見出し画像

新しい『KMNZ』から目を逸らしたかった

 去年の12月1日。KMNZ LIZの活動終了が報告された。

 好きだったモノが終わってしまう哀しみは、誰もが知っていると思う。
 好きだったモノが以前とは違う形で続いて、わだかまりに似た感情を抱いたことも、きっと。
 僕のそんな感情を越えてきたケモノ達の話をさせてほしい。
 初めて彼女達を知ったあなたに。あるいは以前の二人を知るあなたに。

 正直な話。僕は新しい『KMNZ』から目を逸らしたかった。

 それなのに、彼女達が見せた"進化"はそれを許さなかった。


かつての『KMNZ』という2人組

 現在の『KMNZ』の話をするために、順を追って以前の彼女たちについて話させてほしい。主観的だけど、旧『KMNZ』に対する僕の認識はこうだ。

"ヒップホップ文脈とボカロ系文脈をミックスした2人組の音楽系Vtuber"。

「けもみみの国」出身というビジュアルも付記すべき特徴だけど、一行で言うならばそうなる。


 もう少し掘り下げよう。
 『KMNZ』は2人組でありながら個々のソロカバーが非常に多く、しかもそのジャンルは明確に異なる。LITAが現在38本、LIZが81本となる。
 LITAは「水星」「STAY TUNE」「合法的トビ方のススメ」とHIPHOP的文脈の選曲が多い。
 一方でLIZは「ロキ」「グッバイ宣言」「ふわふわ時間」と、こちらは直球のアニソン・ボカロの系譜だ。
 カバー楽曲で蓄積された2人の個性は、『KMNZ』オリジナルの楽曲で”交差・複合"され新たなスタイルへと昇華される。

 その「異文化をミックス」するようなスタイルは、自覚的なブランディングと同時にコンセプトとして目指された姿だったと思う。
 2018年6月というVtuber急増期に現れた彼女達が、シーンでの存在意義として提示した解答でもあったのかもしれない。
 同時に。自分にとっては、"Vtuber"という新しい次元と三次元が結びつくような時代の期待感の表れにも見えた。

そっちの世界はどうだい まぁこっちの視界は爽快
だけどいつか溶け合う2つの世界 バーチャルとリアル曖昧な境界

 オリジナル曲で語られる2人の姿は、活動を重ねるごとに少しずつ変わっていく。

 初期の楽曲では、未知の次元で待つ先駆けとして。あるいは、新たな潮流に挑む挑戦者として。
 2020年以後の楽曲では、未知だった場所は足跡が刻まれたホームとなり、共に挑戦を続けた2人はかけがえない相方として歌われるようになる。
 異なる性質を持つ存在として、だからこそリスペクトする対象として。

 
それは、彼女達が歩んできた軌跡にも似ていた。

私だけの狭い部屋も 君となら広げていける

全部着せてくるショップ店員と 知らない楽器鳴らすアーティスト
もっと早く気づきたかった 出会いがこんな楽しいこと

『STAR-LIGHT』で結実された5年間と、描かれた先の景色

 どんなユニットでもファンはそうなのかもしれないけど。
 「『KMNZ』は、この二人だからこそ」という想いが強かった。

 2023年9月に行われた2ndワンマンライブ『TYPE WILD』。そしてそこで発表された新曲『STAR-LIGHT』は、そのひとつの集大成であると同時にそんな想いへのアンサーでもあった。


Ah きっとdistanceのあの星になれるよ
Starlight Starlight 行こう輝きへ Starlight Starlight 今輝くよ

 バチバチのハイペースながら、朗々と繰り出されるLITAのラップパート。
 それを受けても揺るがずに響くLIZの歌唱。

 その曲は積み重ねてきた互いへの信頼を、その先へ飛翔を歌っていた。それは「今の私たちなら、高く翔べる」という宣言さながらだ。
 同時に、そのパフォーマンスは「そのはずだ、そうであってくれ!!」と感じるには十二分なもので、彼女達が重ねてきた軌跡を想起させた。その熱はライブが終わっても冷めない。

