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EP 04 満腹の間奏曲(インテルメッツォ)06

「あの……あなたは? どうして祈りの日でもないのにそんな恰好を……それよりもここは通常立ち入り禁止のーー」
「そんなに怖い顔をなさらないでください。若き団長さん。私は一応、この部屋に入ることを許されている人間ですから」
「……どうして、ボクが団長だと……失礼ですが、どこかでお会いしていましたでしょうか……?」
「いいえ。あなたとお会いするのは初めてですよ。ナール団長と似たような腕輪をされているようなので……その腕輪が団長の証だと聞いていましたし、もしかしたらと」
 
 ローブ越しでその表情は見えなかったが、その男性がニコリと小さく笑ったようにソフィは思えた。

「……先ほど、この部屋に入ることを許されていると言っていましたが、それは誰に……?」
「勿論、ナール団長にですよ。ここはリブラの保有する資料室なのですから。私は、彼から直々に天蓋について調べてほしいと依頼を受け、この部屋を自由に使ってよいという許可を得ています」
「天蓋について!? ……!? まさか、あなたが天蓋について唯一調べていたとされている方ですか!?」

 ソフィにとってそれはまさに絶好のタイミングであった。
 自分が今知りたかった天蓋の誰も知らない情報を目の前の人物は知っている可能性があり、調べるよりも直接知っている人に聞けるのなら、その方が確実でそして時間を短縮できる。
 
 しかし同時に、この目の前のローブの男が本当に天蓋について調べていた人物なのかどうかというのも疑うべきことであった。
 何しろ、その人物を直接知っているのはナールだけである。頼まれた本人であるという確証は持てない。
 
 だが、この部屋の存在を知っていた人物でありこのまま放置することも出来ない。
 ソフィは細心の注意を払いつつ、この目の前の男の様子を見ようと決めた。

「……これは失礼しました。ボクは、ソフィと言います。お察しの通りボクは今、自警団の団長をしています。散々無礼な態度をとりましたが、改めてあなたのお名前と出来ればそのローブを取ったお顔をお見せいただけないでょうか……?」

 ソフィのその言葉を聞き、ローブの男は少し考えた後にゆっくりと口を開く。

「初めまして、ソフィ団長。私は名をシュバルツと申します。このローブに隠れた顔は昔の古傷が深く残っており、あまり誰かに見せたくはないのです。無礼とは存じますが、どうか名の開示のみでもってお許しいただければと思います」

 そう言ってローブの男は、ソフィに会釈するように頭を下げすぐに上げた。
 
 ソフィは男の言葉のどこかに僅かな嘘のようなものを直感的に受け取るが、真実の不確かな思い込みで目の前の人物に対してこれ以上疑念を持つことはよくないと考えた。

 何より、目の前の人物の機嫌を損ね、立ち去られでもしてしまえばそれこそ自分の知りたかった情報は何一つ手に入らないかも知れない。
 今は、多少怪しさを感じようが情報が最優先である。だからそれだけは絶対に避けたいことであった。

「わかりました。事情を知らなかったとはいえ、こちらこそ重ねての無礼を謝らせてください。シュバルツさん」

 そう言って、深くソフィがシュバルツに対して頭を下げる。

「頭を下げる必要はありませんよソフィ団長。団長を前にしてローブを外さない私の方が悪いのですから……しかし、そんな私に許しをくれた……あなたはとても優しい方……なのですね……」
「……ありがとうございます」

 そう言って、ソフィがゆっくりと頭をあげる。

 改めて対峙し、何かを感じとったソフィは目の前のローブの男に対しての警戒を緩めることはなかった。
 普段であれば怪しいと感じたことに対し、自警団団長として一つ一つ問い詰めるのだが。
 何より、今ソフィは情報が欲しい。それが今のソフィの最優先事項。
 この状況が団長としてのソフィの行動を堪えさせる。

「……実はですね……あなたがこの部屋に入って行くところを見てしまいまして、しばらくあなたが出てくるまで部屋の外の扉の前で待っていたのですよ……」
「えっ!?」
「大変失礼かとは思いますが……少し驚かせたかったという老いぼれの戯れだと思ってこの件に関してもお許しいただければと思います」

 目の前の人物が何を考えているのか……まるでわからなかった。
 自分が出てきた時に驚かせたかった……そんなお茶目な理由で自分を待っていたとはソフィには到底思えなかった。
 それは、ローブ越しで見えないはずなのに何故か感じる彼の不気味な笑みが関係しているのかもしれない。
 
 このシュバルツという男は、出会ってから終始自分を見て笑っている……だからであろうか、ソフィは比較的初対面の人間に対しても警戒心を解くのが早い方であるにも関わらず緊張感が抜けきらない。 
 特に、悪意や嫌な感じに関しては特にソフィは敏感な人間だ。
 目の前の人物からは言いようのない嫌な感覚がまとわりついている。

