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映画「インフィニティ・プール」深掘り考察/ネタバレあり映画考察

どうもkogaoです。

2024年4月5日より公開中の映画
「インフィニティ・プール」
を深掘り考察したいと思います!

今作はアレクサンダー・スカルスガルド
堕ちていく熱演と恐ろしい世界へと誘う女
ミア・ゴスの怪演が話題となり

ブランドン・クローネンバーグにしか描けない
狂気のビーチリゾートで、クローンを使った
異常な出来事が描かれるスリラーです。

あれはいったいどういう意味だったのか?
結局どうなった?

わからないままでも観た人がそれぞれの
感想を抱いて楽しめればいいのですが

ただグロい、理解できないと敬遠されてしまうのは
もったいないので消化できなかったところを考察し
映画の真の魅力に迫っていけたらと思っています。

✎__________ ᴍᴇᴍᴏ __________
※本記事は、映画「インフィニティ・プール」のネタバレを含む表現があります。
※一部に、映画「ポゼッサー」のネタバレを含む表現があります。その箇所の前に注意書きを載せています。
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作品概要
インフィニティ・プール 2024年4月5日公開

監督:
ブランドン・クローネンバーグ長編3作目

主演:

アレクサンダー・スカルスガルド
(ジェームズ・フォスター役)
スランプ中の小説家。人気のリゾート地リ・トルカ島へ夫婦で訪れる

ミア・ゴス(ガビ・バウアー役)
リ・トルカ島で出会った誘う女

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はじめに

もう結論から言いますと
タイトルのインフィニティプールとは

「インフィニティは無限を意味し、
大規模な水と海と空が混じり合い境目がわからないように設計されたプール」

のことであり

このタイトルの意図するもの

映画「インフィニティ・プール」の面白さと恐怖は
3つあると考えました。
          一1一
"自分がオリジナルなのかクローンなのか境目がわからなくなる"自分は一体何者なのかという恐怖

          一2一
"クローンに入れ替わっていたとしたら、
それはいつ?"入れ替わった境目がわからない恐怖

          一3一
"最大限おそろしい体験"をした気がするが
全てを把握できない、よく考えるとそれはもっと
地味だが"ある意味おそろしい事"だった気もする
もう恐怖すら境目がわからなくなる


このようにkogaoは感じ取りました。
この考察記事では真の恐怖を知るために

"最大限恐ろしい考察"をしていきたい
と思いますのでどうぞよろしくお願いします。
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(ここだけの話)真面目な話をすると

戦争を含めた暴力行為をストップする究極の方法
は相手も"いつかの自分自身"であるという認識
を持つしかないのではないかと考えるときがある

相手を"友人や家族"と考えても裏切られたら
ケンカになったりもするわけだから"自分自身"
と思うしかないと
(その後の大戦や現在の紛争の元になった第一次
大戦は3つの国の皇帝と国王はいとこ同士でした)

例えば
財布を拾って警察に届ける場合に思うことは相手が困ってるだろうという認識

これもいつかの自分自身と重ねていて、時間や手間はかかるけど届けているのではないか

友人や家族と思って届けているわけではないですよね

お礼をしたいと言われた時にほぼ断るのは自分自身からお礼をもらうなんて変だからじゃないのか

話が横道にそれましたが、この映画の中で描かれている「攻撃する相手が自分」というアイデアをみて、ひょっとしたら同じような問題意識を持っているのかもと思えたのです。

ただ単純に恐怖を煽るだけの監督ではないというところに、kogaoがこの映画に興味を抱きましたよという話でした。

ただ映画ではさらに「自分自身を手にかける」という先ほど述べた平和の最終定理みたいなものを突破してくる行為があります。
これは最凶で最も恐ろしい描写と言えますね。
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考察のためのポイント

ここでブランドン・クローネンバーグ監督の描く
ディストピア系のSF要素を用いた恐怖について

前作の「ポゼッサー」の場合(少しネタバレあり↓)
を解説した後
映画「インフィニティ・プール」で描かれる
恐怖や問題意識のポイントをピックアップします。

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✎︎(少しネタバレあり↓)

