なぜ古賀裕人は古賀コンで自分の話ばかりするのか
こんにちは古賀裕人です。
さいたま市在住の36歳。
趣味で古賀コンの運営をしています。
古賀コンは正式名を「私立古賀裕人文学祭」といいます。
web上で行われるイベントで、今月(2024年12月)の開催で7回目になりました。
世間的には「個人文学賞」というジャンルにカテゴライズされるようですが、主催者としては、あくまで文学祭、「祭」という名にこだわって運営をしています。
レギュレーションはシンプルで、「テーマに沿って1時間で書く」、それだけです。
「言葉」を使ったものであればエントリーはジャンルフリーなので、小説、短歌、俳句、詩、エッセイ、漫画、あるいはジャンル不明の怪文書まで、様々なアートが祭りを彩る作品群として会場に展示されます。
私は主催者としてその作品が人々の目に触れるよう務め、より多くの方に素晴らしい作品がたくさん飾られていること、途轍もない才能がたくさん存在していること、そして文芸というものの可能性と煌きを来て見て読んで知っていただくのが、役割だと考えています。
一方で私はこのイベントを「ごく個人的な趣味」として開催しているのも事実で、それは個人的な芸術鑑賞の延長であり、個人的な読書の延長であり、最終的に古賀コンは個人的な趣味を楽しんでいるだけの主催者自身さえ鑑賞の対象として内包されるパフォーミングアーツの一種になると考えています。
なので古賀コンは文学祭としてエントリー作品を楽しむことは当然として、同時に文学祭開催の前後に起こること、開催中に起きること、参加者同士の人間関係、交わされるコミュニケーション、訪れる新たな出会い、気づき、喜び、悲しみなど、個人単位のマイクロドラマまで引っくるめて「体験」として享受してしまえる催しだと捉えていただければ分かりやすいかもしれません。
そんなイベントである古賀コンですが、私こと古賀裕人は、そのイベント名を一読すればお分かりいただける通り、かなり自己主張激しめで運営をしています。相当鬱陶しいです。
特にイベントの開幕をお知らせする『募集要項』内での「開会の言葉」、そして受賞者の発表を行う『結果発表』内での「全作品講評」。
このふたつの項目ではとにかく自分語りを連発して喋りに喋ります。スクロールしてもスクロールしてもずっと自分の話ばかりしています。
今日はそのふたつの項目について、なぜ古賀裕人は自分の話ばかりするのかという、その理由を書き留めておきたいと思います。
毎回開催後に配信している「後夜祭」では何度かお話ししている内容になりますので、ご存じの方は二度手間失礼いたします。
自己解説的なことをするのは野暮かもしれませんが、今回参加者が100名を超え、一度このタイミングでご説明するのも良いのかな、と思った次第です。
では。
◆「開会の言葉」での自分語り
参考:第7回私立古賀裕人文学祭募集要項
・無名主催者としての自己開示
古賀コンは個人企画の文学祭でありながら、主催者は文学に縁もゆかりもない素人です。
作家でもないし、編集者でもありません。
そんな一般人が広く文芸作品を募集するのですから、エントリーを考えている方には私の素性を明かすことがまず不可欠だと思いますし、それはプロフィールを超えたものでなければならないというのが私の考えです。
私のプロフィールを見ていただければ芸術の分野で博士号を持っていることはお分かりいただけます。しかし芸術だけでは範囲が広すぎるし、創る人なのか観る人なのかもキャッチアップできません。
ですが「開会の言葉」と称したスピーチ原稿風の自分語りをすることで、とりわけ古賀コンにエントリーしてみたいと思ってくださる初見様に対しては、どんな自己紹介よりも私の「具合」が伝わり、深く知っていただけると信じて書いています。
一読して「感覚が合わない」と思えば参加しないという選択ができますし、逆に「初めて知ったけどなんか面白そう」と思ってくださる方も中にはいるはずです。
私は無名で、無名だからこそ誰よりも先に自分が作品を提示する必要があります。それが私なりの「フェアな関係づくり」の一球目で、そのボールを避けずに受け取ってくださった方が、毎回ご参加くださっているのだと信じています。
・テーマに対する価値観の提示
古賀コンでは毎回異なるテーマを設けてそれを募集要項内で発表し、参加者の皆さまはそのテーマを見てそれから新作を書き下ろしてくださいます。
テーマに対して抱く印象や価値観は千差万別、に見えて、意外と人間の視野というのは狭いものだと思っています。
私は古賀コンを文学「祭」として枠組みし、ジャンルフリーかつボーダーレスに多種多様な作品を飾りたいと願っていて、テーマなんてどんな捉え方をしてくださっても良いんだよ、どこまでも自由に考えて良いんだよ、トルストイを超えようとして良いし、うんことかも全然言って良いんだよというメッセージをお伝えしたいのはもちろんのこと、でも「私はこう考えたけどね!」というひとつの「例」をお見せすることで、単純に皆さまを「お惑わせしたい」というおもてなしの気持ちもございます。
