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ホームロイヤーの夢を描いて

議事録読みも、フィナーレ間近、だけど、週末なので、別テーマを

ちょうど会務関係の任意の勉強会で、私が大変お世話になっている助産師さんにお話をうかがう機会を得る

無戸籍問題に取り組むWG(ワーキンググループ)の先生方と一緒に、学ぶ

・・・といっても、堅苦しく、教えてください、の関係だとかえって情報が限定されてしまうかもしれない、「無戸籍問題」に限定してしまうとむしろ、専門領域の違いで終わってしまうと、「連携」といっても現実的ではなくなるかもしれない

いろいろな可能性が満ちていることは十分想像できたので、まずは、掘り起こそうとあえてゆるふわな意見交換として、実施してみる!・・・それが、期待をはるかに上回る収穫があふれていた☆

お話企画をするべく、個人的な、助産師さんのイメージを振り返るとともに予習で調べものしたり

3回の出産経験で、助産師さんにお世話になる機会はあって、一般的なイメージは持っていた・・・といっても、そこまでで、助産師さんについて全く無縁ということも普通だったりする(男性?!のみならず、出産しない女性や、出産するにしても、助産師さんにコミットするばかりでもない?!)

勉強会をきっかけに、日本助産師会なるものがあると知る!

日弁連みたいなもの?なんて思っていたら、やっぱりお話をしてみてこそ、ぐっとイメージが変わってくる

弁護士であれば、法曹資格があっても、登録しなければ弁護士を名乗れないという、強制加入団体が日本弁護士連合会→各単位会にも所属(私は、一弁、さらに多摩支部を中心に活動)しているけど、助産師会は強制加入ではないという

助産師会に加入していなくても、資格さえあれば助産師を名乗って仕事をすることが可能という

日本助産師会→各都道府県の会→地区分会

各委員会があって、命の教育委員会の取り組み等のお話をしてくださった!

もう、お産の現場にとどまらない!!

性教育=寝た子を起こすか?

かつて多摩支部の先輩弁護士の先生方中心に取り組まれていた、七生養護学校での教育に対する不当介入事件が頭によぎる

出張授業を引き受けて、思春期教室?でせっかく真剣に避妊のことなど伝えても、学校側がストッパーになってしまうことがある現実

この辺のことは、たしかに、教育指導要領?なんかに、歯止め規定があることで、正しい知識を得ることなく大人になってしまうこと、それが、様々な問題・DVに繋がってしまうのではないかという問題提起については別の機会に学んでいたことと結びついていく

命の教育は安全教育

いのちを守るために教育が必要で、知識が防御に役立つという発想を改めて重く受け止める

年齢に応じた適切な情報提供が必要ではあるけども、ある程度の年齢になれば、体の部位の正式な名称を知っておかないと、自分の健康を正しく守れないというのもそのとおりだと思う!!

たしかな学びが、DVの予防になり、ひいては、産まれてくる子の虐待予防にも貢献する、おっしゃるとおりだと思う

助産師さんの数・養成過程の実情

強制加入ではないから、正確な数・活動実数が不明という

看護師が加入する看護協会(復習のため、調べたら、「自主的」とあるけども、実際就労するときにほぼ義務付けられるのかな?助産師=看護師ではあって、看護師の数は10倍とも語られていた)の方が発言力・存在感が強いという

出産という、人生の一大イベントに携わる助産師の存在感こそ印象的ではあるけどもそれだけ限定的ということもわかる

女性の生涯の健康と幸せを支える存在で、お産前後と乳児期の子育てをサポートする、というから、一生とはいえ、お産中心にすると2年~3年?(妊活を含めると?)、でも、一生を左右しかねない大事な時期をサポートしているのは間違いない

助産師になるには、短大や大学・大学院といった養成過程があって、今は大学中心?でも、資格を取っただけではなく、その後の研鑽も大切なはずなのに、参加費がネックになって、なかなか、という問題があるという

子育てする親の安心を支えてこそ、のはずが、発達や発育に不安を煽るようなアドバイス?を受けて、心配になって、相談窓口に駆け込むケースもあるという

連携が大切なのだとよくわかる

出生証明書

お産に携わることで、助産師さんにとって、出生証明書(青い紙)は、馴染みがあるだろう(私も3回見た!)