前作「ポゼッサー」は

他人の脳と肉体に入り込み遠隔操作をして暗殺するというSF要素のあるスリラーです。
この遠隔で他人に入り込むという概念を間に挟んだことで観客も同時に暗殺行動に入り込み恐ろしい体験をしてしまう。そして操作する相手の「恋人や家族」がターゲットという「一歩踏み込んだ恐ろしくキツい描写」になります。だがそれは同時にテクノロジーによってこれまであった人間のモラルが完璧に崩されてしまう問題を描いていました。

・自己認識や行動がエラーのように狂いが生じる※
・義父が業界のトップである
・仮面の描写の方法
・実験的な映像表現でトリップする
これらはインフィニティ・プールと類似性がある点です。
※(ゴミ捨て場のカニのような目とはこのようなエラーかもしれない)
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「インフィニティ・プール」

クローン技術と架空の人気リゾートのリ・トルカ島を用いてさらにギアをあげた新しい恐怖の体験をする事になります。

✎︎パワーアップした箇所

ターゲットが「恋人やその家族」から「自分自身」に
一概にパワーアップと言えない事ですが、
先程の"真面目な話"のところで書いた話に繋げてみるとこうなります。

ロケーション
架空のリ・トルカ島の世界観。

キャストのタフさ
アレクサンダー・スカルスガルドとミア・ゴス
このコンビはとてもタフな印象がありました。
絶望を描くだけのキャスティングではないと思う。

トリップする映像
レトロで実験を重ねた映像表現はさらに磨きがかかっていました。

✎︎クローン技術により描かれる恐怖

自分自身のクローンの処刑を見る
インフィニティ・プールの原型となった2014年の
ブランドン監督の短編小説の内容と同じ。

罪と罰
「罪を犯した人、同様に罪悪感を持ち罪を犯した記憶もあるが実際に罪は犯していないクローン、どちらを罰するべきか、二人とも罰するのか、クローンの方を罰するだけで社会は満足できるのか」
(パンフレット2014 3/13を一部要約)

罪を犯した方が罰を受けていないのは、被害者からしたら納得できないし、罪を犯した側もまだ恨まれたり他にも色々な不具合が考えられます。


何をしてもお金で許される状況
あらゆるモラルが破壊されインモラルな世界。

自分を処刑した少年にもう一度襲われる悪夢
少年の顔が怖かったですね。

自分自身を手にかける
最凶。いつもこういうシーンで1、2発手数が多いので
とても嫌な気分になりますがギャグのように感じる人もいるだろう。監督が絶望だと感じる"間"があの感じなのかもしれません。

自分がオリジナルかクローンかわからない
観客もわからない。

自分がクローンならいつ入れ替わったのか
映画の編集の部分としても面白いところです。

✎︎ツーリズムに伴う問題

分断されたリゾート
階級による分断。

富裕層のリゾートでの振る舞い問題
現実でもこういう問題があるようですね。

閉鎖国家の残酷なルールの法で裁かれる恐怖
あまりにも変わったルールや法律は困りますね。
現実にもありえる話。

(これらの要素を取り入れているが、階級の分断やツーリズムに伴う問題をストレートに描いた映画ではありません。これがメインのテーマではないという主旨のインタビュー記事がありました。)

✎︎その他

どんな罰も受けないヴァンパイアのような集団
彼らに取り込まれるのは恐怖。

変な人たちと何でもありの快楽に堕ちる
冷静になった時に不安だし怖い。

宗教用の麻薬による誘惑
この映画では幻覚を見ている間にオリジナルとクローンの入れ替わりが行われる可能性があり怖い。

社会的な地位格差による苦しみ
義理の父が出版社のトップで自分は書けない小説家。
まわりに合わせて上流階級のフリをしているだけでつらい立場が想像できます。夫婦の関係性も同様です。

異文化「エキの仮面」
デザインが映画の雰囲気を作り出しマッチしていました。「武器人間」のリチャード・ラーフォースト監督によるデザインでブランドン監督がオファーしています。

考察のためのポイントはこのあたりにしておきます

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なぜリ・トルカ島に居残ったのか

最後のジェームズの選択について
ほとんどの人が気になるところだと思いますので、kogaoの感想を2つ書いておきます。

① 「帰る場所はなく」

結末は絶望なのか?

