再婚禁止期間違憲判決補足意見2
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再婚禁止期間違憲判決の各裁判官の意見を見てきたのだった
裁判官千葉勝美の補足意見
私は,再婚禁止期間を定める民法733条1項(本件規定)の合憲性審査についての考え方と違憲の法律の改正等を怠った立法不作為の国家賠償法上の違法性の有無についての判断の枠組みに関して,次のとおり多数意見に付加して私見を補足しておきたい。
補足のポイントは二つ。まず一つ目。
再婚禁止期間を定める本件規定の合憲性審査についての考え方
(1) 多数意見は,今回,本件規定の立法目的について,「父性の推定の重複を回避し,もって父子関係をめぐる紛争の発生を未然に防ぐことにある」としているが,これは,父性の推定の重複を回避することを直接的な立法目的であることを明確に示し,これによって紛争の未然防止が図られる関係にあることを判示したものと解される。ところで,旧民法767条1項においては,理論的には推定の重複を回避するのに必要な期間を超えて再婚禁止期間が6箇月と定められており,それは,多数意見の述べるとおり,当時の医療や科学技術の未発達であった状況を前提にし,現実的に父子関係をめぐる紛争を防止するためにある程度の期間の幅が必要であるという見解によるものであろうが,今回,多数意見は,本件規定の立法目的を上記のとおり明確に整理して判示したため,再婚禁止期間のうち100日を超える部分は,医療等の進歩により妊娠の時期が容易に明らかになる今日,もはや推定重複を回避するために必要な期間とはいえず,立法目的との関連でいわゆる合理的な関連性を有しないことが明らかであり,事柄の性質上,超過部分について国会の合理的な立法裁量の範囲内であると認めることはできないとしたものである。
多数意見の要約から。
(2) 今回,6箇月間のうち100日の女性の再婚を禁止する期間を設ける部分については,父性の推定の重複を回避するという立法目的が明確に整理されてその合理性が是認された以上,それとの関連において目的達成の手段としての合理性は理論的には当然に認められるところである。ところで,従前,当審は,法律上の不平等状態を生じさせている法令の合憲性審査においては,このように,立法目的の正当性・合理性とその手段の合理的な関連性の有無を審査し,これがいずれも認められる場合には,基本的にはそのまま合憲性を肯定してきている。これは,不平等状態を生じさせている法令の合憲性の審査基準としては,いわゆる精神的自由を制限する法令の合憲性審査のように,厳格な判断基準を用いて制限することにより得られる利益と失われる利益とを衡量して審査するなどの方法ではなく,そもそも国会によって制定された一つの法制度の中における不平等状態であって,当該法制度の制定自体は立法裁量に属し,その範囲は広いため,理論的形式的な意味合いの強い上記の立法目的の正当性・合理性とその手段の合理的関連性の有無を審査する方法を採ることで通常は足りるはずだからである。
違憲審査基準論に踏み込んでいく。
しかしながら,立法目的が正当なものでも,その達成手段として設定された再婚禁止期間の措置は,それが100日間であっても,女性にとってその間は再婚ができないという意味で,憲法上の保護に値する婚姻をするについての自由に関する利益を損なうことになり,しかも,多数意見の指摘するとおり,今日,晩婚化が進む一方で,離婚件数及び再婚件数が増加する状況があり,再婚への制約をできる限り少なくするという要請が高まっている事情の下で,形式的な意味で上記の手段に合理的な関連性さえ肯定できれば足りるとしてよいかは問題であろう。このような場合,立法目的を達成する手段それ自体が実質的に不相当でないかどうか(この手段の採用自体が立法裁量の範囲内といえるかどうか)も更に検討する必要があるといえよう。多数意見が,「婚姻に対する直接的な制約を課すことが内容となっている本件規定については,その合理的な根拠の有無について以上のような事柄の性質を十分考慮に入れた上で検討をすることが必要である。」としているのは,この趣旨をも含めた説示であろう。
