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暗闇の中で灯す

こんばんは、古閑です。
実は今日、大学時代の先輩の告別式があり、先程自宅に帰ってきました。長い1日でした。心の整理のための日記になるので誰にも構わず書きます。

予定よりも1時間以上早く起床し、そのまま1時間以上早く着きそうだったので駅前のカフェへ。モーニングを食べる気にはならず珈琲を注文。
訃報を受けてから、ずっと胸の内をグルグルしていたやりきれない気持ちを底へ沈ませるように珈琲を飲んだ。泣きそうだったから。

ずっと「可能性と選択」について考えていた。
いろんな可能性とその選択の先に交わりや別れがあって、それらはこれからの未来も続くものだと思っていた。でも、命があれば必ず終わりが来る。それがどんなに早くても急でも。どんなに「終わらないで」と願っても祈っても、最後には終わる。だって、生命は私だけじゃないからね。

先輩のために揃えた数珠やらなんやらを携え、告別式が始まった。どれだけ願っても、滞りのない読経やつつがない進行は容赦がない。
焼香のときについたらしい抹香が払えない。払えば、魂や先輩の名残りまで一緒に払い落としそうで出来なかった。それは単なる抹香なのに。ただの抹香にさえすがろうとする自分が弱くて嫌だ。ただの動作にここまで選択の意味を感じさせるのが嫌だった。
読経中のふとした瞬間、遺影を見ると私にはおよそ向けたことの無い微妙な表情の先輩と目が合った。笑っているとも真面目ともつかない、若干の恥じらいで頬の筋肉が固まっている微妙な顔。
あぁ、そんな顔部活中は見たこと無かったなぁ、と思い出した瞬間。なんかもう、「全部駄目」だった。勘弁して欲しかった。助けて欲しかった。この空気を壊して欲しかった。壊せる人物は既にこの世にはいないのに。

私は先輩が亡くなったことに対して悲しくて泣いているのだろうか。あまりに早く家族を失った遺族達が哀れで泣いているのだろうか。何も言わずに逝ったことへの切なさ?後悔?感情が私を埋めつくして溺れさせる。もう、全部駄目だった。

最後のお別れの時、先輩の顔は「眠っているかのよう」とはとても言えず、明らかに、確実に、間違いようもなく死んでいた。敢えて酷い言い方を赦して貰えるならば、単なる「死体」に過ぎなかった。
まだ身体はここにあるのに、魂だけが無いらしい。じゃあアンタは今どこにいるんだよ!って心の中でキレてた。

というか、訃報を受けてからずっとわだかまっていた気持ちには「憤り」もあった。だって、わけわかんないだろ。なんだよ。意味わかんないよ。なにやってんだよ。
本当に、アンタ本当に、なにやってんだよ。
「戸惑い」と「悲しみ」と「憤り」がマーブルよりも汚らしく混ざり合って消えてくれない。

白い空間と揺らめく炎が、読経のオブリガードとなった蝉の声と混ざって白昼夢すら見せる。もう全てが終わったことを、私は理解して、覚悟するべきだ。だって、帰ってきたのだから。

先輩、どうか安らかに。ダンス良いと思いますよ。でもやっぱり私は合気道やってる先輩が好きでしたよ。あ、色々勘違いしないで下さいね。
寂しいけれど、さようなら。
ありがとうございました。

以前友人から頂いた線香があったので用途は違うかもしれないけど焚いた。暗闇の中で小さな灯火が生きている。騒がしい虫の音の中でも微かに、燃滓が皿に落ちる音がする。

今夜はまだ、終わりそうにない。

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