【日記超短編】ラズベリー

 天井の低い部屋にわたしたちは集められている。時々呼ばれる。ラズベリー! わたしたちは顔を見合わせる。ラズベリー? 誰も返事をしないでいると、呼ぶ声は何度もくりかえされ、そのたびに語気が荒くなっていく。ラズベリー!? ラズベリー!!! たまらず誰かが立ち上がり、視線を迷わせながら弱々しく「はい」とつぶやく。誓って言うが、その子はさっきまでラズベリーなんて名前じゃなかった。ひろみだったりまるえだったりしゅりだったり、とにかく全然違う名前だったのに、返事をしたとたん今まで誰も気づかなかった銀色のドアが壁に開いて、たぶんマネージャーとか付き人とか、そんな感じの人たちが部屋に飛び込んでくると、たちまちその子を連れ去ってしまう。
 ほんの数秒の嵐のような時間。気がつけば壁にドアなんてどこにもないし、わたしたちはここからいなくなったばかりの子の顔を思い出せない。たしかなのは、いまや床に虹のような光を浴びせながら次のショーに取り掛かっているテレビの、画面に次々と爆発する笑顔のどれかがその子にちがいないっていうこと。ラズベリー! 会場の声援も字幕も司会者の声も、虫めがねが集めた日差しみたいにその名前を撃ち抜いて、わたしたちは息をのんで見守る。手を振るあの子たちみんなが同じ名前で、その名を呼ぶとき喉から飛び立っていく鳥や蝶のことを誰もが知っている。だからあの子たちを前にすると、塔のてっぺんにのぼり詰めたような苦しい気持ちになるのだ。
 わたしはそっと壁際に立って裾からシャツの中に手を入れ、あばらのうえに這わせた指にふれたものをきつくつまむ。ぷちっ、という感触がしてそれはもぎ取られる。誰もこっちを見ていない(みんなテレビに釘付けなのだ)のをたしかめるとすばやく口に運ぶ、そのとき一瞬赤黒い粒が天井の曖昧な光を反射して、店で売ってるきれいな石みたいだと思った。噛むと甘酸っぱい味が口にひろがり、そのときはじめて自分が詰み取られた痛みが、傷口から背骨を通り抜け、かすかな膝の震えと押し殺したため息に変わるのだ。わたしはみんなの目を盗みいつもこうしているし、わたしの、服に隠れて見えないところにあの小さな果実はきっと増えることをやめないだろう。
 ショーが終わると気の抜けたような顔で部屋のあちこちに散らばっていくわたしたちの影と、けだるい足音。わたしはこの幸せを、まだ誰にも話したことがなかった。

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