テーマを見た瞬間にイメージしたモチーフで突っ走っても良し、開会の言葉を読んで頭の中をハテナだらけにしても良し、色々こねくり回して戦略を練るも良しです。
まずはイベントの開幕を楽しんでいただきたい、ワクワクしてほしい。
そんな気持ちで毎回、開会の言葉という名の自分語りを書いています。
◆「全作品講評」での自分語り
参考:第7回私立古賀裕人文学祭結果発表
・私の読書体験
私はかつて本読みでした。
どれくらいの本読みかというと、年に最低でも500冊は活字の本を読み、漫画を合わせたらさらに増えるような生活を大体15年やりました。ひどい話です。
小説、短歌、俳句、詩、エッセイ、評論、論文、新聞記事、漫画など、雑食というのでしょうか。活字中毒というのでしょうか。なんでも食べる文芸ゴキブリです。
私は素人ですが、なんでも食べられるのだけが自慢です。
なので私には「こういう読み方をする」という、プロみたいな特定のスタイルはありません。
他の一般の方と同じように、論文を精読することもあれば、論文を精読するように小説を読むこともあれば、詩を眺めるように小説に身を委ねることも、漫画を読むように論文を楽しむこともあります。
その日その時の自分に必要な方法で、あるいは求められるアウトプットに合わせたやり方で読むのが、スタイルといえばスタイルです。
分析が必要なら分析に耐えられる読み方を、読んで楽しみ今日という日を豊かにしたいならそんな読み方をします。
塾で現代文の講師を10年やったこと、芸術に関する表現と鑑賞についての専門的な教育を受けていること、博士号に耐えうる論文執筆の経験があること、このあたりはある程度の「読解力」を担保する材料にはなるかもしれませんが、証明するものにはなり得ません。
もちろん読み間違えることがあります。
ただそれはそれで楽しい。
どうして自分は間違えたんだろうという疑問は、いつでも新たな発見をもたらしてくれるからです。
過言すれば、全て正しくさらっと読んだ本よりも、一度読み間違えて改めて解釈をし直した本から得られる学びの方が、相対的には大きいような気はしています。少し脱線ですね。
とにかく、私が自分の話をしまくるのは、私のもつ肩書や資格のどれもが、私の審査員としての質を証明してくれないからなのです。
・自分に嘘をつかないという運営方針
古賀コンは、無趣味な私が、どうせ趣味をつくるなら「誰かに嬉しい趣味」にしたいな、と思いスタートさせた企画です。
なので誰かのためにとスタートさせた企画でありながら、これはどこまで行っても趣味の延長でさえない「趣味そのもの」なのです。
それはテキトーさや無責任さの代名詞としての「趣味」ではなく、「本気でやるから楽しい」という意味での趣味であり、そして「辛くて苦しいならやらない方が良い」という意味での趣味でもあります。
だから私はいつでも楽しんで古賀コンを運営しています。
開催期間が約1週間(募集期間に至っては4日間)と非常に短いのも、単に私がせっかちだからです。もし自分がエントリーしたら、結果が出るまで2週間も1ヶ月も待っていられないからです。
開催期間も自分自身が古賀コンを楽しむために必要な設計にしているという訳で、これ以上長く取ると途中で飽きてしまい果ては古賀コン自体のモチベーションも下がるはずです。
LINEの返信は1分以内。
昔付き合っていた彼女にそう躾を受けた私にとっては、1週間でも実はお待たせしすぎているくらいなのです。
そしてたくさんのご応募をいただけるようになった古賀コンを長く続けるためには、やはり無理をしたり、自分に嘘をついたりすることを徹底して避けなくてはなりません。そういったことをすると必ず澱が溜まり、いつか爆発するからです。
なので「これは参加者の皆さまに意見を聞きたいな」と思ったことはお聞きし、「これは自分で決めたい」と思ったことは自分で決めます。
嫌だと思うことは絶対やらない、やりたいことは全部やる、それが運営方針の背骨になっている私のポリシーです。
・なぜ全作品講評をするのか
やりたいからです。
後夜祭では何度かお話ししていますが、私はかつて「創作したいけどバイトに行かなくちゃ」という生活がストレスで、そんなかつての自分と同じような生活をしているクリエイターがもしここで1万円分の賞品を得られたら、バイト2回休んで創作できるじゃん!という気持ちでコンセプトと賞品を設定しました。
後から知ったことですが、個人企画で万の賞品が出るのはそれなりに珍しいんだそうです。単純に自腹の持ち出しですからね。
それに加えて全作品講評を期間内に書くためには仕事を3日間休む必要があります。働き盛りの36歳の3日間、それを年に4回オフ日にする。なかなか無茶苦茶なことをしていると自分でも思います。
でも、それでもやりたい。
参加者全員に賞品を差し上げることが不可能だからです。