(3) ところで,このように,上記の立法目的・手段の合理性等を審査する際に,採用した手段自体の実質的な相当性の有無の判断をも行う必要があるのであれば,合憲性審査においては,平成25年の嫡出でない子の相続分に関する最高裁大法廷の違憲決定(最高裁平成24年(ク)第984号,第985号同25年9月4日大法廷決定・民集67巻6号1320頁)が説示したように,最初から,女性に対してのみ再婚を禁止するという差別的取扱いを端的に問題にして,それに関連する諸事情すべてを総合考慮した上で合理的な根拠を有するものといえるか否かを判断するという説示の仕方をすべきであるとする見解もあり得よう。しかしながら,上記の平成25年大法廷決定が対象とした民法900条4号ただし書前段については,その立法理由について法律婚の尊重と嫡出でない子の保護の調整を図ったものとする平成7年の大法廷決定(最高裁平成3年(ク)第143号同7年7月5日大法廷決定・民集49巻7号1789頁)の判示があり,その趣旨をどのように理解するかということも検討した上での平成25年大法廷決定の説示があるのである。ところが,本件規定については,多数意見は,前記のとおり,その立法目的を,直接的には「父性の推定の重複を回避する」と明示しており,立法目的が単一で明確になっているため,本件については,正に,立法目的・手段の合理性等の有無を明示的に審査するのにふさわしいケースであるから,全体的な諸事情の総合判断という説示ではなく,そのような明示的な審査を行っており,「手段として不相当でないかどうか」(手段の相当性の有無)の点も,その際に,事柄の性質を十分考慮に入れた上で,合理的な立法裁量権の行使といえるか否かという観点から検討しているものといえる。
嫡出子相続分差別大法廷判決との対比が興味深い。
(4) 以上を前提に,手段の相当性の有無について更に付言すると,女性に対し再婚禁止期間を設けることについては,たとえ100日間であっても女性が被る不利益は重大であり,再婚禁止期間の設定自体が手段として不相当であり,女性に対する不合理な差別的内容となっているとした上,再婚禁止期間を設けるのではなく,父性の推定の重複する事態が生じた場合には,子と後夫ないし前夫らのDNA検査の実施や,父を定めることを目的とする訴えの提起,その制度の拡充等の方法で対処すべきであるとする見解があろう。多数意見でも触れているとおり,諸外国においても,このような再婚禁止期間の制度を設けていない国は少なくなく,立法政策としてはあり得るところである。
ギリギリの判断だったように読める。
もっとも,これによると,推定の重複が生ずると,子が出生した時点では法律上の父が定まらないため,DNA検査の実施や父を定めることを目的とする訴え等によることになるが,これでは法律上の父の決定がかなり遅れる事態も想定される(女性と後夫との関係がその後に悪化し,協力が得にくくなっていたり,訴訟が遅延する事態もあり得よう。)。この点は,正に,多数意見が指摘するように,生まれた子の福祉の観点から不都合な事態が起こることも想定され,子の利益に反するものである。
嘘でも法律上に父がいた方がマシという価値観に引きずられている?
以上によれば,どちらの制度にも,一方は女性の自由な婚姻の利益を一定程度損なうこととなり,他方は生まれた子の利益に反する事態が生ずるという問題があり,いずれも利害得失があって,当然に一方が他方を凌駕する合理性を有するものと評価することはできない。そうであれば,前者の制度,すなわち,本件規定のうちの100日の再婚禁止期間を定めるという手段が不相当で国会の立法裁量を逸脱・濫用し違憲であると評価することはできない。
女性の婚姻の自由VS父を定めたい子の利益ということ?
(5) なお,前者の制度については,次のような懸念が生じかねない。すなわち,女性が不妊手術を受けていたり,あるいは,具体的な状況において前婚の解消等の時点で懐胎がないことが客観的に明確となる場合があり,そのような場合には,民法772条2項が定める妊娠の時期の推定を問題とする余地はなく,前婚の解消後に出生した子の父性の推定の制度を前提にその推定の重複を回避することを直接の目的とした本件規定による再婚禁止の措置をとる必要はないはずであるが,多数意見は,一律に100日間の再婚を禁止する限度で立法裁量の範囲内であるとしている。これは,自由な結婚を必要以上に規制することになって,やはり手段として不相当であるというものである。
100日以内でも禁止は不当ではないかという指摘。
しかし,このような場合には,共同補足意見が説示するとおり,100日以内であっても,本件規定の適用が否定されることになると解されるので,上記の懸念には及ばないと思われる。
結局は、法を適用しないことで逃げ道を作った?
違憲の法律の改正等を怠った立法不作為の国家賠償法上の違法性の有無についての判断の枠組み
(1) この点について判示した当審先例としては,最高裁昭和53年(オ)第1240号同60年11月21日第一小法廷判決・民集39巻7号1512頁(以下「昭和60年判決」という。)及び最高裁平成13年(行ツ)第82号,第83号,同年(行ヒ)第76号,第77号同17年9月14日大法廷判決・民集59巻7号2087頁(以下「平成17年判決」という。)がある。
受験対策用にも素晴らしいメモになる解説!