否応なしに6年目への期待が膨らむ。






……はずだった。

LIZの卒業

https://x.com/kmnzliz/status/1730520372381118770

 けれど、その熱を不意に冷ますようにKMNZ LIZの卒業が宣言された。活動終了まで1ヶ月の期間を設けた宣言だったし、そこに冷たい空気は無かった。

 正直なところ、『不本意な形で終わるよりもずっといいのかもしれない』と思ったりもした。
 ――だけどそれよりもずっと。

 『TYPE WILD』で見たあの熱は、期待は、幻だったのか?
 そんな想いの方が大きかった。

 『KMNZ』は続いていくと、そう知らされていたとしても。再始動に向けて沈黙した5ヶ月の間、喪失感は強くなるばかりだった。
 あんなに好きだった曲を聴くのが、怖くなっていった。


3人の『KMNZ』

 新生『KMNZ』が再始動に至ったのは、5月。

 新たに加わったのは2人で、いずれもシベリアンハスキーをモチーフにしている。活動を続けるLITAと合わせて、犬のモチーフに統一された形になった。ストリートファッション×ケモ耳。
 『KMNZ』のスタイルを引き継ぎながらも、どこか今風にブラッシュアップされたデザインだ。

 そこにLIZと同じ猫耳はない。
 白と黒、姉と妹のシベリアンハスキー。明確に新しい二人としてデザインされた彼女達を加えたユニットの姿は言うなれば「1+2」だ。

 多少なり意図的にデザインされたのだろうか。
 その”馴染まなさ”が、"代わりではないこと"がありがたかった。


 そんな新生『KMNZ』が3つの新曲と共に初めて姿を現したステージが『VOICE SPARK』だった。

 不躾な感想になるけれど、と断っておきたい。
 初めて見る新しい『KMNZ』。それはやはり以前とは違うものに思えた。

 新たに加わったTINAとNEROのパフォーマンスが拙いものだったのではない。上記の感想もある程度当時のバイアスがかかったものだ。
 『TYPE WILD』の姿が焼き付いているからこそ、変わった部分が浮いて見えてしまう。
 だって、LITAという個人が磨いてきたスキルは変わらず輝いていて。そこにかつての『KMNZ』二人の面影があって。
 僅かな違和も鋭敏に感じてしまう程度には、思い入れが僕にもあった。

 少なくとも僕には、心待ちにしていた再始動の第一印象は、手放しに喜ぶことは出来ないものになった。

『VOICE SPARK』でのメンバーの感想も語られたインタビュー記事

 それから以前にもまして精力的に、『KMNZ』は生配信などの活動を再開した。6月にメインチャンネルで行われた配信は12枠にもなる。

 『WE ARE BACK』と、そう言われているようだった。

 だけど依然としてノリ切れない気持ちを抱えながら、新しい『KMNZ』の軌跡が増えるのを横目に見ていた。


手に入れたのは新しい強みだった

 5月25日、新体制で最初に公開されたオリジナル曲『VERSE』。

 『OPENING』のイントロの再演で始まって。
 『GALAXY』は飛び越えられ。
 『VR』で繋がれた定期券の外側へ。

 
今までのKMNZの楽曲を多分に取り入れた、”2週目”の幕開けの曲だった。
 『VOICE SPARK』から少し時間をおいて改めて聞くと、3人の歌声が綺麗に重なり合うことに意識が惹かれた。
 三人が変わる変わるハイテンポに入れ替わる、今だから出せる厚みがあった。とても挑戦的で、全く"置き"にくるつもりがない。

 そんな曲を、最初の舞台であれほどに歌い上げた新しい『KMNZ』。どれほど"器用なモンスター"だったのかを、少し遅れて理解し始めていく。

 そして、新生KMNZのコンセプトがより強く現れているのが『MID JOURNEY』だ。

 こちらも過去に『JOURNEY』という楽曲が存在したりと、"2週目"的な性質を持っている。
 6月23日に公開されたMVでは、二人乗りのTINAとNEROに並走する、一人乗りのLITAが描かれる。
 その助手席は空席だ。

イラストもとてもかわいい。新しいKMNZ、めちゃくちゃMVに力いれてませんか!?

