【日記超短編】売り切れの踏切

 散歩してたら急に目の前で赤いのがチカチカして、気が焦るような音がカンカン響く。おまけに黄色と黒の縞々のやつが空から降ってきた。オーケー、いつものことだよ。線路があるなんて想像したこともない、近所の住宅街だけど、想像はつねに現実に裏切られるものだし、現実というのは善悪を超えて君臨するすべてのことだ。
 もちろん、踏切で足止めされたら踏切キャンディーが必要になる。踏切キャンディーを舐めると警報音はやんで、静寂の中をすーっと遮断棒が上がっていくし、舐めなければ警報音は鳴り続け、虎縞にいつまでも通せんぼされて立ち往生、それだけのこと。
 キャンディーは、踏切が現れると横に必ず同時に自販機が現れているから、そこで買えばいい。値段はさまざまだけど、その人の年収を反映すると言われてるからそんな無茶な値段は付かないはず。
 だけどこの踏切の自販機は、あいにくキャンディーが売り切れていた。最近急に踏切の幻覚を見る人が増えたので、人手不足の折り補充の手が回らないのだろう。でもぼくが春物のコートのポケットを探ると、こないだ駅前広場で踏切のコスプレをした女の子に渡されたキャンディーが一個ある。ぼくは踏切を見るようになってけっこう長いから、いわばベテランなので、町で配られてるキャンディーはこういうときのために抜かりなく受け取るし、取っておく。落ち着きはらって包み紙を剥くと、その涼しげな緑の飴玉を口に放り込んだ。
 だけど無料で配られてるキャンディーは、舐めてすぐにチカチカが消えたりしない。しばし通せんぼのまま、広告入りの列車が長々通り過ぎていくのを待たされることになる。この飴玉はどうやら最近市内にオープンした霊園の広告だったらしい。視界に飛び込んできた列車は、まるで長い台車の上に墓石をずらっと並べたような奇妙で壮観なものだ。デザインに統一感のある、品のいいモダンな墓石が、無印良品の家電の製造ラインのようにさわやかに目の前を通り過ぎていく。
 眺めているうちにぼくは膝がそわそわしてきた。今すぐこの列車に飛び込んであの墓のうちのどれかを新居にしたい、という気持ちが湧いて止まらなくなる。将来に何の光明も見いだせない貧困と憂鬱に彩られた生活に惰性で家賃を払い続けるより、そのほうがどれだけ幸せだろう。さあ飛び込んじゃえ! そんな甲高い声が頭を占めていくのに理性で必死に抵抗しているうちに、列車はようやく最後尾まで通り抜け、遮断棒が上がっていく。すると目の前には何の変哲もない住宅街の生活道路と貧相な街路樹が現れ、踏切などどこにも見当たらない。
 ぼくは気が抜けたようにその場に立ち尽くし、キャンディーの米粒ほどの最後の部分を口の中にたまっていた唾で呑みこむ。喉がちくっと痛んだ。

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