私はいつも「あなたの1時間を私にください」と言って作品を募集します。ですからその行為に、好意に、お返しをしたい。賞品はお渡しできないけれど、感想だけはお返ししたい。
それが、私が開催毎に必ず全作品講評をおこなっている一番の理由です。
私もかつては創作者の端くれでした。
モノづくりをするためにはモチベーションが必要です。もちろん啓示に従って取り憑かれたように作品を創り続ける方もいますが多くは違います。
一番つらいのは見向きもされないことです。誰にも見てもらえないことです。見ても何も言ってもらえないことです。
だから私は見たら何か言います。
それが相手にとってその時かけて欲しかった言葉かどうかは分かりません。しかし、何も言わないということを、私はしたくないのです。
・講評で自分語りをするということ
私は文芸素人なので世間一般でいう「文学賞」の講評や選評というものを読んだことがありません。そして、古賀コンは文学賞でもありません。
古賀コンは文学の祭典として賑やかに行われ、しかし賑やかな会場とは別の場所で、私は自分自身の芸術観と信念の下、最優秀賞と優秀賞を選定します。
そんな時に私が大切にしているのは、あくまでこれが私の趣味行為であり、日常の一部であり、だからこそ素直で透明な精神をもって「読む」ということです。
本を読む、あるいは作品を鑑賞する、その行為が自身の肉体と精神に与える影響は様々で、引き出される反応は多岐に渡ります。
たとえばある作品を読むと、そこに詰まった技術や知識について共に語り合いたくなります。
またある作品を読むと、その美しさを讃え、いかにその美しさが稀有なものであるか世界に向けて説明したくなります。
そしてある作品を読むと、そこに描かれた内容が脳と記憶を刺激して、自分の人生のある場面を、言葉を、ありありと蘇らせてくれます。
私は本を読んでいる時にいつの間にか別のことを考えていて、内容が頭に入っていないのに文字だけを目で追っているあの瞬間が大好きです。そしてページを戻っていって改めて読み直すあの体験を心から愛しています。
だから私は講評で自分語りをします。
あなたの作品を読んでこんな面白いことを考えたんだよ、こんな大切なことを思い出したんだよと、報告したくなるんです。
そこで自分の気持ちを押し殺して作品の良さを評論的に語ることは、自分にとって嘘になります。なので大変鬱陶しいお願いで恐縮ながら、一人の読者としての感謝を、自分語りという形で伝えさせてください。
もちろん、通常の批評であったならピックアップされる長所や短所など別に私がわざわざ言わなくても良いだろうというのもあります。
そういうのは作家や編集者の方がやられているイベントでの方が正確な意見がいただけるだろうとも実際思います。
やりたいことはやる、やりたくないことは死んでもやらない、それが古賀コンなので、それでも良いよと言ってくださる方と手を取り合って肩組み合って足蹴り合って楽しく、創っていけたらなと思います。
◆おわりに
・写し鏡としての古賀コン
古賀コンはいつでも参加者一人ひとりにとっての写し鏡でいたいと思っています。
作品を創る1時間は“今”の自分と向き合う真剣勝負の1時間です。
本気で挑んでも、テキトーにこなしても、1時間後に眼前に現れるのは間違いなく今の自分そのものです。
古賀コンは作品の優劣やデキの良し悪しを批評する大会ではありません。
プロもアマチュアも、
毎日書く人も普段全く書かない人も、
みんなが肩を並べて一緒に作品を展示するお祭りです。
そこに並ぶのは「今の私」あるいは「私の今」です。
そう捉えることではじめて、参加者全員が同じ土俵に上がってお互いを称え合うことができるのだと思っています。
古賀コンをスタートさせて一年半、様々な方から作品を頂戴してきました。
その中には芥川賞候補になった作家さんもいます。
趣味でブログを書いているだけの学生もいましたし、普段は全く作文しない子もいます。
ご自身では文章を書くことはできないけれどお母様のサポートと共に参加される方もいます。
皆みんな全員大歓迎で、私は全ての作品をただただ楽しみ、幸せの絶頂の中でいつも運営をしています。
多様なバックボーンを持つ皆さまが安心して楽しめる文学祭を、あくまでも趣味として、これからも続けていきたいです。
しばしば私の体調や苦労を気遣ってくださる参加者の方、オーディエンスの方も居られますが、本当に楽しいだけでやっており、ご心配には及びません。でも、ありがとうございます。
このお祭りの雰囲気を気に入ってくださる方には、ぜひこれからも一緒に、古賀コンを盛り上げていっていただきたいなと思っております。
自分の話ばかりして鬱陶しい主催者ですが、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
古賀コン7盛況の御礼にかえて。
令和6年12月
古賀コン実行委員長
古賀 裕人
Koga Hiroto