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EP 03 激動の小曲(メヌエット)04

「はぁ……」
「どうしたんだ? ソフィ、らしくもないため息なんかついて」

 ソフィの隣でツヴァイが、少しだけ心配そうな表情でそんな言葉をソフィにかける。
 本来、団長が複数で同じ任に付くことはない。
 しかし、天蓋に関することであれば話は別である。

 あの場所では今は何が起きても不思議はない。
 天蓋の言いようのない恐ろしさは、自警団内での団長たちには皆周知の事実であった。
 
 かつて適当な人選で天蓋の見回りに人を配置していたという過去に今となっては身震いするものも少なくはない。 
 
 天蓋の見回り、その場所は以前は団内で最高のサボりの口実として使われるような場所だった。
 しかし、ヤチヨが天蓋から戻ってきたあの日からその認識は大きく変わった。

 当時、団内におけるソフィとフィリアの評価は高かった。 
 その事をわざわざ口にするものはいなかったが、フィリアは戦闘力という面だけでいえば、団内でも最強だった。
 そしてソフィもまた、団長たちにはかなわないとはいえ、それ以外に負けることはないと囁かれる程の評価が本人の知らない間にいつの間にか付いていた。
 
 当時の団内にいたその二人が天蓋の巡回、警備の任に向かい、その後フィリアは行方不明。ソフィもボロボロの状態で発見された。
 その出来事は、団員たちが天蓋へ誰も近寄りたくないと思わせる場所になると同時に、このまま放置してはならないのではないかと言われる場所となった。

 そんな経緯もあって、団内では定期的に交代制で団長二人で崩れた天蓋の様子を見に行くことになっていた。

 しかし、フィリア程の人物が行方不明になった場所という事で、天蓋に向かうことを拒む団長も少なくはなく。
 結果として声を上げたのは、腕に自身のある自信過剰な数名の団長と当時の事を一部知るソフィ。そして団長のアイン、ツヴァイ、ドライのみであった。

「いえ……何でもありません。大丈夫です。ツヴァイさん」
「そうか……なら良いけどよ。ただ、気を引き締めろよ。天蓋じゃ何が起きてもーーなんて、お前には言う必要ねぇよな」
「はい。ボクも気を引き締めます」

 何もない。それが当たり前であるが、そうであって欲しいと二人は願っていた。
 
 たどり着いた二人の見た天蓋は、以前に来たときと比べても大きな変化はないように見える。
 しかし、相変わらず天蓋自体の崩壊は続いており、いつ崩れ落ちてもおかしくはない状態であった。
 そう、天蓋と呼ばれる場所の最奥。
 その場所だけが不気味に崩壊のあと、瓦礫を取り除く作業をしていた時に発見されこの景色の中に鎮座している。
 
 そんな中で、その場所。

 ヤチヨがいたと思われる場所。そこだけが周りにあった崩壊の影響など微塵もなかったようにそこに佇んでいた。

「不思議なもんだよな……この天蓋って場所はよ」
「そうですね。いつ、完全に崩れ落ちてもおかしくない……そんな状態を保ち続けている……」
「あぁ……とはいえ、いつどうなってもおかしくはねぇ状態には変わりねぇからな。うちの団員どもを連れて補修作業をするわけにもいかねぇ。何があるか分からねぇし、何より俺の本能があそこにゃこれ以上近づくなと言っている」
「……」

 二人して天蓋を見上げる。
 その入り口となる大きな穴は今も尚、少しずつ崩壊しているのか定期的に小石や天井のかけらが落ちてきている。

 しかし、この日ソフィはその天蓋を見てどこか妙な違和感を感じていた。
 じっと目を凝らしてその違和感を探す。

「あれ……?」

 ふと見た先。その場所は以前来た時には、壁面が欠けていたような気がするとソフィは思った。

「どうしたソフィ?」
「ツヴァイさん、あの壁、前の巡回では崩れてませんでしたか?」
「そうか、ん、流石にそこまで覚えちゃいないな」
「ですよね。気のせいかな」
 
 まさか、そんなわけがないと。
 ソフィは自分の頭の中に浮かんだ考えを否定するように頭を振る。
 
 天蓋は崩壊しているのではなく、少しづつ再生しているのではないかという想像……いや、妄想。
 建物が勝手に修復されるなんて事はありえない。
 自分の直感的に浮かんだ考えをバカらしいと思いたいはずが、ソフィの鼓動の高まりはいつまでも収まることはなかった。
 
 そんなことを考えているとソフィの目の前にひときわ大きなかけらが転がってきた。
 なんとなくそれを拾い上げた直後。
 頭の中に本の場面のように似たような光景が映し出される。
 
