雑記㉓:『お煎餅一枚程度』の話をつらつらと
健康にも気をつけたい32歳の2023年。
今年こそは痩せようと目標に掲げたダイエット。
気がつけば、新年も1ヶ月が経過しているが、一向に痩せる気配はない。
ダイエットの基本は食生活。
特に、間食を減らすことが、痩せることへの第一歩というのは、20代の頃に実証済みである。
ただ、お腹が空く。運動の現役を退いてから、食欲右肩上がりな僕だ。
一欠片くらい。一枚くらい。一個くらい。
と、ついつい甘えてしまう。
当然、体重は減らない。
ダイエットは、1日2日でどうこうなるものではない。僕のような緩めのダイエットならなおさら、長期のスパンでの積み重ねが必要だ。
が、例えば1ヶ月後にマイナス1キロを目標として、今日1日のお煎餅が、目標に対して強い影響力を及ぼすとは感じにくい。
もし、この1枚を食べなければ、明日1キロ痩せます。と言われれば我慢できるが、先が長いほど、少しくらいならと甘えてしまう。
この、長期的な目標に対しての小さな頑張りの積み重ねが必要になるから、ダイエットは難しい。
さて、この難しさは保育や育児にも似ている。
正月の帰省で電車に乗っていると、ベビーカーに乗った乳児が、何やら指差しをして声を出している。保育士としては、子と親と物の三項関係を築く大事な時期の中で親にぜひ関わってほしいタイミングであるが、当の親はスマフォに夢中である。
こうした場面で一瞬でも微笑みかけているか否かで関係の築き方も変わってくると思う。
が、スマフォを触るのではなく指差しや声に応答的に関わるというのは、日常的な小さな積み重ねで、対して、そういう丁寧な関わりが影響するのも、顔を合わせない時間がもたらす影響も、結果が出るのは先のことだ。そして、子どもの成長は長期的な話。
長期的なことに対して、その一瞬の積み重ねが影響するというのはイメージがしにくいのだろう。
子育てを頑張り過ぎないで良い。
と、最近ブームのように言われている。
僕もそう思う。
しかし、子どもの前でスマフォを見ないということや、声に応答するというのは、頑張り過ぎか。
ダイエットをしている人がお煎餅を我慢するというのは、頑張り過ぎか。
僕は、当たり前のような気がするのだ。
子どもを育てる、保育するのなら、お煎餅一枚を我慢する程度の頑張りは当たり前なのだと思う。
もちろんシックスパックを目指すわけではない。
過度な筋トレや、断食をするわけではない。
健康を害さない程度のダイエットで良い。その程度の関わりで良い。
そんなことを考えながら、怠惰にお煎餅を一枚齧る僕は、今年こそ痩せようと思っている。
あえて言う。頑張れ、僕。
遅ればせながら、新年初投稿。
ジャンプ+の原作応募に間に合わず、凹んでいたのですが、ようやく立ち直れました。
今年もよろしくお願いします。