連れ去り後の運命に逆らうには
連れ去りなるワードが飛び交う時代になったこと自体に変化を感じる
とはいえ,ひとまず,従来想定されている運命について今一度表現してみた
じゃあ,もう,やっぱり,集団訴訟とか,陳情とか,街頭演説といった社会運動をするしかないのか?の前に,個別の案件において,この定められた運命に抗う方法はないか検討する
運命には逆らえないっていっているのに???
離婚し,父母のどちらかが親権を失うってところはね
共同親権制への法改正が叶うまでは,これはほぼ逆らえない
一応,離婚については有責主義が採られているとはいえ,破綻主義的側面もありえるから,別居期間が長引くだけで,離婚も避けられない
もう一度恋をして,もう一度愛し合えるような関係になるならば,ともかく,連れ去りと呼ばれる現象が起きる時点では,一方の気持ちがすでに失われているだろうし,連れ去りによって,他方の気持ちが完全に破壊される場合もある
それでも許せる,ということもなくはない
男女の仲には,不思議,もあるが,それもご縁
ご縁の神様に頼み込む,というのも実は手かもしれない
愛は何よりも強い
もう少し,現実路線に沿って検討してみる
男女間の愛そのものは,もう戻らないことが多いかもしれない
だが,愛は,男女のものにとどまらない
親子の愛で勝負する
離婚して,親権を失うかもしれないが,親子の愛を守る!
父に会いたい・母に会いたい・わが子に会いたい,といった親子の愛を武器にすると,実は定められた運命の先には悲観一色とも限らない景色が待っていることもある
かつては,連れ去り後にはあまりにも非道な悲劇にあふれ,自死に追い込まれるといったエピソードもあったし,現実の問題でもあっただろう
だが,そんな悲劇までが運命として定められているわけではない
離婚して親権を失うかもしれない先においても,親子の関係を守るという道が開拓されてきた
離婚後の共同養育を目指すということ
制度の未整備が課題ではあるが,かつてに比べれば,親教育的な情報収集も可能だし,社会においても,離婚後の共同養育=両親の離婚に関わらず,子どもは両親と関わって育てられるという価値観が肯定的に普及されようとしている
これを最大限活用し,学び実践するということが,定められた運命において親子を守ることを可能にできるかもしれないのだ
連れ去りについては不問とし,子育てのパートナーとして尊重し,感謝の気持ちでマナーを尽くす,ということが具体的な行動規範として求められる可能性があるが,立法の実現を待つこと,そのための社会活動から期待できる効果がどれほど見合うものかということを想像すれば,どちらを努力してみた方がいいかについては自ずと答えが導かれるだろう
選択肢がないこともあるので,どちらかに優劣をつけるものでもない
うまいことどちらともを行動できるのであれば,どちらでも,だっていい
共同養育の理念を子育ての現場で実践するだけでなく,裁判手続きにおいても反映することが,次に試してみたい
裁判手続きでの共同養育
共同養育をするには,そもそも裁判手続を選ばないこと,とさえ言われることもあり,両立困難とも指摘される裁判と共同養育
とはいえ,裁判を仕掛けられては受け身としてでも応じざるを得ないし,積極的に申し立てる側になる場合であっても,ひとくふうする余地はあるだろう
その意味で,連れ去りが起きたら,まず監護者指定・子の引き渡し請求,その保全事件を速やかに申し立てることが望ましい(いわゆる3点セットと呼ばれる手続き)
これを引き受けられる弁護士にたどり着くことも大切だ
しかも,依頼したはいいが,従来の,子の奪い合い戦争に陥ることがないようにすることにも注意しなければならない
手法としての3点セットは古くからあったが,その効果に対する評価はいろいろで,ネガティブなこともあったし,その理由についても容易に想像できる
とはいえ,わが子に会いたければ,面会交流のための裁判手続きを申し立てない方がいいといって,結局会えないまま放置されるようなことがあっては不合理なように,連れ去りが起きた場合には,通常裁判手続きに移行するという運用が徹底することが望ましい
