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古賀コン開会宣言集(#1~5)


古賀コンの募集要項には「はじめに」的な役割の開会の言葉がございまして、趣味なんですが、そのまとめです。
このテンション感きついな、と思った方が気持ちよく回れ右できるように毎回心を込めて書いています。
第1回から第5回までのまとめ🐸♡

第1回「蒐集」

paypayという悪魔のアプリをご存知でしょうか。
赤いアイコンで
会ったこともない地方のコンカフェ嬢にお小遣いを送れるあれです。
すごい世の中になったもんだと思いつつも
なんでみんなあれ使っているんでしょうかね。
ネットバンクとpaypayは何が違うのかしら。
手数料なのかUIなのかあるいは匿名性なのか……
要因は様々あるかと存じますが
paypayって送金画面でメッセージのやり取りができるんですよね。
つまりは送金に乗じて相手と言葉を交わすことができる訳なんです。

LINEに既読がつかないあの子でも
paypayに送金すれば「ありが㌧」が返ってくる

返報性の原理ってやつですね。

そんなことを考えていたら私、創作を愛する全ての若者を応援したくなりました。

でもSNSも得意じゃない、拡散力も持っていない私にできることなんて、せめてタバコ代をカンパすることくらいのもんです。
私がとある舞踊団の演出家をしていた頃(もう10年前だ!)、やはり辛かったのは忙しい日々の中で創作タイムを捻出することでした。
台本書きたい、でもバイト行かなくちゃーー
それがもどかしくてもどかしくてね〜。
じゃあ普段の創作活動の一環で気軽に応募できて、バイト1回分くらいのお小遣いをGETできる賞を作ったら、誰かの役には立てるかも。
バイト1回サボれればさ、結構良い創作タイムつくれんじゃね!?
とりあえずやってみよ。
やってみてから考えよ。。。
これからは、人が喜んでくれることをやっていくんだ!

令和5年6月、行ったこともない大阪のコンカフェに遠隔シャンパンを入れながら私はそう決心したのであります。

私だって人として生まれたからには誰かの役に立って死にたいんだ!!!
そしてできるかぎり長生きしたい。。。
毎日美味しいごはんが食べたい。。。
目の下のクマが取りたい。。。
最近まじで気になるんだよね、目の下のクマがさ。。。
目の下がさ、アメジストのような色をしているんだよ!!!(綺麗〜)
涙袋ってかプルーン袋やろこれ…( ´_ゝ`)
TikTokで流れてくるクマ取り手術の動画が好き。
あれすごい取れてすごい(語彙)


第2回「アメリカの入学式」

おはようございます、古賀でございます。
概念だけが、えー、なんて言うんでしょうか、存在するものが好きでして。
それって何フェチなんだろうと考えてみたらですね、これって潔癖症なのかもしれない、という気がしてきたんです。

たとえば「男女の友情」、この概念が完全に創作であることは皆さんご存知の通りで。
小説や漫画、アニメ、映画の中では美しく、あるいは面白おかしく描くことが可能でありますが、実際のところは様々な運要素が重なるごく短期間にだけ成立する関係性であって、その期間を超えて関係を維持継続しようとすればその他の人間関係に歪みを生じさせる主原因となる訳でございます。
結婚した後も「あいつ私のこと女だと思ってないからw」と言って男と飲みに行く馬鹿な女。
彼女が居るのに「あいつは俺じゃなきゃダメだから…!」とか言って夜中に駆けて行く勘違い男。
そんなものは創作物だから面白がれるのであって、実際に目の前に居たら、きしょすぎてグーで殴ってしまうかもしれません。
感情というか、反射で。

たとえば「優しい男」、この概念が完全に創作であることはやはり皆さんご存知の通りで。
辺りを見渡せば「皆に優しいけれど家では親を殴っている男」は居ますし、「誰にでも優しいけれど1日に8回シコる男」だって居ますし、「貧しい子ども達には優しいけれど結局人身売買で稼いでいる男」は居ます、もちろん居ます。
優しさとは依存か信仰か返報によってのみ表出される行為行動なのかもしれず、人格的にあるいは倫理的に「優しい男」というものは小説や漫画、アニメ、映画の中でのみ美しく、あるいは面白おかしく描くことができるのです。
でも私の父は優しい男だった。

