしていくというのがよいだろうと考えます。
 次の点は、この23ページのところです。先ほどもちょうど御指摘のありました、この父母の監護者の方です。ここは双方の親権ということを書いたところなのですが、監護者は一方というのをさらっと書いてあります。私はここにも少し抵抗感を感じます。この23ページの1(1)の1行目の、父母の一方を監護者と定めるとともにというところは、父母の一方若しくは双方をと修正したらどうでしょうか。青竹幹事がおっしゃっているように、関係がよくて本当に一緒に養育していきたいと思っている人たちもいるのだろうと思います。共同監護は難しいといいますが、50%、50%とかいうのはあまりリアリティがないかもしれませんけれども、例えばヨーロッパの友人たち、たくさん離婚していますが、そのケースなどで見ると、例えば夏休みは別居親の方で過ごすとか、それから、海外出張に別居親が行くときは学校を休んで一緒に付いて行って、例えば日本を見てくるとか、そういうふうにも使えたり、あるいは週末は別居親と過ごすとか、そういう多様な形での養育の分担ということが実践できている例は多くあります。これを今の用語でいうと面会交流になってしまうと思うのですが、面会交流というと随分狭い感じがして、ふだんとは違うことをする感じですけれども、それよりはむしろ、双方が監護責任を持つ、養育責任を果たすというように書いてあれば、本当に週末だけとか、あるいは夕方お迎えに行くのはどちらとか、そういうふうに柔軟に対応できるのではないかと思います。それほど関係がいい人たちばかりでないというのは重々分かっておりますけれども、しかし、それができればそれがいいのだという形の規定にしたらよいのではないかと考えます。
○大村部会長 ありがとうございます。幾つか御指摘いただいたかと思いますが、まず最初に、棚村委員が御披露になったカナダの立法について共感を抱くという御発言があった上で、用語についての御意見や御提案を頂きました。それから、本日の話題との関係でいうと、双方関与というのに賛成の方向での御意見を頂き、それを子どもの観点と家の観点から理由付けておられたと受け止めました。最後に監護の話が出ました。これは先ほど青竹幹事もおっしゃっていたところですけれども、お話を伺っていて思ったのは、面会交流の話をされたわけですが、監護権の帰属と面会交流との関係をどう整理するのか、これは言葉遣いの問題も含みますけれども、そうしたことを考える必要があるということと、それから、これは別のところで池田委員がおっしゃったことだと思いますけれども、柔軟な対応の道を開く必要があるのではないかということをもう一つの要素としておっしゃっていたのではないかと思いました。ありがとうございます。

落合委員が全部いってくれている


○大石委員

 千葉大学の大石です。ありがとうございます。初めに、議論の進め方について先ほど棚村委員から御指摘があったかと思うのですけれども、少なくとも私は赤石委員や原田委員のお話を伺って、ためになりました。前回の細矢委員のお話を伺って、あれだけの丁寧な対応が実際に、公的機関の実務において実現できているのかどうかということについてはかなり疑問を持っておりましたし、また、幾つか見聞きしている例などでも、かなり困難であろうと推察しておりましたので、それについて専門の実務に関わっている方とかサポート団体を運営している方からのお話を伺えたのは大変よかったと思っております。また、この部会の議事録も広く世間に公表されて読まれるわけですし、国民の理解を促すという意味では意義があったと考えています。
 それで、今の第2に関わる話のところなのですけれども、やはり私自身は養育費の確保と、それを通じた貧困軽減というところに非常に強い関心を持っておりますので、父母が共同で監護ですとか様々なことに関与する場合も、やはりその裏付けとなるお金がなければケアも教育もできないわけでありまして、金は出さずに口を出すということになりかねないリスクもあると考えております。現在のように養育費の受給率が低い状況にありましては、父母の双方の関与に関する規律と同時、あるいは先に行くぐらいの勢いで、養育費確保に向けた施策の充実というのを進めていくべきであると考えます。特に、規律に違反して、例えば通知しなかった場合に、損害賠償請求権の発生も考えられるような記述が30ページにございますけれども、そういったところで金銭的なものが発生するということであれば、その前提として、まずは養育費の支払がなされているのかどうか、それがなされていなかったら、それこそ初歩の初歩の部分のところでの違反行為がまずあるのではないかという話になるのではないかとも思います。ですので、車の両輪として養育費の確保と強く結び付けてこの議論をお進めいただきたいというのが希望です。
○大村部会長 ありがとうございます。大石委員の方から、この問題について養育費と併せて議論を進めていくべきだという御意見を頂きました。