裁判手続きをする人しない人の選択にゆだねては,結局裁判手続きをすること自体がスティグマになりかねず,まずは,裁判手続の利用をネガティブに評価することがあってはならないことを前提にしなければならない(裁判を受ける権利は人権である)
裁判所に潜む魔物に心を奪われないこと
ただし,条件としては,裁判所での手続きだからといって,魔物に心を奪われることがあってはならない・・・あくまで,共同養育のための手続きであり,争うことを目的としていないのだということを心得なければならないし,その心得がある弁護士のサポートを受けた方がいいということになる
連れ去りが離婚を希望する場面と重なるがために,諸々の意見の対立点が潜んでいる場合があり,地雷を踏まないようにすることが大変難しいかもしれないが,その難題に挑まなければならない
夫婦と親子を切り離す
共同親権制がまさに,婚姻関係と親子関係を切り離していく制度だが,未整備の段階でもその理念を取り入れることはできる
離婚の中で,養育費や面会交流のことが話題になりがちだが,そもそも切り離すこともできるわけで,まさに,上記3点セットの手続きにおいては,離婚・夫婦の問題を脇に置いておいて(あ,離婚はご希望なんですね,同居は難しいのですね,それはそれとしてですね~),親子のこと,子育て環境についての協議にあえて専念させるのである
わざわざ子どもが貧困になることを望む親が多いとは限らない
離婚を希望したい状況で意見が対立するようなことになると,見失いがちだが,親として冷静に子の幸福を祈念したときには,意外に目線の先が合致することができるようなことがあったりする
3点セットの手続きにおいて,その理念を実践していく
子どもの福祉を大切にしていくメッセージ
申立の動機,戦略はともかく,結局は監護者指定事件においては根本的な解決(子の引き渡し請求の認容)が叶わないこともありがちだが,離婚と子育てを切り離すことに成功するだけで,実は価値あることであり,その後の展開においても有効に作用することが期待できることがある
信念としては,離婚調停,離婚訴訟においても一貫して,子の福祉の最大化を呼びかける
連れ去り後の運命を逆らうために,できること・すべきことはそれに尽きるといっていい
離婚したい,親権者の指定のあり方,全てにおいて,子の福祉の最大化に配慮すべきことを盛り込んでいく
従来,子の奪い合いの闘いの中で,父母共にお互いの監護力について非難し合い,精神的に疲弊しあうような景色とはずいぶんと違うはずである
ひょっとしたら,相手は,その従来のパターンで攻撃的な場合があるかもしれない・・・だが,その挑発にのらないということも戦略的に遂行できると得策である
事実ではないことを否定するだけでは,決して「争う」ことになるとは限らないし,無理に卑下することが正解とは限らない
客観的な世間の眼差しとして非難される点ではなかったとしても,相手の期待に応えられなかった点があったとしたら,それは素直に受け止めてもいいかもしれないこともある・・・そうやって,相手の気持ちへの理解をすることが,協調関係を築くことを可能にするかもしれない
別々に生活することになった父母の間の子どもの養育をどのように協力し,あるいは,どのように分担するのか,という協議をしようとするのだ,という点をお互いに確認する作業として活かすと,裁判手続きが長期化する中でも合理的に建設的な協議が実現しうるのである
シンプルに,養育費の支払いがあり面会交流も実現した方が子どもにとって利益といえることの方が多いのだから,自ずとたどりつく
3点セットは,共同養育観を学ぶ機会として活かせるのである
面会交流事件の戦略
共同養育観を共に構築できたかどうかで,面会交流の充実度に違いがあるように考えられる
共同養育観のレベルが向上すれば,住まいやお子さんの年齢といった諸条件を考慮の上,ある程度充実することが自然と期待できる
まだ発展途上の場合には,思うようには充実しないかもしれないが,焦らないことが大切になってくる