創作の中には全ての人間が当たり前に存在しているのに、我々の社会にはその中のほんの一部しか生存が許されていない。そんな気がするんです。

そういう意味においては、義理の父は頗る創作的な人物でした。

「お前、椅子の本質を知ってるか?」

初めて顔を合わせた時、義父は開口一番にそうやって私に尋ねました。

尋ねたというのも正確ではないように思います。
試した、と言う方が近いかも分かりません。

問われた私が義父の座る椅子を眺めながら脳内で落合博満の全盛期の内角打ちをスローモーションで再生していると、痺れを切らした義父(創作的に短気)が「“座られるもの”だ!」と言って椅子の上に立ちあがりました。

「座れば椅子!立てば踏み台だ!!!」

そう言って満足そうに私を見下ろす義父の笑顔が忘れられません。
たぶん「俺を踏み台にしてお前はデカくなれ」という熱いメッセージだったのかな?良く分かりません。

以上を開会の言葉に代えさせて頂きまして、 #古賀コン 第2回目、スタートです。

👏🏻👏🏻👏🏻👏🏻👏🏻 <ワーッ !


第3回「完璧な日曜日」

只今ご紹介にあずかりました、実行委員長の古賀でございます。寒暖差アレルギー!
そんな言葉が生まれるずっと前から、わたくしは寒くなると鼻水が出る。出るのだから、きっと寒さと鼻水には何らかの因縁があんじゃないかと、ずっと前からそう睨んでおりましたことだけは全てに先駆けて言わせて下さい、ありがとうございます。

もちろん急に暖かい部屋へ入った途端に出てくるサラサラの鼻水、あれをわたくしが脳の雪解け汁と呼んでおりますことは以前にも申し上げた通りで、今のところ特に変更ございません。

さて、あれは小学校6年生の、冬でした。

わたくしはとにかくクリスマスが好きで、やや端的に申し上げればその空気感も、食事のスタイルも、並べられる小物たちの表情も無性に好きで、幼少期より毎年の師走は楽しみにそして、心煌めいて過ごしておりました。

そもそもサンタって人はどうしてこうも毎年わたくしの一番欲しいものをビタッと当ててくださるんだろうと、そればかりが不思議で。
きっとわたくしの、心や魂や、良くは分かりませんが目に見えない神経が、繋がっているどこかカタチを持たない世界に通ずる存在域なのだろうと、そんな風に思っていたんです。

あるいは感謝に混じって、尊敬の念もあったのかもしれません。
わたくしの一年間の行いと、心持ちを見ていてくれる存在なんだと、そして正しく評価をくれて、わたくしを判ってくれていて、そうして選ばれるプレゼントだからこそビタビタの、ビタなんだろうと。
そんな風に感じていたんです、でも、母が言ったんです。

学校から帰って来て、机にランドセルをドカンと乗せて、プリントやら筆箱やらを取り出してさて宿題でもやろうかと思いかけている肩を掴まれて振り返ったわたくしの、目を、瞳を、真っ直ぐに見て、母は言ったんです。

今年からはあなたも、サンタチームよ、って。

新人サンタの仕事は、弟と妹が、今一番欲しいと思っているものを探ってくることよ、って。

そう言ったんです、真っ直ぐにわたくしの目を見て。
あんなに真っ直ぐに眼を見られたのは生まれて初めてでしたから、気が付いた時にはわたくしはもう、トイザらスにいて、ルイージマンションと、ラメラメのメイク道具セットと、ミズノの靴下を、母の押す買い物カートに放り込んでいました。

わたくしたちは社会の中で、あるいは日常の中で、手渡された仮面を身につけ、課せられた役割を演じ、場合によってはそのギャップに悩み、時に希望しない振付の強制に腹を立てたりします。

18歳になればみんな大人になれるのでしょうか。

子どもができれば人は親になれるのでしょうか。

トイザらスからの帰り道、わたくしは母と共に、柔らかで丁寧な絨毯が敷かれた洋食屋さんに寄って、高潔で静粛な、白オムライスを食べました。

食べつつ、重厚な銀のスプーンをダーツのように右手に持って、それをくるくると回しながら母は言ったんです。

大人のオムライスにはね、ホワイトソースがかかっているんだよ、それと、お水には絶対にカットレモンが入ってるし、おしぼりはとっても良い香り。

ああ俺って世の中のこと何も知らないんだと思って、わたくしはそのレモンと、茎葉っぱの入ったお水をきっちり3杯おかわりして、幼年期に別れを告げました。

メリークリスマス!

