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子どもはパパもママも好き【共同親権】

遅ればせながら賛同署名しました

昨日の投稿が時間ギリギリで中途半端になってしまった

それだけ、見切り発車で書き出したものの、まだ整理しきれないながらも思うところがある

共同親権

といえば、子どもの目線


パパもママも好き


そういう文脈で語るはずなのに、いざ面会交流の場面になると、その理念がどこかへいき、起こってしまいがちな事象を起爆剤として、むしろパパかママかの紛争へ自ら突き進んでしまう、ようなことも起きてしまう

別れた相手のことを感じたくないから単独親権制


そうやって、親子断絶が蔓延していたわけだし、それだけの歴史もあり、なんだかんだと支持者がいるのも現実だ

それに抗うための共同親権運動なのだけど、実際難しい

別れた相手のことを感じてしまう共同親権制


興味なくても見えてしまったりする

だいたいは面白いものではない

でも、それでも、それを選んでいくという覚悟、そのためのメリットが特に子どもの最善の利益として肯定的に確認されるはずだ

なのに、子どもの何気ないWordで、つい、相手への攻撃材料にしてしまうとしたら、あまりにも無防備というほかない

支援機関については様々な意見がありうるが、だからこそ、必要性を否定できないともいえる

実際、不本意にも数年間の断絶を強いられようやく幼い我が子との再開を果たしたとき、納得していたわけではないものの支援機関の立ち合いによった場合、それは監視されているという負の感情よりも、ほぼ久しぶり(記憶の失われている子どもにとっては初対面のようなもの)の再会で、人見知りもあるし、うまく遊べない、下手したら初っ端泣きから入る、というような状態で、遊びを通して橋渡しをしてくれる支援機関の存在がありがたかったという話さえ聞いたことはある

別居親のためになる支援機関

というのも実際あるわけで、費用はかかるものの、それに見合う実感の声もたしかにあるのである

パパのことも好き、ママのことも好き、なのに、どうして二人は一緒に暮らしていないのかな、、、というような感情を幼いながらに気づいてしまうこともあるのだろう

ここを大人がうまく対処して、親同士と子と3人で交流する形の面会交流例も世の中にはある

立ち合い型がうまくいかないこともあって、仲誠葛藤を呼び、子ども自体が大変苦しそうに精神的負担となってしまうようなこともあるが、大人が割り切ってうまくやれる場合もあり、ふつうの家族と変わらない時間になることもある

が、それが、単にいいとも限らない

大人ががんばって演技しているからなわけだけど、子どもにはわからない

大好きなパパとママはもしかしたら、仲直りして仲良くこのまま一緒に過ごせるんじゃないか、というような誤解を期待してしまう現象も起こる

パパとママの間で双方と手をつないでいた子どもが、ふと、パパとママの手を引き合わせてつなごうとするような話も耳にするのである

これはこれで、願いはともかく、大人にとってはもう復縁というのが不可能なわけで、現実的ではないことを夢見させてしまうことの残酷な問題にもなる

幸いにも?

我が家は、徹底して不仲だったので!!(←隠していない)

そんな期待をすることもなかったけど、それならそれで、子どもにとってのパパとママというそれぞれの関係性を独立して各々の親子関係を良好に確立させてよ、というのが現実的な次の希望になる

エア共同養育となる
(並行養育と正式には呼ばれるらしい)

共同養育=父母による協力的な養育、ではあるが、お互いに独立し、それぞれが連絡したり協力的に調整するというようなことは具体的には行われない点で、エアである

子どもの中にある、
相手親へのポジティブな感情を素直に受け止めて育む


父母同士は嫌いのままでいい

子どもにとっては、パパもママも好き、という気持ちのままでいい

これが最低限度の共同監護体制ではないか?!

もちろん、大人なので諸々の課題を解決することで、嫌いな相手なりに尊重するとか、仲良くはやれないけど、マナーをもって接する程度には連絡をする等努力してなんとかなるところもあるので、なんとかしてみる努力は続けていっていい

うまくいくと、嫌い同士というレベルは卒業し、無関心の大人同士程度(相手は一方的に嫌ってくる可能性はある)にはなれるかもしれない

究極的には支援機関が不要だとは思うけども、なかなか、必要性を否定できない現状もある

支援機関を要しないほどに親自身が成長することが有用なこともある

それって、すなわち!

Coそだてがやっぱり大事!!


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