 割れ方の断面、重さ、大きさ、どう見てもそれは前拾ったものと同じ破片。
 こんなことがあり得るのだろうかと頭を捻った。

「おいっ、どうしたソフィ?」
「いえ、なんでもありません。特に、問題なさそうですし、そろそろ戻りましょうか」
「あぁ。そうだな」
 
 自分の気のせい。
 確かな確証が持てなかったソフィはツヴァイにその事を伝えることはしなかった。
 違和感への答えが見えないまま、その日の任務を終え、ソフィは帰路に着いた。
 
 その夜、ソフィは夢をみた。それは、コニスと出会った日の夢。
 
 ヒナタとヤチヨに話したからなのか、それとも何か理由があったからその夢を見たのかはわからない。
 ただの偶然であると、そういう結論で片付けることがソフィにはできなかった。
 見た事もない切なげな顔で自分を見つめる彼女の口元の動き。

「さようなら」

 それはまるで、あの物語の出来事のようで、目の前で消えていく彼女に向かって手を伸ばす。
 それはまるであの本の主人公のようだった。
 傍らに目をやると、見たことがあるような気が、また無いようにさえも思える不思議な人物がポンと自分の肩を叩いて。

「あいつのこと、後は頼んだぜ」

 そう、ボクに言うと前へと走りこんでいく。
 あいつのこと……そう言った時に彼の視線の先。
 そこにはヤチヨさんの姿があった。
 
 地面に崩れ落ち、縋るようその人物の名前を叫びながら手を伸ばしている。
 この人は……いったい……どうしてヤチヨさんのことを知っているのだろうか?
 
 自分に向けらた信頼の眼差し。しかし、自分はその人の事を何も知らない。
 夢の中で起きている出来事に対し、ボクは動くことも言葉をかけることも出来なかった。
 
 次の瞬間。彼もまた、目の前でコニスと同じように消えてしまった。

「君は何も悪くない」

 聞き慣れた懐かしい声が聞こえてくる。でも、そちらを振り向くことが出来ない。
 ただ、前の二人と同じように前へと走り出し、その背中が視界に入る。
 
 喉の奥が詰まって声が出ない。
 いつのまにか目から流れるそのとめどない涙で滲んで見えなくなる。

「……フィリアさん!!!!」
  
 大声を上げて勢いよく朝目覚めた時の現実感。
 夢と現実の境界線が曖昧になっているような感覚。
 言い知れぬ不安が膨れ上がる。

「はぁ、はぁ、、あ、あ、夢、か」 
 
 そんな不安を払拭するように冷たい水で顔を洗い、着替えを済ませ、軽く食事を取り家を出る。
 
 ヒナタとヤチヨの住む家に向かって歩き出すソフィの視界には、空が映りこむ。
 その空はどこか見知らぬ、見た事のない空であるかのような。
 そんな気がした。

「あっ、ソフィおはよう」

 ソフィがテーブルで本を読んでいたヤチヨと目が合った。

「おはようございます。ヤチヨさん」
「あっ、ヒナタはねーー」
「お母さんに呼ばれたんですよね? さっき入り口ですれ違いました」
「そうなんだ」

 短く言葉を交わすと、ヤチヨはまた本へと視線を戻す。
 彼女が本を読んでいる姿はめずらしかったので思わずソフィはヤチヨのそばへと近づいた。

「何を読んでいるんですか?」
「本だよ」
「それはわかります」
「うーん……じゃあ、お話だよ」
「それもわかります。というか、もしかしてからかってます?」

 そう言ったソフィにヤチヨが悪戯っぽい笑みを浮かべる。
 その後、ヤチヨはソフィにその本を見せた。
 それはタイトルのない、表紙に一羽の鳥が描かれているだけのものだった。

「初めて見る本ですね。なんて本なんですか?」
「わかんない!!」

 そう言って、ヤチヨが満面の笑みを浮かべる。
 その様子にソフィはまた一つため息をついた。

「あの……ですから、ボクをからかうのはーー」
「からかってないよ。ヒナタにも聞いたんだけどこの本にはタイトルはないんだって」
「えっ!? タイトルがない本なんて存在するんですか!?」
「あるじゃん、ここに」

 そう言って、ヤチヨがまた笑顔を浮かべる。

「この本ね。誰よりも飛ぶことが好きだった鳥の話なんだ」
「そう……なんですね」
「でもね、この鳥は飛ぶことをやめてしまうの」
「えっ!? どうしてですか!!」
「この鳥の飛ぶ姿がね。あまりもすごいから、その姿を見てこの鳥の仲間の一人が神様に自分の翼をなくしてくださいってお願いするの」
「それで、その鳥はどうなってしまったんですか?」
「翼を失った、鳥はね。飛べなくなって死んでしまうの」

 好きであるが故に、自分が越えられない壁を目の前にするとその大きさに心が折れてしまう。
 それはソフィにもわかることであった。
 あの日、コニスに出会わなければ自分は自警団を辞めていたかも知れない。
 ソフィは、急にその物語に興味が湧いた。