出生届と一体になっていて、出生から2週間以内に名付けとともに、役所に届け出ることになっている(法律上)

だから、まさか、その出生届が提出されることなく、無戸籍になることがあるなんて、という問題の共有ができることは大きな意義があると思う

なぜ、出さないか・・・

いろいろあるが、DVの問題があることをわかちあっていく

それ以前に、出生証明書がない、人知れず自宅出産してしまうケースも潜在しているのではないか、という実情も想像する

数多くのお産に携わっていく中で、正常分娩もそりゃ多いだろう(それでも、陣痛は半端なく大変・・・でもそれも「安産」)

見た目では判断がつかない状況で、一番恐ろしい「出血多量」という事態が起こり得るというのである

赤ちゃんが産まれたあとに、胎盤も「生まれる」?のだけど、そのときにどうしても出血が多い

意識に関わる程度に出血する例もあるから、お産もともかく、お産直後の様子にこそ緊張して見守るという

その一方で、動物的に1人で産んで、母子共に健康に生き抜いていく、ということもあるわけで、なんとたくましい生命力だろうか

私も無痛分娩を経験したけど(第三子)、今は本当に無痛分娩希望が多いらしい(あと高齢出産も!以前は、35歳以上の初産は◯高だったのに、そっちが多数派?30代前半でも若い方、20代がいると本当に珍しく、「若いわねー」となる)

麻酔科医の活躍の場になるけども、必ずしもお産の流れに詳しいとも限らないという

人手が必要になってしまうが、そういう傾向に今はあるという

痛みを止めるということが、お産を止めることにもなりかねず、長引いてしまうと苦しいのはお腹の赤ちゃんという(私は、ちょうど5年前の今日、無痛分娩で出産して、朝から陣痛誘発剤を点滴して、本格化するスピードに合わせて麻酔もして、過去2回のお産イメージが役立って、比較的短時間で産めたので、先生と握手で成功を喜び合ったが・・・ラッキーだったのね)

いろいろ考えさせられてしまう

かといって、助産院だったり、自宅出産を希望する話もあるけど、体づくりが重要で、家族もひっくるめて教育していく事前準備が大切になっていくらしい

男女の違いを知ってわかりあいを促す

お産・子育て事情の実情をわかちあう

高齢出産が増えてきて、みんなよく勉強している

頭で育児をしていたり、それ以前に、不妊治療の機会も多いので、お産がゴールになってしまって、ストレスを抱えてしまっていることもある

20代で体力もある内に自然に授かって産んで、カンで子育てできちゃう方が、ストレスがないように見えることもある、というのも納得!

ぽっちゃり型になろうともよく食べた方が、よくおっぱいも出るというのもメカニズムのようで、そのとおりなのだろう

大学生に、「いつ産む」を考えさせる必要があるのではないか、といった話題にもなる

なんとなく、お産現場の事情の変化の先に、イライラいっぱいの子育てと夫婦不和を引き起こした果ての「離婚案件」が弁護士として、よく扱っていることが思い出されていく

そもそも妊孕率でいえば、25歳過ぎから下がっていき、30代でガタ落ち、40代になれば、ほとんど妊娠できないという自然の摂理を踏まえて、社会の仕組みを見直すことの必要を考えさせられる

女性の自立・キャリアといって、産む機会が遅くなると、それだけでも、不妊リスクが高くなる

しかも、高齢出産になれば、帝王切開となって、人手がかかる

リスクもコストもかかるお産になってしまって、子育てが辛いと感じてしまう

これを個人の非難で片付けてはいけないだろう

仕組みの問題

父親の育児参加

内閣は、男女共同参画の文脈で、男性の育児参加も推奨する

この価値自体は大切だが、体力を消耗し、一生懸命初めての子育てに、自身も不慣れなママに、体力もあって、よく本を読み込んで「勉強」したパパが、理詰めで正論で育児を語ったらどうなってしまうだろう

子育ては、本能のままカンに任せるのも大切なのだと感じられる

産まれてきたことにおめでとう!

