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抱負って秘めてないとダメなんだっけ?(KOGADOの冒険ワークショップ vol.35)
新年あけましておめでとうございます。
いつも(あるいは今回たまたま)工画堂の冒険ワークショップをご愛読いただきありがとうございます。
本年も変わらぬご愛顧をよろしくお願いします。
昨年の春くらいに、なんとなく始めた自己(自社)開示ブログですが、新しい年を迎えることができました。
年を越して新年を迎えるという事は日本人の私からしたらまあまあ大きなイベントごとでもあるのです。小さいころから年末のざわざわ感、年始のキリッと感は大好きでした。がしかし、会社人的な側面からだとそうでもないのです。元旦に新年を迎える、4月1日に一般的年度変わりで新人を迎える、7月1日に会社の会計期間の期首を迎える、と、年に3回くらい「迎える」区切りがあります。どうも気持ちが分散しがちなのです。
何らかを迎えた時には、決意なんかを新たにして目標を立てるのです、私も。でもそこから一年経過する前に次のスタートイベントが発生してしまい、ゴールラインを切らないうちに次のレースが始まってしまって、決意やら目標やらがリフレッシュされてしまう、そんな感じです。
年始に今年の抱負なんかを考えますよね。考えがちです。でもあれはまったく意味がないという論もあるようですよね。「年始」「抱負」「意味がない」とかで検索してみるとザクザク出てきます。だいたい2週間もすれば忘れちゃうから、だからもっと短期の目標を立てましょうとかそういうことがよく言われています。実際私も、賀詞交歓会の挨拶の時にこのネタでしゃべったことがあります。
でも、達成されないから抱負を抱くことが意味がないって、なんかちょっと違うんじゃないかなと思っています、今は。
抱負って、語った瞬間に、目的はほぼ達成されてるような気がします。
目標も、若干そういう側面あると思う。考えた瞬間にまあまあ達成される気がします。
なので「意味ない」とか「達成までのマイルストーンを」とかそういうつまんないことを言わずに、みなさんも新年らしく今年の抱負なんかをぼんやり考えて、何か日記とかブログとかに書いてみましょう。
私の今年の抱負は、
「無駄だと思えることも大事にする」
「120%くらい、物事に丁寧に取り組む」
「周りの人に、ほんのちょっと安寧をもたらす」
あたりにしようかな。
……書いた瞬間にもう忘れそうだけど。
本年もまだ迷いながら惑いながら、駄文をしたためる日々を送ります。
みなさんも、ああBWSってことはそろそろ週末だなとか思ったり、読むのを忘れたり、まとめて読んだり、脱力しながらお付き合いいただければ幸いです。
よろしくお願いします。(北川)
※「KOGADOの冒険ワークショップ」では、ソフトウェア開発部の北川がその時思いついた事柄を駄文にしたためております。取り上げて欲しい事柄などありましたらお気軽にリクエストください。
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