少数派の人間のほうが発想が柔軟になれる?
こんにちは、千鶴です。
すっかりさっぱりじぇんじぇんnote更新しておりません。はい、ごめんなさい。私そういうとこあります。
それはさておきタイトルについて。
私は基本的に物事において少数派、マイナー側の立ち位置に入ることが多いです。それは自身の趣味嗜好であったり意識や考え方であったり。
そんな少数派側であることで今まで感じてきていたこと。
どんな分野においても多数派、メジャー、一般側の立ち位置に立っている人間からは「異質扱い」を受けることが多いです。
それは向こうからしたら当然そうでしょう。しかし逆に言えばこちらから見たら相手こそが異質なのです。それってどっちもどっちです。多分どっちが正しいとかって基本的にないと思います。
ですが、少数派と多数派で何となく違うと感じてきたことは、多数派は自らを完全に正義だと信じているタイプが多いということ。
周りに同意見がたくさんいてそれが当然のことだから、その枠から外れている人間は彼らから見れば「おかしい」のです。
具体的な例を出すと私はお酒が嫌いです。
単純に不味いからです。飲めないとかそういう理由でなく、不味いからです。とてもシンプルです。
それをお酒好きの人からは
「きっと合うお酒に出会ってないんだよ!」とか
「お酒の美味しさを知らないなんて人生損してる!」とか
言われたりします。
余計なお世話なのです。不味いもんは不味いです。
ちなみに私はタマネギも嫌いなんですけど
「タマネギの美味しさを知らないなんて人生損してる!」
なんて言われたことはありません。
話がそれましたが。
例として出したお酒の話は、前述した多数派であり自身を完全に正義だと信じている、に通ずるものがあると思うのです。
で、タイトルの話。
少数派の人間、少数派の立ち位置に何度も立っている人間は自身と違う考えに対し
「そういう考え方もある」
「人それぞれ」
という思考にすんなりと入りやすいのではないか、何となくそう感じるのです。
何故なら、少数派の人間は自分が枠から外れていること、自分の思考がズレていることを自覚している人がおそらく多いはずです。
故に、何かズレていることに対して、理解はできなくとも「そういうのもあるんだね」という方向に考えがいきやすいと思います。
だってまさにズレている自分が実際存在しているんだから。
「ありえないはありえない」
これはうちの妹がよく言っていたやつでなるほどなと感心した言葉です。
どんなことだって可能性が完全にゼロであるというデータでもなければありえないことなんてありえないのですよね。
何が起きるか、どんなことが起きるか、それって誰にも分からない。
多数派による
「こちらが正しい、故に正しい道へ誘導してあげよう」
といった言動は少数派からすれば大変暴力的なものですが、本人たちはあくまで優しさや思いやりであったりもして、そこがまた難しいところです。
ところでここまで書いておいてなんですが。
自分だって多数派に立つ時も勿論あるし、文章はまだ推敲する時間があるけれど口語においては考える間もなくうっかり言葉を使っちゃうことはきっとあるだろうし。
色々と気をつけたいなぁと思いました。
おしまい。