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新しく設置したシンプルデスクがあの頃へ連れ去った

十代の頃、私の勉強机は台所にありました。それが恥ずかしくて恥ずかしくてたまりませんでした。

東京から母の実家に移り住み、祖父が建てたというその実家は母の兄弟姉妹5人が暮らしてきた古い家。それぞれが出て行ってそして母がまた舞い戻り、私と言うコブ付きで舞い戻り、お世話になることになりました。
家財道具などほとんど捨てて身一つ状態でも、人間が二人プラスされるというのは大変な事です。古いその家は8畳ぐらいの二間しかありません。既に家財道具があるその部屋に、どうして私の勉強机が入れられるのでありましょうや。

私の勉強机は台所に鎮座することになったのです。捨てられるよりはマシでした。幸い机が開閉式だったので重宝がられました。台所のその奥がお風呂だったので、机を開いていようものなら容赦なく爺ちゃんのラクダのシャツやパンツなどが置かれてしまうような環境でした。
人はそれを「貧乏家」と呼ぶのでしょうが、「貧乏」と誰かが口にする前に自分で宣言して自虐する事で精神を保っていました。貧乏家の子供は必死です。それでも変にグレる(死語?「死語」と言う言葉すら危うい?)ことなく何とか育ちました。感謝です。でも面倒くさい側面も多々持ちあわせております。
「貧乏」と必死に戦った日々の戦記はこんな数行で纏められる様なものではありませんので、この境地に辿り着いて解放するまでを後ほど改めて吐き出す予定ではおりますが。

シンプルデスクにLEDライトを設置しただけのこの場所が、あの頃の勉強机に向かっていたシーンと酷似。

左はベランダで右にキッチンカウンター。
実家の台所は全然これと全然違いますが、ほの暗い明かりの中で煌々とデスクライトが光るこの照度が肝なのでしょうか・・・嫌でもあの頃へ連れ去られてしまう感覚に襲われました。机に向かいながら不思議な陶酔感に何度も襲われました。やばし。

小学3年生~高校3年生まで、この机に向かってよく勉強をしてきたし、交換日記も書いた、手帳もつけた、漫画も描いた。色んな想いを受け止めて抱きしめてくれたあの机に向かっているみたいなこそばゆい感情が沸き上がって、その勢いでとうとう今年初のnoteまで書いてしまっている。このスペースに設置したのは正解だったのよね?それとも必然?それとも呼ばれた?…等と自問自答。

これを皮切りに、ここでの作業を楽しんでいきたい所存。
頭上には神棚があり集中力を増幅させるパワーも秘めているではないか。
脳内ではかなり書きあがっているnoteなのですが、いかんせん世に出していません。アウトプットする時間がきたのでしょうか。ゴングの音までは聞こえませんが、デスクに向かって椅子に座ると不思議空間とつながって、何か凄い事が起こるんじゃないかと楽しみになっていることは確かです。



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