そして、確定申告。

以上を開会の言葉に代えさせて頂きまして、#古賀コン3 、スタートでございます。

👏🏻👏🏻👏🏻👏🏻👏🏻 <ワーッ !


第4回「記憶にごさいません」

 ご来場の皆様方におかれましてはお足下のそんなお悪くない中、このようにしてお集りいただき、誠にありがとうございます、只今ご紹介にあずかりました古賀でございます、世の中すっかり花粉ですね、生命の結晶、いや、愛の精霊と言っても良いかもしれませんね、鼻にとっては迷惑極まりない主題ですが、花にとっては何より大事な行為ですからそれって、結局は所在の問題だと思うんです。もしかしたら杉花粉を桜は嫌っているかもしれませんし、桃の花粉にブタクサは恋焦がれているかもしれませんし、あまり目くじら立てて隣人と付き合わないことです。

 ところで皆様方におかれましては「時が止まる」というご経験をされたことがある方ってどれくらいおられるでしょうか、「あ、わたしあるよ~」という方はちょっと挙手を……なるほど、ありがとうございます、ちょっと状況を聞いてみようかな、どういう時に時が止まったのかっていう、じゃあ一番前のマツパーしてるあなた、ええ、ええ、交通事故でね、車にぶつかる瞬間にね、はいはい、分かるような気がしますねぇ、ありがとうございます、そしたらその後ろにいるアートメイクのあなた、そうです、ええ、ええ、なるほどね、二つ前のご主人と出会った瞬間に、目と目が合った瞬間にね、いわゆるビッグフィッシュ現象ですねぇ羨ましい、ありがとうございます、ご馳走様です、皆様それなりに経験がおありで、であればわたくしの話も分かってもらえそう!やった!もし皆様がピンと来ない話を持って来ちゃっていたら大変なことですからね、わたくしだってこう見えて小心者なんですよ、初めて入るトンカツ屋ではヒレなんか頼まないくらいにはね!

 たぶん仕事のない平日だったように思います、というのも、わたくしが目覚ましもかけずに寝ていて、娘は出掛けていて、妻が家の掃除をしている状況というのは、わたくしの数少ない貴重な休日のお昼前くらいのものです。
 妙に表情のない、しかし丹田によく響く声で叩き起こされたわたくしの前には、妙に感情の見えない妻が、両手をわたくしの方に突き出して仁王立ちです。

 右手にはわたくしの仕事用の鞄。
 左手には未使用のコンドーム。

 「鞄から出て来たんだけど?」と妻。

 そして、静止する世界 ―――

 えっ、えっ、えっ、
 ちょ、ちょっと待ってくれと。
 分かんないよ全然心当たりないよと。
 博士論文の締切日を間違えて泣きながら1日5万字ずつ書いていたあの一週間(地獄)よりも断然素早く猛烈な勢いで頭をフル回転させて考えてみてもこれっぽっちも心当たりのない目の前の光景。
 なにこれどういう状況~?
 神様ヒントちょうだいヒント~!

 なぜわたくしの仕事鞄に避妊具が?

 浮気なんて生涯ただ一度だってしたことのないわたくしの鞄になぜ!(?)

 「だれと使うつもりで鞄に入れていたのかな?」と静止した世界の向こう側で妻が囁く。

 だれと??わたくしが??

 考えても考えても仕事鞄に入っている避妊具に心当たりのないのないわたくし。(なぜなら清廉潔白の権化だから)

 こうなると人間とは至極不可思議なもので、普段から慎重であればあるほど、追い詰められた時の咄嗟の瞬間高速思考には外界からの軽微な情報の無暗やたらな介入を許してしまう生き物であります。

 わたくしの脳は、事実生涯妻ひと筋にも関わらず、「俺は一体誰と使うつもりだったんだ――」という方向へ舵を切ってしまったのです。

 そうなるともう事件は迷宮入り。真実はいつも一つ。
 だって相手になるような候補なんて一人としていないのに「相手は誰なんだろう」とそればかり考えてしまうのだから!
 見た目は大人、頭脳は子どもであります。