昭和60年判決の事案は,在宅投票制度を廃止しこれを復活しなかった国会議員の立法行為について国家賠償法上の違法が問題になったものであるが,判決では,「国会議員は,立法に関しては,原則として,国民全体に対する関係で政治的責任を負うにとどまり,個別の国民の権利に対応した関係での法的義務を負うものではない」とした上,「国会議員の立法行為は,立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行うというごとき,容易に想定し難いような例外的な場合でない限り,国家賠償法1条1項の規定の適用上,違法の評価を受けない」旨を判示している。この判示は,国会議員の行為が国家賠償法上の違法となり得るすべての場合につき一般論を展開したものではなく,違法となり得る場合は極めて限定的にとらえるべきであるという見解を強調する趣旨で,当然にあるいは即時違法となるような典型的なしかも極端な場合を示したものである。したがって,この判示は,国会議員の立法行為につき,これ以外はおよそ違法とはならないとまでいったわけではなく,違法となるすべての場合に言及したものではないと解するべきである(この判示は,本件と同じ本件規定を改廃しない国会議員の立法行為(不作為)の違法に関する最高裁平成4年(オ)第255号同7年12月5日第三小法廷判決・裁判集民事177号243頁にそのまま踏襲されている。)。
およそ判例を一般化すると、立法不作為が違法となりうることがないように読めるので、その壁に挑もうとしているようだ。
次に,平成17年判決の事案は,衆議院議員選挙について在外国民に投票する機会を確保する立法措置をとらなかったという点についてのものであるが,「立法の内容又は立法不作為が国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白な場合や,国民に憲法上保障されている権利行使の機会を確保するために所要の立法措置を執ることが必要不可欠であり,それが明白であるにもかかわらず,国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠る場合などには,例外的に,国会議員の立法行為又は立法不作為は,国家賠償法1条1項の規定の適用上,違法の評価を受けるものというべきである」とした上,「昭和60年判決は,以上と異なる趣旨をいうものではない」と付言している。
昭和60年判決、平成17年判決が、それぞれ輪郭に迫っている。
ところで,平成17年判決は,前記のとおり,前段部分と後段部分から成っており,前段部分は,昭和60年判決の事案と同様の違憲の立法を行った国会議員の立法行為又は立法不作為の違法性が問題になったケースについてのものである(本件もこの前段部分が問題になるケースである。)。前段部分の判示の内容は,昭和60年判決とは表現が異なる点はあるが,それと異なる判断内容を示したものではなく,単に従前の判断を踏襲する趣旨で表現を簡潔にして述べたもの,すなわち,昭和60年判決と同様に,当然に違法となる極端な場合を示したものにすぎないと解すべきである。
平成17年判決の分析。前半と後半がある。
他方,平成17年判決の後段部分の判示の内容は,正に当該事案で問題になった,国会議員が憲法上の権利行使の機会を確保する立法措置をとることについて,一般論として,「必要不可欠であり,それが明白であるにもかかわらず,国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠る場合など」には,例外的に違法となるという判断基準を説示したものである。
後半が、例外的に違法となる判断基準を示すもの。本件との関連は?
(2) 本件と平成17年判決の判示との関係については,本件は,平成17年判決の判示のうち前段部分と同様のケースであるところ,前段部分の判示のような憲法上の権利侵害が一義的な文言に違反しているような極端な場合ではないので,多数意見は,今回,改めて,これらの従前の当審の判示をも包摂するものとして,一般論的な判断基準を整理して示したものであり,平成17年判決を変更するものではない。
平成17年判決を踏襲するとして、より噛み砕いていく。
また,本件は,平成17年判決中の前段部分の違憲の立法の改正を怠るという立法不作為の違法性に関する事件ではあるが,多数意見で示された一般論は,その判示内容からして,前段の場合に限らず,後段の場合をも含め,国会議員の職務行為である立法的対応がどのような場合に国家賠償法上違法になるのかについての全体的な判断の枠組みを示したものと解することができる(なお,昭和60年判決が挙げた極端な例は,多数意見中の「国会が正当な理由なく長期にわたってその改廃等の立法措置を怠る場合などにおいては」とされた「など」に含まれるという見方もあろう。)。
立法不作為が「違法」となるケースについて、極端な例からスタートして、限界まで探索している冒険が伝わってくる。
(3) ところで,平成17年判決は,後段部分で,違法とされる場合の判断基準について,一般に,憲法で保障されている権利行使の機会を確保する立法措置をとることが必要不可欠でそれが明白であることを要求しているが,これに当該事案を当てはめた結論としては,上記の明白性を充たすとして国家賠償法上違法と評価した上,国家賠償請求を一部認める判断をしている。ところが,この判決においては,在外国民に選挙権の行使の機会を与える選挙制度を創設しなくとも立法裁量の逸脱・濫用で違憲であるとはいえないという2名の裁判官の反対意見が付されており,この反対意見は上記の立法措置をとることがそもそも必要不可欠ではないという趣旨の見解である。一般的な用いられ方からすると,「明白である」というのは,通常は異論を生じない場合を意味するものであるが,ここでは,このような一般的な用法とは異なり,もっと緩い程度を指すものとして用いられているのではないか,例えば,「多数」が必要不可欠であると考えた場合はこれを「明白」としているのではないかという疑義が生じかねず,同判決の前段部分でいう「明白な場合」という表現との関係も気になるところであった。
立法措置が必要不可欠で明白な場合っていう、明白ってどの程度をいうのだろうかという切り口に挑む。
いずれにせよ,私の理解としては,平成17年判決の判示する判断基準は,このような点も踏まえて,前段部分及び後段部分を含め,今回整理し直されたものということになる。今後は,この点の判断基準は,本件の多数意見の示すところによることとなろう。
立法不作為の国家賠償法上の違法についての判断基準が「整理」されたこと自体の大きな貢献を評価するもの。請求の可否の結論を左右しないとはいえ、頭の体操として検討していく姿勢から大きな学びを得る。
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