#2 安くて便利、自動販売機

寒すぎた先週のある日、私はある罪を犯した。
空気の冷たさに耐え兼ね、安くて甘くてあったか~い飲み物を求めてかじかんだ指で110円を自動販売機にねじ込んだ。キャッシュレス非対応だからか、他より格安で販売してくれる自販機にありがたさを感じていた矢先、ゴロゴロと登場したお目当ての品を見て気づく。
午前10時に”午後の紅茶”を買ってしまった」

罪でも何でもない、だから何だという話だが、この1分にも満たない出来事をわざわざ記事の冒頭に書きたくなるくらいには、私にとっては面白い出来事だった。
さて、今日は自動販売機にまつわる話を3つ書いてみようと思う。

大学生と自動販売機

自動販売機は大学生になるまでほとんど利用してこなかった。
アルバイトを始めて自分で稼いだお金を手にしてから自動販売機にお世話になるようになり、今では躊躇なく財布を開くようになった。贅沢な奴め。

そんな贅沢野郎でも、大学終わりにアルバイトまでの微妙な40分を外でつぶしたいとき、座席代を含むとはいえ喫茶チェーンであったか~い飲み物一杯約500円を頼むのは流石に気が引ける。1時間以上であれば痛い出費にはならないが、40分で500円は擦り傷になる。パソコンを開いて課題を進められる利点はあるが、勉強のための空間以外での作業は私にとっては集中しづらく向いていなかった。
早めにバイト先に行くというのも(面倒な性格をしているがために)必要以上にコミュニケーションを強いられる時間を増やすのが苦に思われ、やはり気が引ける。
結局、自販機で安く手に入れた休息を、駅や公園のベンチでいただくのが良いという結論に至る。

最近はとにかく何でも値段がアゲアゲであるが、冒頭で午後の紅茶を購入した自動販売機は他の自動販売機よりや近くのコンビニよりかなり安く売ってくれている。ありがたいことに常連客となってしまった。
いつもお世話になっております…。

祖父と自動販売機

祖父と歩く時間が好きである。
昔から親の実家に帰省するたびに、公園やスーパーに一緒に歩いて行った。最近では本当にただウォーキングするだけのこともあるが、それもまた楽しい。

今では喋りながら一緒に歩くことを純粋に楽しんでいるが、小さい頃は祖父が自動販売機で買ってくれるジュースがお目当てだった。姉と妹も同じように企んでいた仲間だと信じている。帰宅したチビたちが各々ペットボトルを持っているのを見てあきれる祖母と母の顔は見飽きたものだ。

母にジュースを買ってもらう機会は誕生日パーティーぐらいだっただろうか、かなり稀なことであった。健康志向である母がジュースをあまり買わない理由もなんとなく察しがつき、自ら強請ることもなかった。
そんなこともあって、祖父を味方につけた状態で少し悪いことをしているようで楽しかった。それがスーパーではなく、どこにでもあるのに母にスルーされてしまう自動販売機であることも愉快だった。

いつからか、祖父提供の散歩特典は選べるジュースから選べる飴玉に変わった。祖父の上着のポケットから3つほど出てきて、好きな味を選ばせてくれる。(銀紙に包まれているハイチュウの率が高く、味の選択はあまりに難解である。祖父は気にしていない。)
冬は雪かきだけで体力が奪われるため今度出かけるのは春になりそうだが、そのときは私が財布を持って自動販売機を訪れようと思う。

落とし物と自動販売機

これは旧アカウントにも書いた話だが、せっかくなので書き直してみる。

小学生の頃よく遊びに行っていた公園のすぐ近くに、赤い自動販売機があった。何も買ったことはないのだが、その自動販売機の下を覗き込むのが習慣だった。大抵、何かしら落ちていたから。
小銭、紙飛行機、未開封の飴、特撮ヒーローのシール、キーホルダー、空き缶。今思い出せるのはこれぐらいだが、すぐ隣がりんご畑であるのに何故こんなものがと言いたくなるものばかり落ちていた。

私はこの自動販売機を『幸せ自動販売機』と名付けていた。落とし物を幸せと表現する当時の不思議なネーミングセンスは今でも健在なのだろうか、自分ではわからない。

中学卒業と同時に県外に引っ越してしまったため、『幸せ自動販売機』のその後はわからなかったのだが、友人に教えてもらい、数年前に『幸せ自動販売機』が引退したことを知った。
グーグルマップで訪れたところ、確かにピカピカの黄色い自動販売機に世代交代していた。飲み物だけでなくお菓子も売っているいいヤツだ。2年前のストリートビューによると、田舎らしく現金決済のみの対応。いいね。
次地元に帰る機会があったら、黄色い新人に挨拶に行こう。

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