「でね、それを知った。表紙に書かれた鳥は自らも飛ぶことを止めてしまうの」
「えっ!? それじゃあ!!」
「もちろん、生きていくために飛ぶことは止めないよ。でもね、あんなに気持ちよさそうに楽しそうに飛んでいたのに、もうそんな風にはこの鳥は飛ばなくなっちゃったの」

 その話をしているヤチヨの表情はどこか沈んでいるように見えた。
 いつも元気で明るい印象を持つ彼女からは珍しい表情であった。

「色んな人にまた飛んでってお願いされるんだけど、その鳥は自分がまた楽しそうに飛んでいたら、他の鳥が同じように神様に翼を渡してしまうかも知れないからって断るの」

 そう言い終わると、ヤチヨはソフィの方を真っ直ぐ見つめた。

「ねぇ、ソフィ。あたしは本当に天蓋から出てきて良かったのかな?」
「えっ!?」
「みんながあたしが天蓋にいて欲しいことを願ったのに、勝手に出て来ちゃったから、あたしが自由を求めたから、サロスもフィリアもいなくなっちゃったのかな?」
「それはちがーー」
「あたしが、天蓋にちゃんと戻れば……我慢していれば、あたしがーー」
「そんなことはありません!!!」

 ソフィの予想以上の大声にヤチヨが驚きの表情を浮かべる。

「フィリアさんが考えてたことをボクは全部知りません。でも、きっとフィリアさんはここにヤチヨさんがいることを喜んでいます。きっと、サロスさんという人だって同じ気持ちのはずです……だって、そうじゃなきゃ……お二人も、お二人が救いたかったヤチヨさんも……」
 
 ソフィの瞳から次々に涙が零れ落ちる。
 そんなソフィを見て、ヤチヨが優しくソフィを抱きしめた。

「ごめん……ソフィ……そうだよね。二人が命がけで救ってくれたのに、そのあたしがこんなこと言っちゃダメだよね」
「そうよ」

 二人が一斉に声の方を振り向くと、実家から大量のお土産をもらってきたヒナタが苦笑いを浮かべていた。

「もう……ヤチヨ、あなたまだそんなこと考えてたの?」
「……ごめん。ヒナタ……」
「ヤチヨのせいじゃないって話は散々したはずよ」
「でも……」
「それにーー」

 ヒナタがヤチヨの読んでいた本を取り上げ、パラパラパラとめくり続けその鳥が仲間たちと見事に飛んでいる挿絵を見せつける。

「確かに、この鳥は一度は飛ぶことを止めてしまうわ。でもね、仲間たちに支えられてまた少しずつ飛ぶようになるの。また飛ぶことを楽しめるようになるの」
「ヒナタ……」
「だからね。すぐには無理かもしれないけどヤチヨもまた飛ぶことを恐れないで。あなたが飛べばきっとサロスもフィリアも喜んでくれるわ」
「……」
「ヤチヨ……?」
「……本のネタバレされたぁ」
「うっ、ウフフ」
「わっ、笑いごとじゃないよ~!!」

 先ほどの様子など微塵も感じさせないようにヤチヨは冗談を言いつつ笑みを浮かべており、ヒナタもそれにつられて笑っている。
 
 そんな二人を遠巻きにみていたソフィも表情だけは笑みを浮かべていたが、ヒナタがヤチヨに放った言葉ではあるが、その言葉はソフィにもどこか突き刺さっていた。

 ソフィはあの日、ピスティとの戦いの後から人に武器を向けられなくなっていた。
 訓練用の刃のついてない剣や、獣に対しては振るうことができていた。
 しかし、実戦になると手が震えてしまう。それが剣であれ、銃であれ。
 それは結果として、訓練にも徐々に現れ、戦うという行為自体に苦しさを覚えていた。

 ソフィは、あの頃よりも格段に強くなった。
『ソフィ、お前昔と比べて、技量は高くなったが、お前自身はなんというか昔の方が強かったような気がするな』
 しかし、その彼の空っぽのその心はツヴァイとの模擬戦闘の時の一言が全てを物語っていた。

 命の重さについて……。
 あの時、ピスティに言われた言葉はソフィに呪いのように頭に響いている。
 命を奪う。その覚悟がソフィは持てなくなっていた。
 ソフィの戦う理由は誰かを守るためのものであった。
 例え相手を殺めてしまったとしても、守り抜く。そこに想いの強さがあった。
 しかし、守るべきものを失ったソフィは戦う理由を失った。

 いつか見た、ソフィ自身の知らない記憶の中の自分はその腰の剣を握り、必死に戦っていた。
 しかし、今の自分は何かと、誰かと本気で戦うことが出来るのであろうか……幸いなのはそんな言いようのない不安を抱えているという事実はソフィ本人しか知らない事。
 
 けれど、もし、今の自分の状態であの夢のような事態が起きてしまった時。

 自分は……ヒナタとヤチヨの2人を守れるのだろうかと。

 今はいない、憧れのフィリアの影が、ソフィには昔よりも遠く遠く感じられた。


つづく

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