「ねえ!!黙ってないで答えなさいよ!!誰と使うつもりだったのかって聞いてんの!!!」

「うるせえ!!!!!!!!俺だって知らねえよ!!!!!!!!!!!」


 あービックリした。生まれてから一番デカい声出たと思います。あまりのデカさに自分自身が一番驚きましたよ。
 小学生の頃、大声コンテストというのに出場したことがあったのですが残念ながら予選落ちでした。もしもあの時にこの声が出ていたら、と今更ながらに悔やまれます。
 そんな朝の修羅場から3年 ―――。
 年を追うごとに時の流れが加速しているように感じる今日この頃です。

 最近になってふと思い出したのですが、7年ほど前に東北へ出張へ行った時に泊まったホテルがボロいビジネスホテルだったんですが、田舎にありがちな枕元にコンドーム置いてあるタイプの宿だったんですよ。

 それでわたくし、「お、ラッキー!持って帰ろう~」と思って何の気なしに鞄に入れたんでした。入れたんだったそういえば。

 いや~、どうして忘れていたのかな。

 寝ているところを叩き起こされて非現実的な光景を目の当たりにして時が止まって思考に追い詰められたせいでしょうか。
 それともあまりにも無意識の行動だったので海馬への残留を許可されなかったからでしょうか。

 良く分かりませんが、パートナーの浮気を問い詰めるのなら寝起きを急襲するというのは得策でないように思いますね。

 だって頭が働かないから上手く答えられないだけなのに、まるで言い訳を考えているみたいに見えちゃいますからね!はっはっは!

 そういえば今日の分の花粉の薬ってもう飲んだっけ?まだだっけ?

 人間、大切なことから忘れてゆく。

 以上を開会の言葉に代えさせて頂きまして、#古賀コン4 、スタートでございます。

👏🏻👏🏻👏🏻👏🏻👏🏻 <ワーッ !


第5回「第一座右の銘」

 ご来場の皆様方、本日は光り輝くカメムシのようにお集りいただき誠にありがとうございます。実行委員長の古賀裕人でございます、ありがとうございます、どうぞ飲食自由でお過ごしくださいね!外は暑いですから!!!わたくしたちが子どもの頃よりずっとね!!!!!

 それで本題ですが、皆さまには「座右の銘」、ございますでしょうか。

 座右の銘、というとひと昔前の流行物のように思われるかもしれませんが、あると便利という意味におきましては、ポケットトイレみたいなもんで、とりあえずひとつあれば大丈夫です。

 わたくしはといえば、「三つ子の魂百まで」という言葉が異常に好きで、実は十代の頃から自らの第一座右の銘にはこの言葉を掲げて都市を、街を、闊歩してきた次第です。

 ドキドキと胸高鳴らせた大学受験の二次試験で訳も分からず踊っている最中にも、愛する女性と一枚の紙を記入して文京シビックセンターに持って行った帰りにKグリルでハンバーグを食ったあの夜にも、人生を左右するデカい仕事をやり切ったあとで社長と大喧嘩して長野駅の裏のバス停で泣きながら煙草に火をつけたその瞬間にだって、私の胸にはいつでも「三つ子の魂百まで」がありました。

 思い返してみれば、子どもの頃からわたくしのハートはオールオアナッシング、0か100かの男でございました。

 母が美味そうな栗蒸羊羹を食べていれば、当然わたくしも食べたくなり、父がスプライトを飲んでいれば、必然わたくしも飲みたくなりました。

 そんなとき、ある程度の知能を備えた赤子であれば、「それひと口ちょ〜だい!」と、そんな風に声をかけることでしょう、というか、そんな場面をこの目で瞳で何度も見て参りました。

