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病院にかかりたいタイミングは人それぞれありますよね

鎖骨から肩にかけて痛みがあって熱もでた。痺れも少しある。

そう、母親に訴えられて2回目だったので、病院を探して予約を取ろうとしている途中段階で、かくかくしかじか予約を入れておくから診てもらってきなねと伝えると、「まだ様子を見ている段階だから病院はいかなくていい」と怒鳴られました。

「余計な事をするな」とまではいきませんが、軽い「ありがた迷惑」だったのでしょう。まぁ、なんとなくわかります。私も母親が訴えているのはただの報告だとは思っていたので、時間のある時に病院を調べて、まだ訴えてくるようだったら〇〇病院に予約を取っておくよ、とでも言っておいてあげようというスタンスでした。何度も電話があったのでちょっと夫にもらしたら、それは早く病院の予約を取ってやれと急かされて、まだ大丈夫だよ…とは言えませんでした。根拠もないし、説明も長くなるので。

私や私の母、その他親戚諸々、どこか調子が悪い時は痛み等が酷くなるまで様子を見、状況に応じては我慢して、自然治癒力で病を吹き飛ばそうとする所があります。夫には「原始人じゃないんだから、西洋医学を頼れ」とよく言われます。

痛みを周りに訴えるけれども何故か病院に行かない人はいませんか?訴えれらた方としましては、医者じゃないので適切な見解はできないし、病院に行きなさいとしか言えないし、知ってる範囲での病院の良し悪しを補足してあげることしかできませんよね。よくおじいちゃんやおばあちゃんはこんな風に痛い、あんな風に痛い、痛みのせいで生活に障害が出ている様を延々と、こんこんと切々に唱えたりしますが、それに近いものがあります。

夫からすると、「痛みがあるのに様子を見る」の意味が全く分からないと言うので、私もなぜそう思うのか、なぜワンクッションをおきたがるのかよく考えてみたのですが、激烈な痛みや絶不調の様子で病院に挑まないと医者に信じてもらえないような気がするのです。症状が軽い、もしくは初期段階の気になる程度で行くと「このぐらいで来るな」と思われるような気がする、痛みに弱い人間だと思われることが不本意、我慢が効かない人間だと思われるのは嫌だ、などなど色々考えすぎてしまい、結果、意味のないへんてこなを我慢して足が遠のいてしまうのです。これは私の場合ですが、母や親戚たちにもあてはまるような気がします。ドMまでいかない、軽いM家系なのでしょうか。

夫は、何か不調があったり痛みがあると、ネットで検索し調べに調べを重ね、市販薬をあれこれ服用してさっさと治します。治ってからの報告の方がが多いかもしれません。とにかく調子が悪くなっても騒ぎません。決まった薬しか飲まない私からすると、効かないから別の薬を探して試してみるなんて考えは皆無なので驚きです。
夫は病院にかかる時もかかりつけで診断されても納得がいかないときはセカンド・サードと病院を転々とします。治療中の歯科医院でも簡単に病院を変えてしまうことがあり、私からするととても信じられないのですが、夫からすると私の行動の方が信じられないようなので、「治療」の方針で意見の相違が度々みられます。私の考え方がやはり特異な気がするので言われたことは従うようにしているので衝突する事はないですが。

病気、治療、医療機関に対する考え方、価値観等、育った環境で色濃く出るような気もしますが、私もあまり放置はせず、騒がず何らかの対処をとり、それでもだめなら静かに病院を探して診てもらってくる…のスタンスをだいぶ取れるようになったのですが、母の方はそうもいかず、相変わらず今までのスタンスを崩しません。私の考え方もなかなか受け入れてくれませんが、高齢なこともあり放置はよくない事だけは分かってもらわなければ…と切に思います。しかし離れているのでなかなかおいそれと付き添ってやることもできず、そうすると一人ではなかなか重い腰があがらないので「病院にかかる」と言う行為が、容易ではなくなってきています。
母の住む実家は企業城下町で栄えた街でしたが、近年は企業の買収や合併で過疎化が進んで寂しくなってきています。行政の高齢者向けサービスもあまり行き届いておりません。今度はかかりつけの病院が閉院するそうで、新しく病院を見つけて転院しなければならず、病院問題はこれからも何かと大変そうです。
今のうちから起こりうる事象を想定して、この症状はここ、この症状ならあそこと、決めていく作業をしておくと慌てないで済むよねと思いながらもなかなかできないジレンマを認識した出来事でした。

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