ここが自分の生まれた場所とでも言うかのようにここに残った。ジェームズはクローンだったという解釈です。

雨は内面をさらけ出すシーンや敗北のシーン
そして新しく生を受ける象徴的なシーンとして
クローンや人造人間が雨に打たれるのは鉄板です。
雨季の激しい雨と空と海が境目のないインフィニティ・プールのようでもある。

もしくは

②「執筆するために残った」

自己もモラルも崩壊したが、元々小説家としては崩壊してた。色々なくして0にはなっても長くマイナスだった悔しい過去だけは残った。

今度はやるしかねえ
と空港で思ったという解釈。

しかも今ならいっぱい書くことがあるわけで、
希望を帯びたジェームズがリ・トルカ島に残った
絶望の中にも希望が入り混じったような終わりだと
kogaoは観た時に感じました。

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✎︎「ポゼッサー」のラストに触れるネタバレがあります↓



②「執筆するために残った」
の補足
として前作とのラスト比較

「ポゼッサー」
ターシャから罪の意識が消えている
絶望に追い討ちをかけるような状況。だが組織としては目標が達成された


「インフィニティ・プール」
色々ぶっ壊れて絶望するが
執筆という目的に関しては達成されそうだ

ラストシーンにて何らかの目標が達成される
似た構成になったとしたら執筆の為に残ったとする
一つの根拠になると思います。

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さて

ブランドン監督によるSF要素によりモラルが崩壊してしまうアイデア。それによる恐怖の描き方は凄いという事がなんとなくわかってきました。

インフィニティ・プールの原案は2013年〜2014年に書かれた監督の短編小説であり、この映画の脚本も監督が書いています。

これからする考察は
"今までに書いた全てのポイントを1番恐ろしく組み立てた解釈こそ監督が頭で描いている正解に限りなく近いのではないか"という考えに基づき、

最初に掲げた

最大限恐ろしい考察

を開始します

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 ラストのジェームズは
(アレクサンダー・スカルスガルド)

 やはり

 『クローン』


ジェームズをクローンと考えた場合は

ガビ(ミア・ゴス)たち富豪の集団は全員クローン

で間違いないと思います。


ジェームズをクローンの仲間に迎え入れる儀式
をしているように見えます。

ヴァンパイアが仲間を増やす儀式、彼らは罰を回避
できるヴァンパイアのような振る舞いだった※

ミア・ゴスはヴァンパイアクイーンのような存在
だったと思います。

クローンがもう一人の自分かクローンを殺す事で
儀式が成立する。ジェームズは仲間になるように
仕向けられていたと考えます。

✎________ ᴍᴇᴍᴏ __________
※「ロスト・ボーイ」(1987)で主人公の兄マイケル
を不良グループが幻覚を見せヴァンパイアの仲間に
導こうとする狂気と似た印象を受けました
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儀式用の麻薬漬けで犬化したジェームズを
殺したことで儀式が完了した。