 しかし、人生は生きるか死ぬか、デッドオアアライブが信条のわたくしには、口が裂けてもそんなセリフ、言えやしません。

 「それ全部ちょ〜うだい!」

 それがわたくしという男です。

 ひと口なら要らない、もらったらもっと欲しくなるから。

 であれば、であれば全て寄越さんかいがわたくしの生きる道、マイカントリーロードであります。

 わたくしの実家、清新南ハイツは西葛西駅から徒歩15分。

 蛙の子は蛙。鷹を産むのは鷹なのです。

 「それ全部ちょ〜うだい!」と、本当は言いたいのにも関わらず、その聡明さから全てを飲み込み、噛み締めた奥歯から血を流し、見開いた両目から血涙を零しながら、「そ、それ、ひと口だけくださいぃぃ…」と縋るわたくしに対して、「ひと口あげるの嫌だから全部良いよ」と返すのがわたくしの親、主に、母でした。

 それがなんか妙に嬉しくて。

 その言い回しがなんだか妙に気持ち良くて。

 その甲斐もあってか、わたくしは子どもながらに、友達から「ひと口ちょ〜だい」と言われると、あげたくねえ、ひと口だってやりたくねえと両耳から血を噴き出させながら、「ひと口あげるの嫌だから全部良いよ」と返すのが変な癖になっていきました。

 本当は全部自分で食いてえ、ひと口だって他人にあげたくねえ…

 でも、ひと口あげたらもう自分で「全部を」食うことはできないのだから、全部あげちゃって構わないのであります。

 ワンフォーオール。

 ロックンロールイズデッド。

 そんな珍妙な価値観を備えた青年であるところの20代のわたくしは、強請るたびにオートミールクッキーを全てくれた母に、ファンタグレープを全てくれた父に、ある種の、感謝の念に似た何かを抱くようになりました。

 それは自分で日銭を稼ぐようになり、社会の厳しさに触れた折、自然と湧いてきた気持ちであったように思います。

 形而下、自分ひとりでだって生き抜くことは大変です。

 その上、わたくしを、弟を、妹を育てながら、本当は全部食いたかったはずの紫芋チップスを、本当は全部飲みたかったはずのミニ瓶ペリエを、ゴネるわたくしに全て譲り渡した両親は偉大だと、ありがとうと、サンキューなと、それが二十代のわたくしの、素直な性根でありました。

 ラブイズオーヴァー。

 でも実際には違ったのです。

 全てわたくしの勘違いでした。

 自分に子ができ、暮らしてみれば、全てについて根底から捉え違っていたことに気づくのです。

 お菓子もジュースも何だってかにだって、子どもの目の前で親が飲み食いしているのは、「子どもに取られても全然構わない分だけ」であって、“本当の”《自分用の》【全部食うやつ】は、戸棚の高い所か、冷蔵庫の一番上か、冷凍庫の一番奥に隠されているのです。(「全部食うやつ」の所は、「もっとエグいやつ」に変えても可。)

 シンプルイズザベスト。

 自分が親の立場になってみれば、何もかもが当たり前の世界。

 大の大人が平日の昼間に栗蒸羊羹をたったのひと切れだけ所持しているはずもなし、大人の身体ではふた口で飲み終わるようなミニ缶ジュースを自分用にわざわざ買う必要もなし、全てはこの小さな瞳に切り抜かれたジュニア画角の内側で起きた出来事だったのです。

 それを知るに至り、わたくしはいま、娘に「それひと口ちょ〜だい」と言われれば、それがアイスクリームであろうがカルピスソーダであろうが、若い頃の玉木宏のような平然とした顔つきで「ひと口あげるの嫌だから全部良いよ」とスマートに、軽やかに生前贈与をしてやれるのです。

 娘はかわいい。いや、きゃわいい。しかし、きゃわいいからこそ、娘が年を重ねるに従い、わたくしの父がそうしたように、わたくしも徐々に口数を減らし、なるたけ干渉を控え、せめて小遣いだけは、やや多めに渡してやるとしましょう。

 父も母も、もう定年間近。

 いつまでも、どうかお元気で。

 というかむしろ、あと30年、好きなことやって生きてください。

 あなたたちの子であるところのわたくしは、あの頃の子どもの心のまんまに、今日も人生というやつをやっております。

 ありがとう。

「ちんちん触った手で目を擦るんじゃないよ!」

 そんな母の声が、いまでもずっと、心に残っています。

 以上を開会の言葉に代えさせて頂きまして、#古賀コン5 、スタートでございます。

👏🏻👏🏻👏🏻👏🏻👏🏻 <ワーッ !


以上
今月開催の古賀コン6もお楽しみに!🐸

令和6年9月5日
草々


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