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Eighth memory 13 (Conis)

「いけぇっ!!……エスシー……」

 オービーがワタシの背中を軽くトンっと押します。ワタシは決心し走ろうと、自らの足を動かそうとしました。
 しかし……

「うっ……動けない……?」
「エスシー? どうした? おいっエスシー!!」

「逃げられると思っていたのカ?」
 
 そう言って、ゼロがこちらへゆっくりと歩いて来ます。

「どういうことだ……? なんで、急に!!!」

 ワタシ以上にオービーの方が動揺しているようでした。
 ワタシは驚きよりも、近づいてくるゼロへの恐怖が勝り始めました。
 
「……やはリ、というカ……お前ハ、俺と同じ存在ということカ……」

 恐怖と同時にワタシは納得してしまっていたのです。
 ゼロの言葉に込められているその意味までわからないまでも、本能でそれを悟りました。
 ゼロとワタシが同じ存在……。
 それは、初めて彼を見た時にワタシも同じことを感じていたから。

「っくそ!!! エスシーには触れさせねぇ!!!」

 オービーが拳を固く握りしめ、ゼロへと殴りかかります。
 しかしその右手はいとも簡単にゼロに掴まれてしまいました。

「っぐぐ……クソっ……」
「俺に生身で挑むとは無謀……と、言いたいガ……お前ハ、勘はよさそうだナ……」
「!?」
「エルムを使わなかっタ……使いさえすれバ……俺の一部に出来たのにナ……」

 そう言って、そのままゼロはオービーを地面に叩きつけました。
 オービーは短くカハッっと息を吐き出して悶え、その痛みに耐えているようでした。
 ワイズさんは一切の手を出すことなく、何かを観察しているように見えました。
 
 それぞれが別の方向で何を考えているのかわからないこの2人を前にしてワタシは言いようのない恐怖を感じ始めていました。
 今もなお、自由に動かせない自分の体。
 わたしはだんだんイライラな感情を覚えていました。
 

 こんな時に、あの声が聞こえてさえくればワタシはーー

「ほォ……中々めずらしい色を持っているナ……お前ハ……」
 
 オービーの前髪を掴み、無理矢理その顔を上げさせゼロはにやりと笑っていました。
 それと同時に徐々にオービーのその体が侵食されています。
 それも、恐ろしく早いスピードで。

「黒ク、何者の色も寄せ付けないはずのその色二……決して交じり合わない強い光が2ツ……」
「何……言って、やが、る……」
「そうだナ……お前にはわからないだろうナ……だが、お前は本物のようダ……」
「だから意味がーー」

 言い終わる前に、ゼロはその右足でオービーを蹴り飛ばし、動けないワタシの方へとゆっくりと歩いて来ます。
 身体は相変わらず動かすことは出来ず、ただ近寄ってくるゼロの姿を目に映し続けることしかワタシには出来ませんでした。

「俺と同じ存在だとしてモ……お前は限りなく偽物に近イ……」
「……」
「何も答えなイ……いや、答えられない……カ。この程度の制約に縛られル……それはお前が本物ではなイ。その証拠にもなり得ル」
「オー……び……」

 自由にならない、口を僅かに動かしゼロの少し遠くで倒れ動けなくなっているオービーのほうへと手を伸ばします。
 オービーは動くこともなく、その体の侵食も止まることはありませんでした。
 ワタシがもっと早く逃げ出していれば、オービーも今よりも安全な場所にいることが出来たかも知れません。

 ワタシが……ワタシがーー。

「お前泣いているのカ……?」

 それはゼロからの意外な言葉でした。
 ゼロはワタシのその姿を見て心底驚いているようでした。

「……お前は涙を流せるのカ……? 俺と同じ存在であるはずのお前ガ……」
 
 ゼロは酷く動揺しているように見えました。
 その瞬間、彼にワタシが感じていた恐怖の感情が消え、なんだか、酷くかわいそうに思えてしまいました。
 さっきまであんなに強大でおそろしかったはずのゼロへの認識がワタシの中で瞬間変わっていたのです。
 指一本動かせなかったワタシの体が自由に動かせるようになりました。
 これを好機だとワタシは考えました。
 かわいそう……だとは思いましたが、ワタシとオービーが生き残るためには一切の躊躇をしてはいけません。
 ワタシは、その一瞬のチャンスを最大限に生かすために右腕から剣を顕出させ、ゼロの胸元へ真っ直ぐ鋭い突きを放ちました。
 その一撃は確実に彼を捕らえた、そのはずでした。

