「ねこねこ日本」とは何なのか①

 まず、前提として「ねこねこ日本史」とはその登場人物、各話の表題をはじめとして、「歴史上の偉人」が基本となっています。
 その偉人とは、我々日本人が中学、高校の授業で受けるところの「日本史」にて習ったところの「卑弥呼」、「足利尊氏」、「徳川家康」、「西郷隆盛」といった人物名と同名でありつつも、"人のような猫"として描かれています。

 今回論じてゆく"疑問"は、「ねこねこ日本」と我々の現実世界たる「日本」の違いです。ただただ、「人」を「人のような猫」に置き換えた形で「日本史」を描いているのでしょうか。すると「史実」に忠実か否かを徹底的に分析することも必要となるでしょうし、「ねこねこ日本史」というアニメは、「歴史上の偉人が"ねこ"になったらどうなるんだ…?という前提を漫画として描いた歴史コメディー」と紹介することもできるでしょう。

しかし、アニメ公式サイトの表記には

「ねこ達のもう一つの日本史がゆる〜く展開!」

とあります(※1)。

 「ねこねこ日本史」とは、「ねこ達」による「もう一つの日本史」であるというのです。「もう一つ」とはどういった意味なのでしょう(※2)。「日本史」そのものではないというのです。
 ならば、当然ながら我々の意識するところの「日本史」とは違っていて当然、いや、むしろ異なった「日本史」であるのではないか。
 これが、弊会の大きな疑問点です。

「ねこねこ日本史≠日本史」

ならばそれはつまり、

「ねこねこ日本≠日本」

ということにも行き着くのではないか。

「ねこねこ日本史」において描かれている"ねこ"たちの世界、つまり「ねこねこ日本」とは、どういったものなのでしょうか。
"よく似ているが異なった世界"としての「ねこねこ日本」なのではないか。

これを分析してみたく思います。

(②へ続く)

※1 http://neco-neco.jp/
※2また、作者のそにしけんじ先生の発言や原作の記述等も解釈が必要です。

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