共同親権弁護士としての私見だけども、単独親権制と相まって、嫡出子制度を要にした法律婚制度の意義のために、出生届にも、嫡出子か非嫡出子かの記入が求められる(書かなくても受理される、という運用があるよ!)

それがかえって、誰と誰が結婚していて、誰の子か、に重きがあるようで、産まれてきた命の個人としての尊重が後退しているのではないか、と思う

例えば、知識もなく、生理不順を問題に感じず、体格の変化を「太ったね」で周りも本人も済ませてしまうようなことが、現実に起こっているという

ニュースで見るのは、そうやって1人産んで死なせてしまって、死体遺棄の件で捜索されるというケースだろうか

寸でのところで、「お腹が痛い」→これは陣痛だ!となって、唐突に健康な赤ちゃんが登場してとまどう、というようなことも人知れず起きているのかもしれない

周りは驚くだろうけど、とにもかくにも、「産まれてきたこの子の命は祝福されるもの」という姿勢を徹底しておめでとうという声を掛けてくれる助産師さんに取り上げてもらえれば、それだけで、人生のスタートは恵まれているような気がする

産まれてきたことをおめでとう、という仕組みにしていきたいが、今の戸籍制度は、そうなっていないことが明らかであり、悩ましい

知ることの大切さ

無戸籍問題解決に通じるヒントのために、という発案で企画したはずが、思いの外、異業種の現場にあるリアルが興味深く、知らないことを知る連続で、もはや狙いを忘れて、聴きたいことを聴く方向になっていった

言葉をなくしたのが、中絶の現場

中絶自体については、よりよい女性の一生の中の選択肢として、ニュートラルに受け止めていくことの重要性は大前提として確認したい(日本は、中絶に対する非難が強いが、だからといって命を大切にしているかはわからない気がする)

中絶の手法についても、海外では、より安全な方法が開発しているというのに、そういう非難的な日本の文化が、最新技術の導入を妨げている問題も聞いたことがある

それにしても、だ

中絶が合法になるのは、母体保護法による法律があるから、ということだが、それを土台にした仕組みの中で、壮絶な実態があることがわかり、ちょっと調べてみたら、さらに闇深い世界を知る

肉体の負担でいえば、中絶するにしても、早い方がいいのだろう、と素人的にも思う

でも、そうすると、完全自費なので、中期に差し掛かった方が、一応「お産」として助成を受給できるろいうのである

その助成のために、あえて、中絶時期を遅らす、そうしないと、費用の工面ができない、ということが起こっているという

妊娠22週になる前までは中絶可能だが、もはや、その頃になると、いわゆるお産と変わりない

産声が上がることもあるのに、「中絶」は合法化していく

中絶の一律禁止とかいう立場も不合理だとは思うが、より実態を知って学んでいきたいと考えた

一方で、早産で未熟児として産まれて来た子の救命技術も進化している

学びの余韻で、また知ってしまう

一見、法律とは関係ないけども、そこには法律がある

法律に基づいて、救命ラインが引かれている

記事に出てくるのは、21週で産まれたけど、救命された

全くの偶然だというけど、同じように生きれたかもしれない命を偶然に委ねていいのか

一方で、救命できても、障害が残ることはあるという

それでも生きて欲しいという気持ちもわかる

一方で、尊厳について考え突き止めたときに、正解はなにか

生殖医療技術の進化と家族・親子法制がマッチできていないがゆえのエラーもあって、現在見直しができている

男女の違いの尊重とLGBTへの配慮は両立するものと理解しているが、現実にはバランスが悩ましいこともある

コロナ禍のお産

最近の心痛むニュース

コロナ禍が深刻な中、安心安全のお産とは、自ずと弁護士の中でも関心が高まっていく

助産師さんと話て、妊娠期の段階の違いを学んで、またニュースの受け止め方が深くなる

やはり、咳き込んでしまってお腹に力が入ってしまえば、それが早産を引き起こしてもおかしくない

妊婦ではないから感染しても大丈夫、ではなくて、余計なコストを減らすためにも、感染予防策を徹底しなければならない、と気が引き締まる

etcetc 話は、いろいろな方向に飛び交いながら、ゆるふわトークならではで、あっという間の2時間が濃厚な学びの時間として、大成功であった!