 しかしーー

「どう……して……」

 確かにワタシの一撃は彼の……ゼロの胸元を貫いたはずでした。
 しかし、ワタシの腕の剣は一瞬でボロボロになり、貫いたはずの彼の胸元でパラパラと崩れるようにその姿を失っていきました。

「……お前のそれでハ……俺を倒すことはできなイ……」
「そん……な……」
「そんな紛い物ヲ、俺に向けたことを後悔しロ……」

 ゼロはその左腕で、ワタシの右腕を強く掴みました。
 その瞬間、ワタシの頭の中に彼のゼロの意思が流れ込んで来ました。
 黒く、深く、そして寂しい……それはワタシの思考を凄まじい勢いで侵食していきます。
 ワタシの意思を、黒く蛇のような何かが、記憶を、体験を喰いつぶすようにワタシの中から何か大切なものが次々と消えていきます。

「あ、あ、あ」
 
 揺り籠の事……美味しかったパンの味も……あたたかった温もりも…… 
 あんなに大切だった、みんなのこともマザーのこともヌルさんのことも……。
 本好きな彼女も、シーエイチも……そしてオービーのことも――
 一緒に見上げた、星空の景色さえ
 すべてをその黒い蛇のような何かが、ワタシ自身すら喰いつくそうとしたその時、その黒い蛇のような存在のほとんどを白い何かが貫きました。

「……愚かナ……お前は本物の素質があったというのニ……」
「……るっせぇヨ……てめぇみたいなやつに生かされるくらいなら……俺はエスシーを……守る、ため、ニ……」
「何故ダ……何故ニそこまで自分以外の存在を大切に思えル……」
「わっかんねぇなら……お前は、本当はかわいそうなやつ……だナ……」
「……」
「おい……エスシー……もう少し待ってろ今助けてやる、から、ヨ……」

 知らない誰かがワタシの方を見て、私の名前を呼んで笑っていました。
 その笑顔は初めてみたはずなのに、ワタシの胸をとても温かくさせました。
 
 ワタシはその温もりを知っている。
 ワタシはその声を聞いたことがある。
 ワタシはその笑顔を見たことがある。
 
 だからこそ彼の名前を思い出すことが出来たのです。

「オー……ビー……」
 
 オービーは、ワタシを掴んでいるゼロの左腕に短剣のように短い槍を……オービーの小さくなったあの彼の槍を突き刺していました。

「……お前モ……俺に喰われたいようだナ……」
「ハッ……喰えるもんなら喰ってみやがれ……逆に喰いつぶしてやル……」
「その気概ハ……嫌いではなイ……良いだろウ。お前ト俺のどちらが本物に相応しいカ、その身に刻んでやろウ」
「オー……? あれ」
 
 ……ワタシを掴んでいたその存在はワタシから手を放し突き飛ばすと、空いていたもう片方の手でワタシを『助けてくれた人』の小さな槍を握り掴みました。
 その瞬間、その『彼』は激しい悲鳴にも似た叫びをあげ始めました。
 
 オービー、オー、お、あ、れ、ワ、タシは……
 
 ワタシは目の前で崩れゆくその彼を知っているような気がしていました。

 でも、その顔も、名前も、ワタシにはわかりませんでした。

 でも、とても大切な、忘れてはいけない、人であったはずなのです……。

 それなのに、どうして、どうして思い出せないのか。
 思い出そうとするたびに現れる黒い蛇のような何か。

 シュルシュルとゆっくりゆっくり近づき、噛みしめるように何かを食べている。
 それは、ワタシの中に最後に残っている小さな小さな、とても温かかったはずのワタシの中の最後の記憶。
 
 大きく開いた口でその記憶すら喰らい尽くし、私の視界は闇へと落ちていく。
 まるで星灯りすらも見えない真っ暗で足元の見えない日の夜空のような……。

 あ、れ……?
 よぞ、らって?
 ほ、しってなに?
 わからない。
 なにも、もう。
 わからない。

 





 ワタシは白へと反転する視界の中で意識を失う。

 そして、その瞼を……ゆっくりと閉じたのです。




つづく

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