【日記超短編】工事の音

 今まで黙っていたけれど、わたしの部屋からは工事の音が聞こえる。どこの、何の工事かは知らない。重機や資材の立てる音が、高く低く、時には地響きをともなって窓のむこうから聞こえてくるのだ。たぶん南西の方角だが、そっちに広がっているのはひたすら田んぼばかりのはず。田んぼを埋め立ててビルでも建てようというのか? 昼間に一人安い日本酒を飲みながら、姿を現しつつあるその建造物を思い浮かべた。わたしの思い浮かべる建物はたいてい異様にぴかぴかで、ガラスの塊を切り取ったような外観で、周囲にあるものを表面に映し込んでいる。田んぼの一角に建つ建物だから、映り込むのも田んぼの景色ばかりだ。そこへ行くためには田んぼのあぜ道をしばらく歩くことになるだろう。自転車では走りにくいから、当然徒歩で行くのだ。視界を遮るものがないので、遠くからでも自分の向かうべき場所は一目瞭然だった。ちょっとした地方都市の公立図書館めいた建物が、田んぼの一角にぽつんとあるのはいかにも場違いで、これが想像の中のできごとだということを際立たせる。梅雨前の日差しは思いのほか強く、シャツの中が汗ばんでくるのを感じる。安い日本酒の酩酊と、日なたのぼんやりした空気の見分けもつかないまま、わたしは建物の前にたどり着く。だが中に入ることはできない。遠くから聞こえてくる工事の音が、ここがまだわたしを受け入れる準備のない、閉ざされた場所だと告げてくるから。建物の表面にわたしが映る。昼間から酔っ払って焦点の合わない目、ではなく、外回り中の会社員の顔だ。まるで自分にそんな時代がかつてあったかのように、わたしは慣れた手つきでネクタイを整える。そのとき工事の音がふっと止んだ。ビルが完成したのではない。昼休みだ。

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