養育費だけの大石委員


○沖野委員 


ありがとうございます。沖野です。29ページの3の双方関与の態様に関する規律について申し上げたいと思います。この(1)で、決定の態様に関する規律として案が出されているのですけれども、この意味についてです。共同行使なのか、単独決定単独行使なのか、そして後者については事前協議機会の付与なのか、事後の決定通知であるのかという三つが示されており、かつ、その線引きをどの場面でどのルールにするかという形で提示がされています。ここでは離婚の場合について、しかも監護者が1名の指定で親権者が双方という指定になっているときにどうかという規律なのですけれども、実際の夫婦なり父母の在り方は非常に多様ではないかと思われます。協力して一緒に決定してやっていこうという人たちもあれば、正にいろいろなものがある中で、そういうときにいずれかに決めるということの意味がどういうことかということです。考えられますものとしては、むしろこの三つの規律の在り方で当事者が選択する、あるいは裁判所が適切なものを決定していくということであるならば決定していく、更にそれを状況に応じた変更も可能にするということが考えられるように思います。3パターンの規律のうちどれかを必ず選ばなければならないとか、あるいはどれかをデフォルトとしつつ、ほかも可能であるというような規律も考えられるように思うのですけれども、ここで一つに決めるということはどういう趣旨になるかということで、例えば、仮に事後通知に決めたという場合に、夫婦によっては、2人で協議してやっていきましょうという場合もありそのときには、恐らくそれ自体を封じることにはならないですけれども、そうしたときに、事後通知というルールがどういう意味を持つのかです。
 一つの可能性としては、共同でといっても意見が一致せず、まとまらないということがありますので、そうしたときの最後、まとまらないときに何が最低限になるかというと、一方の単独決定であり、しかも、事前の協議機会も与えなくても、それでも決定されたということで、正当な決定であり、かつ、恐らく対外的に交渉すれば代理ということになりますけれども、適切な代理権の行使になると、そういうものとして考えるということであれば、どれか一つにしておくということはあり得るのかとは思うのですけれども、ここで問われている意味がどういうことになるのかというのが一つです。
 もう一つは、このどれか一つに決めるというようなことになった場合、デフォルトでもよろしいのですけれども、そうしたときには、ここでは重要な事項についての決定及び対外的な行使、あるいは財産の管理などについて共同で関与していくという場合にはこうなるという規律を決めたときに、いずれでもない親の地位、かぎ括弧付きの親権者でも監護権者でもない、日常生活についての決定や代理をする責任や権限を持つわけでもなく、重要な事項についての決定や責任を持つとされる地位にない親の地位というのがどうなるのかということで、例えば通知もしてもらえないということなのか、共同で重要事項については関与しますというのを当事者が選択したらこうなるということは、それを選択しなかったらば、もう事後通知もされないというようなことになるのかというと、必ずしもそうではないのかと思われまして、この間、前半に小粥委員のおっしゃった、親の地位というのでしょうか、例えば子どもの状況を把握できて子どもの相談に応じていくといった地位というのは、これとは別に埋められていくということが想定されるのではないかと思います。
 それから、直前の議論の中で出てまいりました、養育に関わっていく、その責任を負うというのも、ここでの問題なのかというのがはっきり分からないところがありまして、部会資料12だったかと思いますけれども、層を四つに分けて、日常的な生活に関わる決定、それから財産管理についての法的な権限と責任を持つ者としての監護者、それを越えた重要な事項についての法的な決定権限と責任、それから代理権等を持つ親権という概念、それから、事実として子どもの養育に当たるという事実上の監護という考え方と、それとは別に、親であるからにはこの点が必要とされるというか、責任を負うという養育責任はその部分ではなかったかと思います。特に経済的な負担のところで、養育費あるいは子どもからいえば未成年者扶養請求権というような形でですが、現物の給付というようなこともここで入ってくるとすると、親権者でも監護権者でもないのだけれども、親として当然、子どもの養育に関わっていく責任があるというような話は、その周りにというか、そういうものとして充填されなければならないということは前提になっているのではないかと思います。また、その充填だとか具体的な中身は、あるいはこの3(1)についての決め方などに影響を受ける面があるのではないかと思ったところです。
 それからもう一つ、これは言うまでもないことかもしれませんが、前提としてここでの規律が単独決定単独行使を内容としているのは、日常的な決定権者が一番よく分かっているということで、重要な事項についても最後はその人が決めようということですが、ここが双方が日常についても権限を持つということになりますと、恐らくこの前提がかなり変わってくるので、ここの規律の在り方もまた違ってくるのだろうと、今までの話を伺っていて、思ったところです。
○大村部会長 ありがとうございます。沖野委員の今の御発言は、29ページに決定の態様に関する規律ということで案が併記されていますが、このことの意味をどのように考えるかということについて、幾つかの観点から御指摘をいただいたものと受け止めました。一つは、これをどれか採らなくてはいけないということなのか、選択的なものとして設定することを考えることはできないだろうかということ。それから、どれか一つ採るのだとすると、そのことの意味がどこにあるのかを明らかにする必要があるのではないかということ。3番目にここの選択肢の外にある問題との関係を整理する必要があるのではないかという御指摘もあったと思います。4点目の御指摘もあったのですが、少し細かいので、要約から外させていただきます。

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