夢日記について
ほろよいのミカンサワーって美味しいよね。
こんばんは、古閑です。
今朝、怖い夢を見た。お化け的な怖さと、殺される怖さっていう2種類の恐怖が長く続く嫌な夢だった。
その夢があまりに段階をきちんと踏んでいたので、メモしたものを友達に見せたら、「記録するな! 早く忘れろ!」とか「気が狂うぞ!」っていう注意をされた。
なんでも夢を日記として現実世界で整理しようとすると、次第に現実世界の方で気が違ってくるらしい。え、こわ。
インテルネッツで調べたら、霊魂がどうとか(調べられてないやん)、夢と現実の堺が曖昧になっていくという。え、こわ。本当にそんなんあるんですか?
気が狂うってソースはどこなんだろう。知人が狂った人でもいたのだろうか。それとも経験者でもいるのか。知人が夢によって侵されていくのを目の当たりにしたその人や、かつて自分が自分でなくなった人は何を思っただろう。寝られなくなったりしてしまったのか。そんなわけないか。寝ないと人はそれこそ死ぬ。なんにせよ、自分自身の脳が生み出したものによって追い込まれていく恐怖はことさら恐ろしいものだと思う。
恐ろしい夢も結構カテゴライズされるな、とも思った。お化けや未知なる存在、人為、主体と被害、事故や事件、破壊や喪失。恐怖や悲しいことはカテゴライズできるほどありふれているのに、容易に想像できるのに、それでも人は恐れたり涙を流す。心って想像する力に比べてだいぶ耐えうる力が弱いんだなと思った。
強い心であると勿論恐れもなくなるだろうが、人は悲しみや恐怖を無くせるとしても、無くさない気がする。アラートやメリットだけの問題ではなく。