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この世はフィクションですべてが繋がっている
はじめに
あなたは、「自分」をどう捉えていますか?
私自身、そんな疑問を抱くこともなく日々を過ごしていました。
しかし、『自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学』という本を読んだことで、その考え方は根底から覆されました。
この本は、インド、中国、日本の哲学を通して、私たちが「当たり前」と信じていることが、実は幻想でありフィクションであることを教えてくれます。
自分という存在も、現実の出来事も、「私たちの思考や言葉が作り出した虚構に過ぎない」という考え方は、まさに衝撃的でした。
今回は、この本から得た学びをどう人生に活かせるのか、考えていきます!
「自分」という幻想から自由になる
私たちは日常の中で「自分」というものを確固たる存在として信じています。
しかし、この本を通して得た最も大きな気づきは、「自分は実体のないフィクションである」ということです。
自分の身体も、食べ物や空気、自然の恵みでできており、他人や自然と切り離された存在ではないのです。
この視点に立つと、「自分」と「他人」の境界線は曖昧だということに気づきます。
言葉が作る世界 – すべてはフィクション
この世の多くのものは、私たちが「言葉」で定義することで初めて存在していると言えます。
例えば、ファミチキを「おいしいチキン」と認識するのも、名前とパッケージによるもの。しかし、実態は、ただの死んだ鶏肉です。
このように、私たちは言葉というフィルターを通して世界を見ています。
「コップ」という物も、もとはただの土であり、土の使い方が違えばコップではなかったかもしれません。
このように、私たちが「これが現実だ」と信じているものは、実は言葉や概念によって作られた虚構に過ぎないのです。
全ては繋がっている – 境界線は存在しない
この本が教えてくれるもう一つの重要な視点は、「すべてのものは繋がっている」ということです。私たちは普段、物事を個別の存在として捉えがちですが、実際にはすべてが関係性の中で成り立っています。
例えば、水は雲として存在し、雨となって地面に降り注ぎ、川を流れて私たちの飲み水になります。
山も川も自分も、身体の70%が水でできている私たちにとっては、同じ存在の一部なのです。
また、太陽がなければ植物は育たず、動物も人間も生きていけません。
つまり、私たちは、宇宙そのものと繋がって生きているのです。
だからこそ、私たちが抱える悩みや不安も、その繋がりの中で見直すと、意外と取るに足らないものだと思えます。
ダメな自分を受け入れることで楽になる
私たちは完璧を目指し、「理想の自分」を追い求めがちです。しかし、親鸞の哲学が教えてくれるのは、「ダメな自分を受け入れることで救われる」ということです。
「自分はダメだ」「うまくいかない」と感じたときこそ、それを認めてしまうことで肩の力が抜け、心が楽になります。
自己否定ではなく、「自分を受け入れること」が解放への第一歩です。
うまくいかないことも、失敗も、全てが自分の一部として受け入れられると、人生はぐっと生きやすくなります。
欲望も自分の一部として認める
空海の密教では、「欲望を否定せず、むしろ肯定する」ことの大切さを説いています。私たちはしばしば「欲を持つことは悪いこと」と思いがちですが、欲望は私たちが成長し、他者と繋がるための原動力でもあります。
承認欲求や成功への欲望も、過剰に抱え込むのではなく、自然な感情として受け入れることが大切です。
欲望を通して他者と繋がり、その結果、自分が空っぽになり、より大きな存在と一体化する感覚を得られるのです。
最後に
この本を通じて学んだ最も大きなことは、「自分という存在も、この世界も、全てがフィクションであり、繋がっている」ということです。私たちは言葉や概念で世界を切り分け、そこに境界線を引いて生きていますが、実際にはそんな線はどこにも存在しません。
自分を縛る固定観念や完璧を求める気持ちから解放されると、人生はもっと自由で楽になります。
すべてが繋がっていると知ることで、他者や自然、世界との関係性をより深く感じられるようになるはずです。
今回の内容が、あなた自身の「自分」というフィクションに気づき、より自由で繋がりを感じる生き方のきっかけになれば嬉しいです!
最後までお読みいただき、ありがとうございました!