「では……そんなボクを驚かせるつもりだったシュバルツさんは、他にボクに何の用があったんででしょうか?」
「……ほぉ……」

 シュバルツはローブ越しにニヤリと笑みを浮かべる。
 目の前のソフィと言う人間が自分の想像以上の人物であったことに彼は喜びを感じていた。
 そして、ソフィの目の前を通り過ぎ本棚の目の前まで歩くとゆっくりと口を開いた。

「ソフィ団長は……このようなお話をご存知ですか?」

 そう言ってシュバルツが一冊の本を手に取り、その本のとあるページを開いた。

「……どんなお話……でしょうか……?」

 シュバルツはパラパラと本をめくり、とあるページまでめくるとその本をソフィに向けて見せつけた。

「とある秤(はかり)の……話です」
「秤……ですか?」
「えぇ。この世界の全てを握っている秤です」
  
 シュバルツは、そう言って本を開いたままゆっくりとソフィの方へと歩いて来る。
 ソフィは、何故かその本に描かれている秤の絵に目を奪われていた。
 
「その秤の所有者は、あらゆる望みが叶うと言われております」
「あらゆる望みが叶う……?」

 ソフィの目はどこか操られたように、その本から目を離すことが出来なくなっていた。
 今やシュバルツの声は、ソフィの耳を通さずに脳へと直接語りかけてくるようにさえ思える。
 その現象によって先ほどまであったシュバルツに対しての警戒心はすっかり取り払われてしまっていた。
 ただし、それはソフィの意思ではなく、外部からの力によるものだった。

「えぇ……例えば死んだ人を生き返らせることも、辛かった思い出を忘れたり、変えることだってできるのです」
「……魔法みたいな話、ですね」
「そうですね。しかし、そんなことをもし本当にできるとしたら、人々はその秤が欲しくなるとは思いませんか?」
「はっーー」
 
 そう言った、シュバルツの目が一瞬怪しい光を放つ。
 その怪しい光はソフィの思考を考えを完全に奪った……かに見えた。
 しかし、ソフィの放った言葉はシュバルツの予想を裏切る言葉であった。

「……いえ……ボクは、そうは思いません、ね」

 そのソフィの返答にシュバルツが初めて一瞬動揺したように咳き込む。
 完全にソフィを《支配》出来たと確信していた。
 
 しかし、彼の精神力は強大なシュバルツの《支配》を凌駕するほどの強さを持っていたということになる。
 努めて冷静に振舞おうとしてはいるが、シュバルツから動揺の色が見て取れた。
 
 ソフィはその様子にシュバルツが自分に何かをしようとしたことを確信する。
 そして、それが何か良くない行動である事も。

「……ほぉ……何故、ですか? ソフィ団長にもあるのではないのですか? 変えたい過去や、望む世界というものは」

 平静を保ち、再びソフィを《支配》しようとシュバルツの目が怪しく光る。
 しかし、今度はソフィ自身が自分の意思でローブの奥で直視できないはずのシュバルツの目を真っ直ぐ見つめる。
 その瞳の強さに、シュバルツが入りこむスキはなく、再びシュバルツはたじろいだ。

「ありませんね。今、あるこの世界だからこそボクはここにいて、生きている。だから、そんなものが仮にあったとしても、必要ないです」
「ぐっ……」

 シュバルツは、苦虫を噛んだような苦い表情を浮かべる。
 それは彼にとっての完全な誤算であった。
 彼の計画にソフィという人間は、何の障害にもなり得ないと思っていたからだ。
 
 シュバルツにとってのソフィとは、自分が手に入れようとしているものをおびき寄せる餌でしかなかった。
 彼のソフィに対しての認識はその程度だった。
 
 しかし、ソフィはそんな彼の力を凌駕しその精神をシュバルツが奪うことに失敗した。
 
 《因果》を持つ者であれば、それは考えられたことであった。
 しかし、シュバルツの知る限りではソフィは《因果》の外の存在であった。
 今、存在する因果を持つ者は、あの二人だけのはず。

 そんな《因果》の外にいるはずの何の力も持ち合わせていないソフィの《支配》に失敗したことはシュバルツにとって屈辱以外のなにものでもない。

 そして、それは同時にシュバルツが企てていた計画の一部がこの瞬間に崩されたことも意味している。

「……そう、ですか。今、以上に素晴らしい人生を過ごせるかも知れないというのにそれを不要だと……あなたは言うのですね……」
「はい」
「そうですか……しかし、ここには私とあなたしかいません。正直どうでしょうか? 本当にそうであるとあなたは言えますでしょうか? 恥も外聞もここにはありません。私はあなたの本心が知りたいのです。人間誰しも必ず一つぐらいはあるでしょう? 変えたい過去や望む未来というのは」

