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2024年の瀬RK宣言~DVとの闘い

2024年は、民法改正もあり、単独親権制を撤廃させ、共同親権制の家族・子育てが始まるということは、もちろん、DVとの訣別も必須である

共同親権制は、DV加害者でも子どもに会える、みたいなものではないのである

いや、DVは夫婦の問題であって、「加害者」であっても、親子の関係性さえよければ、親子が会って楽しく過ごすことは可能ではないか、みたいな語られ方もありはする

ただ、それで誰かを不安にさせるものでもないし、共同親権弁護士は、日本で一番、DVが大ッキライで、徹底してDV対策をしている、っていうことが保障されないといかんだろう、と思う

 

DVは許さないよ


はずみでビンタしました、ゴメンナサイということがあったときに、あ、じゃあ、それで済みます、ってなるんだろうか?

被害者は、この「ゴメンナサイ」一言で済ませられるように、心が簡単に切り替わるというわけはなく

まず単純に痛い思いをしている

実際に物理的な打撃を受けたあとの神経への痛感?というのが、どの程度継続するものなのか、というのはよくわからないけども、意外に、そこは落ち着くとして、でも、「痛み」という『記憶』はまだまだしぶとく残ってしまうこともあったりする

これはけっこうやっかい

痛みというか、「苦痛」は、物理的な打撃による場合に限らなくって、身体に痛みが生じたこと自体が起こらないこともあるけども、尊厳を傷つけられたり、自由を奪われたり、ムカムカモヤモヤを与えられたときにはやっぱり、「苦痛」として、それが『記憶』に刻まれることもあるわけである

これをどうにかするのが望ましいところ、なかなか、「ゴメンナサイ」のワード一つで済まなかったりもする

その一方で、キー!!っとなるタイプの私は、けっこう、意外な何かで気が済むこともあるから不思議・・・そういうタイプはけっこういる

他方で、そうやって、キー!!とはならないんだけど、静かに内に溜め込んでしまうタイプは、それはそれでまた大変で、ヒモとき、ほぐすのに手間やコストがかかったりするのだと思う

人の手とか、プロの専門的支援を要することもあるのかもしれない

この前、私のストレス解消法のお題で、ちょうど記したけども

誰に読まれているやら気にせず、書いていくだけで、セルフケアになっているとも思う

もちろん、書き方の工夫は要するとして、誰かを特定して攻撃するような表現はなるべく避けようということは、note(一般公開)では働くけども、ひどいときは、非公開の呪いのノート(自作)に書きなぐるのもいいのかもしれない(やったことある!)

裁判所での手続きは書面を利用することが多いので、自ずと起案するという作業によって、ケアになることもある

とにかく書き殴るようにしてみて、筆(といってもPCに打ち込むのだけど)が走るままに表現してみるのもいいのだけど、ふと、これが裁判所の人、そして、相手方に読まれる、というときに、はた、と立ち止まれるときもある

これをとにかくぶつけたいのか、この先、どのような展開をしていきたいのか

お蔵入りすることになったとしても、その書面作成に何時間もかけて、そこにたどりついたところで、その心境に達したということ自体が、もはや成果ともいえる

けっこう、思いを吐き出しきった大作ができたとしても、よ、大事なことだからぶっちゃけておくと・・・

誰も読まないよ

読んでくれるとしたら、相手方が反論として読むときに作業として読むこともあるかもしれないけど、それは手続きにおいて必須とも限らない

調停では、こんなん出ましたね、た め い き、で済まされるだけ

裁判官って司法試験に合格する中でも優秀なので、一瞬で、書面を読んじゃう能力は驚くべく超人的なこともある・・・が、でも、そのときの読み方って、結局、争点どこなの、っていう目的でしか読まない

どんなにアツく思いをぶつけても、結局、どうなのっていうそこにしかない

長くても、10枚にならない程度の文量の方が、刺さることがあって、動かす力があるように思う

なんつっても、ゴメンナサイとアリガトウという、人並みな話だけど、それに尽きたりもする

人は自由だから

ゴメンナサイとアリガトウの先に、人がどのように動くかはまたわからないけども、なるべく、理想や期待どおりに動いてほしいときは、”お願い”することに尽きる

もしも叶ったら、たくさんのアリガトウを伝えていく

人間関係うまくいかないかも、というときは、シンプルにこの2本を使いこなすところから始めればいいんじゃないかと思う

申し訳ないなーと思いすぎることでもないし、アリガトウと感じれば十分で、その範囲内で続く人間関係こそうまくバランスがとれているというわけである

これがバランス崩れると、この2本では済まないことがあったりもする

世話になりたくなくてマウント返しするようなクセが有る人もいるし

人に甘えベタでかえってこじれる人もいる

ゴメンナサイを伝えたときは、素直に、ゴメンナサイオンリーがよい

いつも二分しがちなDVと共同親権だけど、隣り合わせなところがある

共同親権対策はDV対策である

基本は、自由にその親の子育ては尊重されるべきだけど、DVというエラーが混在したときに、うまくいかなくなってしまうから、なんとかしないといけない

基本的には、子を害するものでなければ、勉強重視なり自然教育重視なり、だいたいは親が子を思ってなすものは尊重されてよいと思う

それが共同親権の理念だし、DVが否定される意味でもある

共同親権をいうか、DVを拒否するか言葉は違うが思いは同じでもある

2026年共同親権民法施行

その前に、共同親権弁護士は、DV対策を徹底させ、機敏に保護命令の申立ができるようにしておく、とかを尽くしておこうと思う

DVで検索してみると




https://www.gov-online.go.jp/article/202402/entry-5667.html



https://www.twp.metro.tokyo.lg.jp/consult/tabid/92/default.aspx


子どもを取り上げると脅す、DVなんだ


子どもを取り上げるのはやっぱりDV

2025年はDV撲滅に力を入れるべく、人権の学び、お互いに尊重すること、じぶんもあいても大切にすること、親と子も対等に共に育つ関係性のこと、ってかんじで、共同親権の子育てについて展開していこうと思う

2024年最後の日曜日に渾身のnoteである

年末年始だけど、明日からも普通に過ごそうかな

朝ドラがないくらいで、仕事のために事務所に行ったりする

一応大晦日は紅白はみたい

初日の出を見に行く?作戦もあるが、実現できるやら

1月2日も事務所で企んでいることがある

3日~5日は某所で

6日は朝からもう予定がある

2025年も共同親権(DV撲滅込)でいく!!


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弁護士古賀礼子
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