 巧みなハーモニーで三人を表現した『VERSE』と打って変わって、明確な「1+2」のオリジン的な曲なのだ。ラップパートがLITAの"問いかけ"めいた形であることからもそれが伺える。

結末はわからないこれから作るから あの人もきっとこんな日を過ごした

 そんな歌詞を経て、三人は一つの車に集まる。
 ここにいない"君"の存在を確かにしながら、新たな出会いが描かれた。

 『KMNZ』の在り方は、非常に対話的なものだと思う。それは時にファンに向けられ、時に自己言及的にも向けられる。
 『MID JOURNEY』は、それを特に象徴しているように感じられた。

 今の『KMNZ』が迎えている変化を、改めて浮き彫りにして。だからこその決意を告げる。

Highway 走ってく 旅のまだ途中 どこまで行こうか? 昨日と違う場所

 『TYPE WILD』の先にはまだ辿り着いていないと、そこへ向かうんだと言われている気がした。

 新しい『KMNZ』から目を逸らしたかった。それなのに、彼女達が見せる"進化"はそれを許さなかった。

 これからの彼女達が目指す先を見たくなってしまった。


新生『KMNZ』が手にした新しい強み

 5月に感じた違和は、12月に恐れた変化は。
 今改めて言葉にするなら"進化"だったのだと思う。そう思わされた。

 TINAとNEROは、『KMNZ』をフレッシュさを与えている。それは単に声質の話ではない。
 『KMNZ』というスタイルが確立していくことは、言い換えれば『KMNZ』という枠組みが固定化されることでもあった。
 挑戦が無かったと言いたいのではない。だけど、かつての足跡を避け、時に飛び越えて、残された余白を探すような部分を感じていた。
 今の『KMNZ』はその軌跡を継承しつつも、それを変幻自在に解きほぐして様々なスタイルに変化している。
 それは、今までよりも多くの人に繋がりうる武器になるのではないだろうか。

 LITAもまた、磨き続けたスキルをより研ぎ澄ましている。彼女の持つ存在感めいたものが、『KMNZ』の土台を揺るがずに定義していることも確かだ。
 新しい楽曲のラップパートは、いわば"必殺技"的な構成に近い。
 今のLITAだからできる。
 
そんな信頼を感じてしまう。

 他にも、3人になったことで『KMNZ』が出せる"色"は間違いなく増加したし、それをアクセント的に見せることも可能となった三等分というパワーバランスは明確にプラスだろう。
 ルーキーとエース。カワイイとカッコイイ。ダウナーとアッパー。
 今まで"ミックス”を個性にしてきた『KMNZ』は、複雑・多層化したレイヤーをも巧みに構築しようとしている。


聞いて欲しい、あたらしい『KMNZ』の歌

 再始動後のLITAの、初期から続く東京事変ソロカバー。力強くも繊細で、重ねたキャリアの厚みを確かに感じる。
 "イマ"を閃く光を歌う選曲は、彼女から向けられたアンサーに思える。

 "デカい声担当"を自認するNEROのソロカバー。”がなり”を活かした歌い方を存分に発揮。
 LITAにもTINAにもない"我"という名刺を叩きつけるような歌唱だ。

 一人だけソロカバーではないけれど。現在のKMNZにおけるTINAを語る上で外せない曲だと感じる。
 随所に見える"Kawaii_future_bass"的なエッセンスと、TINAの柔らかな歌い方の相性の良さが顕著に現れた現在の最新曲。

 三人制としての構成がとても巧みで、以前のKMNZでは絶対に出なかった曲だと思う。すごい。

”おわりに”、あるいは”この先に”


 というわけで『KMNZ』、今めちゃくちゃ熱いVtuberであり音楽ユニットです。

 いるかもしれない、初めて『KMNZ』を知った方。この記事が、少しでも何かのきっかけになれば幸いです。
 いるかもしれない、以前の『KMNZ』を知るヘッズ!! この記事はそんなあなたのために作りました。

 自分には音楽的な知見もありませんし、『KMNZ』をずっと最前線で追ってきたとも言い難いです。
 だけど、そんな1ファンが想ったこと、感じたことが何かの共感だったり、納得に繋がればと思います。

 『KMNZ』は、最高だった。『KMNZ』も、きっと最高だ。

 いるかもしれない、5月の自分へ。

いいなと思ったら応援しよう!