 負け惜しみのように聞こえるが、これもシュバルツの作戦であった。
 いくら強固な精神の持ち主であっても小さなほころびがあれば簡単に突き崩すことが出来る。

 彼の知る限り、ソフィは決して順風満帆な人生を過ごしてはいない。今でこそ立派な団長として大成したが若い頃は同じ団員にやじられ蔑まれていた。

 誰かに傷つけられた記憶というのは、傷つけた本人は覚えていなくても傷つけられた人間はいつまでも覚えているものだ。

 で、あるならばそんな過去であれば変えたい、消し去りたいと思うのが人の性である。
 そんな些細な心の揺らぎで良い。それをきっかけにほころびが生まれれば《支配》出来るとシュバルツは確信していた。

 しかし、ソフィは首を横に振り、しっかりと前を向いて言葉を放った。

「さっきも言いましたがボクは今以上、これ以上なんて望みません。確かにボクにも変えたいと思えるような過去はあります。でも、それも含めて今のボクです。それに、仮に今よりも良い未来があるとするなら、誰かの力を借りるのではなく、ボクは自分で切り開きたいと思います」
「……」
「シュバルツ……さん?」
「はっ、はは……ハッハハハ!!!!!」

 シュバルツはそのソフィの答えを聞いて大声で笑った。
 そのシュバルツの様子にソフィも驚きの表情を浮かべる。

「なるほど。何一つ不平も不満もない人生を送っている……いやはや羨ましいですな……私もあなたのような人生を送りたかった……」
「あっ、あの……ボクが言ったことが気に障ったのなら謝まーー」
「黙れ!?」

 シュバルツの豹変ぶりに、ソフィは思わず言葉を止める。
 そして、ローブ越しであるにも関わらず激昂した表情のシュバルツがソフィへと詰め寄る。
 それは表情が見えないはずなのに、はっきりと伝わるものだった。

「良いか。皆が皆、お前のように恵まれているわけじゃないんだ。この甘ちゃんが!! ほとんどの人間が、この世界を憎み、嫉み、失望している。お前みたいに自分の人生を素晴らしいと感じているやつなんてほとんど居ないんだよ!!」
「どっ、どうしたんですか!? シュバルツさん!! まずは落ち着いてーー」

 そのソフィの発言を聞いて、今度は酷く冷静に見下すような視線をローブ越しにソフィへと向ける。

「所詮、貴様も……持ち得る側の人間だったというわけですか……」
「えっ……!?」
「今のあなたは、かつて謎の女に負けた過去すら気にならないほどに充実しているのですね……」
「なっ、なんであなたがその事をーー」
「……で、あればあちらをこちらに呼び込むか……こいつはもう……不必要だな」
 
 そう最後に呟いた声はソフィにはほとんど聞こえてはいなかったが、その言葉は今まで一番鋭く、氷のように冷たいものだった。
 
「……あっ……あのーー」
「失礼。少し冷静さを欠いていたようです。申し訳ありません」

 そう言った、シュバルツはまたローブ越しに不気味な笑みを浮かべている。
 そうソフィは感じた。

「……重ねて、私は少し用事を思い出したので、これで失礼させていただきます。それでは、ソフィ団長、あまり無理をし過ぎないように……何より体が一番大事、ですからね」
「えっ!? あっ、はっ、はい。ありがとうございます」
  
 シュバルツは更に深くローブを被ると、ソフィの横を通り過ぎていく。その豹変ぶりに心臓が高鳴り続ける。
 去っていく彼の背を見つめているとそのままピタリと止まった。

「あぁ……そうだ。あなたに一つ……お教えしましょう」
「えっ!?」
「天蓋に関しての資料をお探しでしたら、この部屋をいくら探しても見つかりはしませんよ。私が調べ集めた資料は既にナール団長が全て処分してしまっていますから」
「なっ!?」
 
 ソフィが天蓋の情報を調べ欲している事すらお見通しであったという事だろう。
 勿論、この場所に来たという時点でそれは事実なのだがフードの男にはそれとなく自分から引き出そうとしているソフィの意図なども筒抜けであったと見える。

「これは久しぶりの会話にお付き合いいただいた礼です。それでは」

 そう言うと、シュバルツはそのまま資料室を後にした。
 残されたソフィは力が抜けたように椅子にドスンと座り込んだ。

「そんな……じゃあ……どうしたらーー」
 
 ソフィは聞かされた事実に絶望し、そのまま机に突っ伏した。

 カツカツカツと靴の音が響いている。
 なんとかソフィの前では抑え込んだものの想定外の事態に気が動転していた。
 余計なことまで口走らずに済んだのはこの程度の事で自分の計画が揺らがない事は分かっていたからだ。
 ただ自分の力へのプライドだけがへし折られた一点のみに怒りが込み上げ壁を殴りつけた。

「クソっ!! 何故だ……何故、守護神の力もないただの人間風情に私の《支配》の力が通用しないんだ……」

 シュバルツは、ズキズキと痛む左目を抑え。怒りのこもった言葉を吐き出し続ける。

「かくなる上は……多少のリスクは負うが……あいつを……サロスを手に入れるしかないか……」

 その言葉は誰にも届かず、事態がシュバルツによって次の段階へと強制的に移行されてしまったことを意味しているのだった。


つづく


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