助産院(施設付もあれば、看板だけの場合もある)、そして地域に根ざす存在としての取り組み、知ることで連携の可能性・あり様が見えてくる

上記は、感想として私の思うことをメモしたもので、助産師さんの発言そのものではなく、不正確な理解・勉強不足含めすべて私の責任で、貴重なお話をいただいたことが、ただただ感謝でいっぱい☆

エンドレスでもっともっと知りたいことがいっぱい!

また、無戸籍問題の取り組みも知ってもらえば、お互いにできること、の連携など可能な気がする

LGBTサポート、DV対策、共同養育、いろいろな可能性が膨らんでいく

産後5年(3回目の産後のね)の記念日

5年ってー

その前の5年は?
2016年の前の5年 2011年ー2015年ってのも、離婚して、浪人して、司法試験受けて、合格して、司法修習して、弁護士登録して、第2子出産して、また乳児育てと、小学生子育てっていうのだったのも濃厚で

それに比べたら、3児子育てと弁護士業→共同親権弁護士として、位でトピックとしては多くはない

去年の引っ越しくらいかなートピックとしては

この先の5年は、より安定に、でも、だからこそ、飛躍していくことにも挑戦したい

共同親権法改正かな

ひしひしと手強い壁も感じつつ、鍵となるのは、産まれてきてくれてありがとう、の視点に思う

どんなに幼くとも、個人として尊重していく

新年とか、自分の誕生日以上に、節目を感じる産後5年記念に、よき学びに沿って考えられたのが良かった!!

今回お話いただいた助産師の菅井さんは、地元で講演する機会があれば、駆けつけてくれて、小平中央公民館にも来ていただいた

↑この記事にも触れているけど、菅井さんとは、分娩台で再会!!

もう20年くらい前に家庭教師のアルバイトをしていて、そのお子さんのお母さんが助産師の菅井さんで、作文の指導で「助産師をしている母の仕事」をテーマに書かれたところ見事評価されたような記憶が・・・(家庭教師冥利につきる)

そこから、すっかりご無沙汰していて、二度目の妊娠中、近所で、職場と自宅の間で通いやすいというだけで選んだ病院に勤められていることも全く知らなかった

知らずに通い続けてもお会いすることもなく、たまたま、まだ、産まれそうにないとも言われていたのに、急に陣痛が進み出し、無痛分娩希望もむなしくあれよあれよと夜中に入院という偶然の流れで、その日たまたま夜勤を担当されていたのが菅井さんであった

どこかで会ったことがある・・・でも、どこだったか、もしや・・・と、陣痛が3分間隔に進み、痛みを逃す中で、思い巡らす

午前4時台に痛みの質が変わってきて、歩いて分娩室に移動する

いわゆる分娩台には先人が安静にしている、ということで、奥の手術室に移動することになる

手術台を分娩用に切り替えていく冷静な時間も、陣痛MAXで激痛が押し寄せてきていてじれったい時間を過ごしつつ、朝5時台に無事に産まれてきた

そんな娘を取り上げてくれ、一通り落ち着いたところで、何者か明かすと、思い出して気づいていただいた!!サプライズに思う

末っ子は、無痛分娩が計画的にできたので、担当にはならなかったけど、その前段階で、逆子が治らなくて帝王切開手術かも、というとき、相談させてもらって(助産院の相談サービスの利用!そういうサービスがあることをもっと知られて活用できたらいい)、覚悟が決まった!(結果としては、手術は白紙になったとはいえ、安心を得るためには本当に助かった!!

分娩台で再会という、奇跡的な巡り合わせからのご縁がつながって、弁護士会企画でお話いただき、さらなるご縁が深まって

まずはゆるふわで意見交換したことで、得られた自由な話題をベースに、今後も体系的に整理していったりして、何か企画していきたい!!

その先に、ホームロイヤーとして、ライフアクシデントを軽症で乗り越えられるような仕組みづくりを開拓できるのではないか、なんて期待して、引き続き学ばせていただく!!

そんな産後5年祭り

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弁護士古賀礼子
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