ありがちなのは,単に数字のゲームのように,月に1回か2回か,3時間なのか6時間なのかという意見をぶつけてしまうことがあることだ
こうなったときに,裁判所が間を取ってみたところで,ナンセンスだ
特に,共同養育観が醸成していない段階では,どちらの意見も単に数値をぶつけ合うだけで全く意味がない
共同養育観を共有した上で,いざ,どういう形で実践していくか,というのはその親子次第なところがあるから,最初から,数字のゲームに入ってはいけない
まず再会することが,とても意味がある
その再会のために,かつては数年単位の時間を要したこともあるし,今もその例がないことはないが,ある程度短期間で実現することはある
以前の同居生活中の親子関係の状態がそのまま再開することもあり,親子関係の良好性が確認できれば,武器になる
親子関係の良好性の確認,父母間の約束遵守の姿勢,子の年齢・興味関心・体力といった様々な状況を考慮して,はじめて適切な条件の協議が実りあるものとして叶う
乳児の場合に,母乳育児の場合には,母子分離が困難なことがたしかにあるので,数時間に限定されることもあるだろう(ミルクを受け付けない子もいる)
離乳食を与えられるか,トイレトレーニングに対応できるか,実際,同居中においても子育てを担ってきた時間に偏りがある場合は,それが不利(以前さぼっていたことの制裁というよりも監護力自体に限界があるという目で見られてしまう)なこともあるから,お子さんの年齢に応じた発達状況に関する深い理解を学び続ける努力が有効なことがある
食事のアレルギーがあれば,細やかな配慮ができるという信頼がなければ,食事を共にする交流も限定されかねない
数字合戦ではなく,子育ての実働能力を反映するようなプレゼン力が問われることになるし,一回で成果を出すものではないことを正しく理解し,徐々に拡充することを狙うことが現実的である
急がば回れ,であるし,会えない時間も離乳食作りで培ってきた食育への配慮を忘れぬよう幼児食作りを続けることで子育てを忘れないという努力の仕方だって実際に有効に感じられる
お子さんの年齢に応じた興味について情報収集を怠らないという努力だって子育てになる
子どもの興味に合わせて,ゲームなど,子ども目線の娯楽についても詳しくなった方がいいこともあるだろう
アニメや漫画に詳しくなっておくことも当然有効だ
その上で,子どもの将来についても思い馳せていく
過去を切り離し,今に向き合い,未来を描く
共同養育のための手続きの傍ら,離婚のための手続きが同時に進むこともあるが,財産分与や慰謝料(共同養育をする上では不適切であるという理解のもと,発生しないことがある)は過去の精算になるので,算定するための資料収集の負担はあれど,割り切って作業をすれば済むともいえる
養育費もしかりであり,年収情報から算出が可能であり,客観的に付与されるものでもあるから,無用な対立を回避することも可能である
養育費以上に教育費の負担について理解することも子育てを担う上では大切であり,この負担を覚悟できると,交渉にあたって有利になることもある
離婚さえも,共同養育観にのっとったアプローチにより解決が可能になるだろう
連れ去り損に負けない
子の福祉としての共同養育について,家庭裁判所は肯定しているといってよく,そうであれば,連れ去り・親子断絶に成功したところで,子の福祉の実現からは程遠いものになりかねず,損である
養育費という最低限の回収だけでは到底,共同養育のある子育てに比べて貧困そのものになってしまう
お金だけでは,文化の豊かさは手に入らない
いかに冷静に,合理的に行動を選択するのかは,実はとてもとてもハードルが高いということもよくわかる
心のケアの機会は別途必要かもしれないし,カウンセリング等の利用は惜しまない方がいいだろう
とはいえ,知恵と知識と,愛と勇気?で,連れ去り後の運命もある程度コントロールできるのではないかという確信がある
制度が整備されることを心待ちにしつつ,定めれらた運命に負けることのない子育てを応援するのである
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