彼らはヴァンパイアではありませんので
儀式とは新生を意味しています。
秘密結社の儀式的な要素も入ってると思います。


ここで

 『儀式について』


もう一度重要な考察をすると


果たしてクローンがクローンを殺して儀式といえるのかという疑問が残ります

やはりクローンがオリジナルを殺す事を儀式としていたと考えるのが最も自然です。

そうなると

薬漬けにされ犬化したジェームズこそがオリジナル
だったという事になります

そして入れ替わりの新生の儀式が完了する瞬間

オリジナルの血を手で拭ってガビの胸に塗り、そして
その血を授乳する行為でジェームズにオリジナルの血を与えていました。

あれにはそういう儀式としての意味があったんだ
と考えると納得できます。

1番恐ろしいことが真実に近いという解釈です。

もう一つの根拠としては、単に罰から逃れてモラルが壊れた世界や集団を描くにしては、この集団が少数過ぎることです。

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ではこのクローンの集団は

 『どう誕生したのか』


最初の入れ替わりはどう誕生したのでしょうか


それについては、1人目のクローンが処刑される前に
大金を渡すから死刑までに入れ替わらせてほしいと
警官を買収すれば可能です。

警官との癒着がそこから続いている様に見えます。

時期についてはインフィニティ・プールの破損事故という話が出てきましたが、

警察に近しい人物が事故に巻き込まれていたり

ホテル側といざこざがあって罪を犯したオリジナルの方を処刑したい強い恨みにより工作をされたのかもしれません。

表彰されたメダルが気に入らないから奪いに行くという訳のわからない理由でホテルのオーナーを襲撃したのも因縁があったのかもしれないですね。

この事故が原因で色々あった可能性はあるので前日譚のお話があれば見てみたいと思います。

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ジェームズがクローンと入れ替わる

 『タイミング』


映画の中でいつ入れ替わったのでしょうか


✎︎警察の施設から肉体が持ち出された時

その直後に入れ替わったとするのが1番簡単です。

顔を隠され殴られた時、その前後で入れ替わっていたというパターンです。

これについては配信やソフト化した際に顔の傷などを細かくチェックすると新しい事実がわかるかも。


✎︎最初に少年に処刑された時はすでに

もう一つのタイミングとしてここは考えなければならないでしょう。

処刑を観ているジェームズの事を妻はゴミ捨て場のカニみたいな目をしていたと言っていました。

あの時にすでに入れ替わっていたと考えたい人もいると思います。

その場合は観ていた側と処刑される側の両方、クローンが2体必要になり、警察から運び出された人物がずっと監禁されていたオリジナルということになりますね。警察もかなり協力的に動いている存在だったという事でしょう。
クローンが分身の死をはじめて見る時はゴミ捨て場のカニのような目になるのかもしれません。

そして
あの少年の顔の記憶を持っているクローン※という条件を加えると、このタイミングで入れ替わっていたクローンは確実に顔の記憶を持っていると言えるため、こちらの方が可能性としてはやや高いです。

※終盤であの少年の顔を見て怯えるため処刑のシーンの記憶を持っている必要がある。オリジナルが処刑を見たあとでまたクローンを作る工程に入れたかまたはクローン自身が見ている必要があります。
記憶の移り方も不確かなので見たかどうかで判断。

となると

目を開けた瞬間から入れ替わってる可能性ありです


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リ・トルカ島に残ったクローンのジェームズ
は何をしたか



ここで②「執筆のために残った」




ふとした瞬間に書き連ねたアイデアの一つが頭の骨の中に入り込んでしまって、取り出す事ができない状態になってしまう事があるんです。
(パンフレットの2014 3/13監督インタビューで映画作りが始まっていく過程を語るところがありました)

空港でジェームズも頭の骨の中から取り出せなくなったモノがあったのかもしれません。

小説家としては初めから地に落ちた状態でマイナスだった様子でした、過去に苦しんだ以上のことを創作で全てをぶちまける事ができる。そんな環境がこれ以上ない程に整ったのではないでしょうか。

アレクサンダー・スカルスガルドを選んだ理由から
きっと絶望だけを描きたいわけではなかったという根拠です。

ガビの儀式は小説家としてのジェームズには役に立つものだっただろう。

このような経験をしたのですから、きっと
奇抜で面白い小説が書けたんじゃないでしょうか。

悪魔か女神に魂を売ったことで小説家としての地位を得られる話かもしれない。




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最後に✍︎



これまでの考察とはかなり違いますが
1番シンプルで最有力の1つになる別の解釈をします


クローンはガビ(ミア・ゴス)1人



ジェームズも含めてその他全員
オリジナルだった場合です。


集団はガビに支配されている


ジェームズはオリジナルなのに自分がクローンと入れ替わっているという疑念を抱かされ、

最終的に儀式を通して自分をクローンと認識するようになってしまった。すべてはそう仕向けられていたという解釈です。

これこそ映画のテーマに沿った地味だけどある意味
1番恐ろしい解釈
と言えるかもしれません。

クローンのミアゴスがただイタズラにターゲットを陥れている。

これは今回のミアゴスのキャラクターにぴったりとハマってると思います。

実際狂ってるように見えるのはミアゴスだけでした。

ガビGabiとは「女性のヒーロー」「女神」という意味を持つ名前です。

もしもクローンの中から唯一女神のような存在が誕生していたとしたら

そう考えると今回の映画のミア・ゴスが演じた
ガビは最高のキャラクターだと思いませんか?

タイトルの意図するもの

                       一3一
"最大限おそろしい体験"をした気がするが
全てを把握できない、よく考えるとそれはもっと
地味だが"ある意味おそろしい事"
だった気もする
もう恐怖すら境目がわからなくなる



という感じになれたでしょうか?

今回の考察はこれで終わりにします。

いろんな解釈が出来て楽しい映画でしたね。

まだわからないことは沢山あります。

ガビの失敗する演技専門のCM女優のところとか

可愛いかったけど何?気になりますね
教えてほしいです!


最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。



「インフィニティ・プール」面白いかも
と思っていただけたら嬉しいです。

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